3-1
「父上、お呼びでございますか」
朝早くに起こされ、夫婦ともどもあわてて起きてきたセイディアは、謁見の間に入ってきた。
中央まで寄りながら、二つの影に目を留める。膝をつき、うつむいてはいるが、淡い金髪は見間違えようがない。
二人より少し後ろに控え、朝の挨拶を済ます。
続いてまだ婚期を迎えぬ長女アガルティナが次男グリスタの車椅子を押しながら入ってきた。次女サンディアナがそれに続く。彼らもまた、兄夫婦の前に控える二人を不審がりながら、朝の挨拶を済ました。
「父上、このように朝早くに皆を集めるとは、何があったのでございますか」
兄弟を代表してセイディアが口を開いた。その目は二人の不審人物に注がれている。
「ああ、皆済まぬな。急ぎのことゆえ許せ」
フィディアスは玉座を降り、二人のうち色素の薄い少年のそばまで行くと彼を立たせた。
すらりと背の高い少年だった。腰の辺りまで伸びる薄い金髪が波打ち、まるで女性のようだ。
「昨日この街に参られたファーデス・ド・オルディアと申すものじゃ。かつてわしが愛した女性の忘れ形見でのう。お前たちの弟に当たる。今年で十七になる」
「父上……? まさか……」
驚いてセイディアは立ち上がった。少年は透けるような髪を払いのけ、青い瞳でこちらを見ていた。感情のない瞳。
その次の瞬間、彼はにこりと微笑んだ。
「父上、本当なのでございますか。今までにも父上の隠し子だと名乗り出てきたものは数知れません。父上もご存知でございましょう? それなのにまた……」
立ち上がり、厳しい口調で責めたてたのはアガルティナだった。皇太子よりしっかり者との評判で、お転婆娘で嫁の行き手がないのだとも。
「うむ、今までは確かに偽者ばかりであった。だが、このファーデスは違う。わしが旅の踊り子に与えた指輪を持っておった。なにより、フィーに生き写しじゃ」
セイディアは幼い頃を思い起こしていた。まだ年端も行かぬ頃、どこを探しても父はいなかった。母は気丈で、弱いところを子供たちに見せることはなかった。だが、影で泣いていたことをセイディアは知っていた。物心つかぬアガルティナやグリスタをあやしながら、父の代わりに母を支えていこうと心に誓ったのだ。
あの頃の父がここにいる。自分たちを捨て、一人の女にのみ心を傾けて出奔し、母や自分たちを不幸にした父が、今になって蘇ったのだ。
「父上、お考え直しくださいませ。本当に彼が父上の隠し子だとしても、今彼を王室に入れることは要らぬ波風をたてるだけではありませんか。ようやく落ち着いてきたというのに」
「黙れ! セイディア、今までわしはよき王、よき夫、よき父として生きてきた。王といいながら、何一つ自分の自由になるものはなかった。ただの一回も、だ。このただ一回のわしのわがままも聞けぬというのか」
「しかし、父上……」
「それに、波風が立ったところで、何を恐れるというのだ。わしの立場を揺るがすものなど一人もおらぬわ。フィロデスタ王家の血を引く者はお前たちだけなのだから」
それを聞いた途端、セイディアは、背筋が寒くなるのを感じた。父の顔に鬼気迫るものが浮かんだのだ。これが父の本当の顔なのか。
「父上、私は納得できません」
アガルティナが口を挟んだ。
「指輪を持っているからといって、どうして彼が父上の子だとわかるのですか。父上にそっくりというのならばわかります。ですが、その女に生き写しなだけで、なぜそう断言できるのですか。父上に寵愛されたといっても、所詮はただの旅の踊り子。父上に身を任せたように、他の男に身を任せていないとどうして言い切れましょう」
「黙れ、アガルティナ!」
王はいきり立ち、言葉を継ごうとした彼女の頬を叩いた。が、彼女はやめなかった。
「そうではありませんか。父上! 私は何か間違っておりましょうか」
「うるさいっ」
「アガルティナ、やめなさい」
間に割って入った兄を、アガルティナは睨みつけた。
「兄上が言わないから私が言っているのです。そのような素性もわからぬ馬の骨を王宮に入れてしまったら、どのようなことが起こるかわからないのですよ! そんな弱腰だから……」
「やめろ!」
顔を真っ赤にしてセイディアは叫んだ。その目には妹への憎しみすら浮かぶ。
「お前に言われずともわかっておるわ! 私を愚弄するか」
「そんなつもりはありません。ですが」
「なら黙っておれ!」
愛するものの前で愚弄された怒りが皇太子の心を占めていた。
