レイナ、異世界で最初の食材を見つける
視界が、白く染まる。
ふわりと身体が浮いたような感覚。
足元が消えたみたいな不安定さに、一瞬だけ耳の奥がきぃんと鳴り、
──次の瞬間、足の裏にしっかりとした地面の感触が戻った。
「……っ」
思わず、息を呑む。
ダンジョンとは違う、普通とは違う独特の空気。立っていたのは、さっきまでいた場所とは似ても似つかぬ薄曇りの森の中だった。
木々は生い茂っているのに、妙に元気がない。
葉の色はどこかくすみ、地面には灰色がかった苔が広がっている。
「これが、異世界?」
思わず、そう呟く。
そのすぐ後ろで、次々と皆がゲートをくぐってくる。
軍曹、豪腕さん、長田さん、ミライちゃん。
「ようこそ? 異世界へ」
私たちが到着すると、マインちゃんがこてりと首を傾げた。
"うおおおおおおお!!"
"来たああああああ!!"
"異世界きちゃあああああ!!"
「あ、食材の皆さん! 見えてますか~! これが異世界みたいです、というか異世界でも普通に配信できるんですね!」
私はワイワイと、こちらを移しているスマホに手を振った。
"安心したw"
"ちゃんと映ってる!"
"異世界でも回線つよつよで草"
"いや配信できるんかーい!"
私が元気に手を振る一方、
「これが異世界の瘴気か」
「ぐぅ……、これはなかなか──」
軍曹と豪腕さんが、そう顔をしかめていた。
長田さんも、刀を構えながら少しだけしんどそうな顔をしている。
「そうですか?」
「レイナちゃんは大丈夫なの?」
「う~ん、ちょっと変な匂いがするなあ、ぐらいですね?」
マインちゃんの質問に、私はそう首を傾げる。
「ミライはどう?」
「たしかに空気は重いッスけど──あたいも平気ッスね!」
見ればミライも平気そう元気そうだ。
"ミライちゃんも平気なんだ"
"これあれか、耐性スキルのレベルの差かな?"
"何度も死にかけながら毒耐性をカンストさせた女だ、顔つきが違う・・・"
"耐性持ち組つっよ"
"軍曹たちがしんどそうなのにレイナちゃん通常運転で草"
"これもう攻略の前提ひっくり返ってない?"
「なるほど? 耐性スキルのおかげなんですか」
たしかに千佳と説明を聞いたときも、ダンジョンで、瘴気は毒やら呪いの状態異常をまとめて付与されたときと似たような症状だと聞いたっけ。
食材さんたちの言うとおり、私とミライちゃんは、知らないうちに瘴気への耐性を身につけていたのかもしれない。
異世界探索で、もっともネックになりそうだった瘴気が効かないということは……、
「これなら安心して異世界グルメが探せますね!」
私は満面の笑みでそう宣言する。
">>>伝説のはじまり<<<"
"通常運転w"
"勝ったな、風呂入ってくる!"
"《鈴木 千佳》異世界グルメの前に安全確保してな!?"
全力で突っ込む千佳の姿を、コメント欄ごしに幻視した、その時。
ふわり、と。
風に乗って、どこかから香ばしい匂いが漂ってきた。
「……!」
私は、ぴたりと足を止める。
「どうしたの?」
マインちゃんが問う。
私は、そっと森の奥へ顔を向けた。
土と草と瘴気の匂いに混じって、確かにそれが漂ってきたのだ。
甘じょっぱくて、香ばしくて。どこか焼けたタレみたいな、美味しそうな匂いが。
「します」
「なにが?」
「美味しそうな匂いがします!」
私が断言した瞬間、その場の全員が固まった。
「いやいやいや!?」
「俺はなにも分からないが?」
「待て、なんの料理の匂いだ?」
「分かりません! でも、なんかいい匂いです!」
私は、勢いよく森の奥を指差した。
"真っ先に食欲で動き出す女"
"異世界のモンスターさん、逃げてw"
"なんの料理の匂いだ? って、豪腕ニキも毒されすぎてるww"
「おかしいな。来るときには、なにもなかったと思うけど……」
マインちゃんが、私が指を指した方角を見て、首を傾げる。
「でも、今はします! 絶対あっちです!」
「レイナ様の食勘が反応してるなら、なにかあるッスね」
「食勘という言葉が正しいのかはさておき……、匂いの発生源を確認する価値はあるか」
長田さんが、静かに周囲へ視線を走らせる。
ガサリ、と。
森の奥の茂みが大きく揺れた。
「来るぞ!」
軍曹の鋭い声が飛ぶ。
次の瞬間、灰色がかった巨大な影が木々の間を突き破るように飛び出してきた。
それは猪だった。
けれど、ただの猪じゃない。
全身を黒ずんだ靄のようなものが覆い、目は濁った赤に染まっている。
口元からは泡立った涎を垂らし、見るからに正気を失っていた。
"うわっ、気持ち悪っ!"