「……お言葉ですが殿下。私の母は生涯父上だけを慕い続けて亡くなりました。母は、自分が正直者であることを誇りにしておりました。私はそんな母を誇りに思っております」
ファーデスは静かに言葉をさしはさんだ。
「必要であれば調査していただいてかまいません。私は逃げも隠れもいたしません」
「それに」
とその後に続けて、ファーデスの後ろに控えていた黒髪の青年が立ち上がった。
「お言葉ながら、アガルティナ殿下。もし私がフィディアス様の隠し子だと申し上げれば、納得なさいますか?」
そう言いながらアガルティナに近づくと、自然なしぐさで手を取った。アガルティナは目の前の黒装束の青年に目が釘付けになっていた。先ほどまでファーデスに投げていた憎しみのこもったまなざしとは違う。
「あなた、誰?」
「お初にお目にかかります、アガルティナ殿下。私はファーデス様の補佐を務めるピラカ・デ・ケレンティと申します」
優雅に彼女の手に唇を寄せる。
「とにかくこの件でお前たちに口を挟むことは許さぬ。ファーデスを正式に第三王子として認める。よいな」
アガルティナが黙った隙にそれだけ言うと、王はファーデスを伴い、広間を出て行ってしまった。
朝食にも王は彼を横に置き、食事が済むとやはり彼を伴って先に出ていった。王族たちは不満を口々に漏らしながら、個々に散り始めた。
末席での同席を許されたピラカも、気まずい雰囲気と敵意に晒されて、そっと部屋を抜け出した。
「ピラカ様」
後ろから声をかけられて振り向くと、そこには彼女が立っていた。
「アガルティナ殿下」
「先ほどはごめんなさい。とても失礼なことを申しましたわね」
「いいえ、謝らねばならないのはこちらのほうです。皆様のお気持ちも分かりますから。不快でしょう、あなた方には」
「ええ。ですが、父上のスキャンダルは私たちも聞いて育ちました。私たちが同じような行為に走らぬよう、厳しく言い渡されてまいりましたから、戸惑いもし、不快にも思うのです」
「そうでしょうね」
「でも、仕方がありません。あの方の母君と父が駆け落ちに踏み切ったときも周りの言葉には耳を傾けなかったと聞いておりました。言い出したら聞かない人なのです。むしろ私は煮え切らない兄の態度に憤っていたのです。皇太子とはいえ、父上には遠く及びません。兄が王になったときがこの星の終わりですわ」
手厳しい言葉を吐きながら、アガルティナはころころと笑って見せた。ピラカはこの豪胆な女性に心底敬服した。
「あなたが皇太子であればよろしかったでしょうね」
「ええ、父にもよく言われます。お前が男なら、これほど迷わなかったろう、と」
「女王になることはできないのですか?」
「ええ、王家のしきたりで男性でなければならないのだそうです。いずれは私もどこかに嫁ぐことになります。それも遠くはないでしょう」
「それは兄君のご結婚のせいですか?」
「ええ。私がいつまでもここにいては、兄と比べられてしまう。いつか争いが起こらないように。それに、リーシュラ様がと一日中比べられてはかなわないもの」
「そうですか」
ピラカは改めて彼女を見つめた。オルディアが生きていればこれほどの才覚ある女性を手放しはしなかったろう。彼女を手に入れた者は幸せだ。
「でも、びっくりしたわ。あなたのような人が本当にいるなんて」
「それは、どういう意味でしょう」
「肖像画にあるような方なんですもの。肖像画はかなり美化されているといわれているけれど、あなたのほうが美人だわ。お気を悪くしたらごめんなさい。でも、そういう意味合いじゃなくて、あなたほど整った方を見たのは初めてなの」
「気を悪くするだなんて、とんでもない。最高の賛辞と思っております」
「そう。ならよかったわ。……ねえ、あなたはどう思っていらっしゃるの? 父の隠し子だという方を」
アガルティナの直球な質問に、ピラカはやわらかく微笑んだ。
「信じておりますよ。指輪を拝見したこともありますし、調べたことも。あれは偽者ではありますまい」
「そう、じゃあ、認めるしか仕方がないわね」
「指輪が本物だということを、ですか?」
「いいえ、あの方が本当の隠し子だということを」
アガルティナは眉をひそめ、視線を落とした。
「きっとご存じないと思いますけれど、あの鳳凰の描かれた指輪は時期国王の証なのです。本来なら立太子式をしたときに父から兄へ渡されなければならないものなのです。しかし、父は駆け落ちをしている間にそれをなくしてしまったと聞きました。なのに、父はあの女性に渡したといいました。だとしたら、あの方は確かに父の隠し子なのだと思います。
先ほどはああいいましたけど、それが嘘か本当か、誰にも判断のつけようがございませんわ。今までの隠し子と自称する者たちは証拠となるものをまったく持っていなかったり、偽の指輪であしらおうとしていました。ですが、今回は違うのです。父が渡した指輪を持ち、父の記憶のとおりの姿で……。少なくともあの方が父の駆け落ち相手の子であることは確かですもの。そうなれば、父があの方を手放すはずがありません。きっと、私たちの母よりも、あの方の母を愛していたのですわ。よくセイディア兄様が話をしてくれました。当時のこと」
「アガルティナ様……」
「不安なのです。あの方は、私たちを快く思っていないでしょう? 私たちが不快に思っているように。いつか恐ろしいことが起こるのではないかと不安でたまらないのです」
「大丈夫ですよ、きっと」
ピラカはそう言いながら、いずれ来る破局を思った。
部屋に入ると、ファーデスはあてがわれた服に着替えているところだった。
「ファーデス様」
「ピラカか、ちょうどいい。手伝ってくれ」
金糸銀糸に縁取られた白い装束を身に着けていく。仕上げの肩飾りをつけ終えると、ピラカは上から下まで眺めた。
「すっかり見違えてしまいましたよ。よくお似合いです」
「実際、これほど簡単にいくとは思わなかった。王から言われたよ。来週にはお披露目をするのだそうだ。それも庶子としてではなく、正統の王子として」
「正統の、でございますか」
「そうだ、第三王子としてだ」
「……ご満足でございますか?」
「満足?」
ファーデスは笑い、ピラカを見た。
「何に満足したというのだ。まだ始まったばかりではないか」
「そうでございましたね」
応えるピラカの表情は冴えない。
「どうかしたのか? ピラカ。そういえばアガルティナ王女に気に入られたようだな」
「そのようです。どなたかと重ねていらっしゃるようですが」
「うまいこと取り入ることだな。それと、しばらくオルディアの仕事を代行してくれないか。王が離してくれぬのだ」
「わかっております」
そう応えながら、ピラカは自分が落ち込んでいることを自覚した。
ファーデスの増長した姿を嫌悪している自分がいる。これでは他の王族となんら変わらない。
「ファーデス様、お忘れではありませんよね、ご自分の目的を」
部屋を出て行きかけて、ピラカは振り返った。
「覚えておる」
「これまで私が通ってきた道を、王宮の中で安穏としていたやつらにも味あわせてやりたいと、王家の血筋に連なるものだからといって、他の人間の血の上に胡坐をかいている奴らなど、支配者とは呼べぬ、とあなたはおっしゃった。それを忘れてはいませんか」
「忘れてなどおらぬわ」
怒りを吹き上がらせ、ファーデスは答える。
「思い出してください。あなたの歩いてきた道を。今のあなたは他の王族と変わりない。他人の人間の血の上に胡坐をかく王族に便乗しているだけです。甘んじているだけです。それでいいのですか?」
「いいはずがない。私は違う」
「それが、お分かりになればいいのです」
それだけ言い残して、ピラカは出て行った。
自分の部屋へ戻り、身支度を済ませる。このままでは自分がこの王宮にいる意味がない。元のようにホテルに引き上げるか。
やっと王宮に入れた。だが、ファーデスの目指す方向と、自分の思う方向とが少しずつずれ始めている。
ファーデスは、王宮の中に安住することで安定を得てしまった。彼自身が思い立たねば、彼の中に潜む憤りは蘇ってこない。
だが、とピラカは拳を握る。窓の外はコントロールされた雨が地面を濡らしている。
自分の中では怒りと憎しみが日々沸いているのだ。今までになく。
いずれはファーデスを乗り越え、事を起こさねばならなくなるかもしれない。彼が初心を忘れてしまったというのなら、私が二十三年に渡り秘めてきた怒りを、噴出さねばならない。
「あなたが安定してしまっては、何も始まらないのです」
ファーデスにこの怒りをぶつけたくなる。だがもう、遅い。
おそらく、ファーデスの抱えている怒りより、自分の怒りのほうがはるかに大きい。王やその息子たちの顔を見るだけで湧き上がる怒り。もう押さえきれない。
窓に両手をついて見下ろす。ホテルの最上階から見たのとはまた違う、街の姿。
ずれている。ファーデスと、私と。
「ずれ、か」
ピラカは頭を振り、部屋を出て行った。