"これが瘴気イノシシか!"
"え、異世界に飛んだらいきなりモンスターに襲われるの? 話が違う・・・"
"どう見ても美味しそうじゃない件"
「美味しそうな匂いって……、あれッスか?」
「たぶんそうです! すごく美味しそうな匂いです!」
ミライちゃんが、少しだけ困ったような顔で私を見る。
「えぇ……? これ、食べるの?」
「もちろんです!」
マインちゃんも引き気味に私を見ていたが、私は気にすることなくモンスターと向かい合う。
例えるならマナ溜まりをつけて、ビッグベアのお肉を食べたときと似たようなものだろう。
ブモゥッ!
瘴気イノシシが、黒っぽい霧を飛ばしてくるのを見て、
「いきますっ!」
私は飛び出して、拳で迎え撃つことにした。
凄まじい勢いで迫ってくるイノシシであったが、深層の厄介なモンスターに比べれば攻撃は生ぬるい。
私はイノシシの鼻面を鷲掴みにすると、
「なるほど、こうなってるんですね! 焼いたほうが美味しそうです!」
しげしげと観察する。
ジタバタと暴れる瘴気イノシシを投げ飛ばすと、
ズッカーン!
イノシシモンスターは、木々に激しくぶつかりピクリとも動かなくなった。
"イノシシたん~~~ッ!?"
"知ってた"
"しげしげと観察するんじゃないよww"
"異世界の初戦闘、三秒で終わったんだが?"
私は気絶したイノシシモンスターに近づき、改めてまじまじと観察する。
顔のあたりが瘴気に覆われており、凶暴に見えた。
「うっ、彩音は本当に大丈夫なのか?」
「あたいも少しだけ気持ち悪いッス……」
「苦しくなったら言って。私が浄化する」
私に追いついてきた軍曹とマインちゃんが、そう顔をしかめながら尋ねてきた。
マインちゃんは、さっと武器を構えてそんなことを言う。
「ああ、頼む」
「では──」
さっと御札を取り出し、なにやら術を唱えるマインちゃん。
解毒と解呪──マインちゃんは、異世界探索においてキーとなるスキルを覚えているらしい。御札から淡い光が広がり、軍曹とミライちゃんの周囲にまとわりついていた嫌な気配が、少しずつ薄れていく。
「ふぅ……、助かった」
軍曹が、わずかに肩の力を抜く。
「うぅ、ちょっと楽になったッス……」
ミライちゃんも胸元を押さえながら、ほっとしたように息をついた。
そんな様子を見ながら……、
(う~ん、瘴気。私はなにも感じないんですよね)
私は首を傾げた。
「ん~? やっぱりレイナちゃんには効いてない?」
マインちゃんが、不思議そうに私を見上げる。
「どうにも瘴気が近くにあるってこと以外、分からなくて──」
「そっか……。信じられないけど、もしかして耐性で弾いてる?」
マインちゃんは、目をまじまじと見開いた。
倒れた瘴気イノシシからは、今も黒い霧が放出されている。
その光景は、まさに異世界といった感じで現実離れしていた。私はその風景を眺めながら──、
「…………焼いたら、食べれますかね?」
ぽつりと、そうつぶやく。
"これでこそ我らがレイナちゃんw"
"食べるの!?"
"え? そのグロテクスなバケモノを?"
"ドラゴンゾンビよりはマシ定期"
「はい、火を通せば普通に美味そうだなって」
映えある異世界グルメ第一号候補だ。
「たしかに美味しそうに見えてきたッス! 目の前にお肉があるのに食べないのは冒涜ッス!」
「そう、食べ残しは冒涜!」
私とミライが、そう意気投合するのを見て、
「これは彩音の一番弟子だなあ──」
軍曹が、そう遠い目をした。
私は、ワクワクと期待を込めた目で豪腕さんを見る。
豪腕さんは、一瞬「まじか!?」という顔をしていたが……、
「ああ、やってやる! こちとらダンジョンイーターズの調理人! 瘴気まみれのイノシシがなんだ! やってやる、やってやるぞ!!」
そう気合を入れて腕まくりするのだった。




