1-3
「ピラカ、起きているか?」
養父の葬儀も済んで数日後、夜も更け、そろそろ眠ろうかと思った矢先のことだった。
そっと扉を開けて入ってきたのはファーデスだった。白い寝巻きをまとい、大きな枕を抱えた彼の姿を、ピラカはほほえましく迎えた。
「どうしたのです? こんな夜更けに」
「眠れないんだ」
素直に少年らしく告白すると、彼はベッドに腰かけた。顔はどこか白く見え、いつも生き生きと輝いていた空色の瞳も、今は光を失っている。
それが部屋の暗い照明のせいではないことをピラカは悟った。
「一杯いかがですか?」
黙ったままうなずき、黒髪の青年を見上げる。
差し出された琥珀の液体を手で温める。ピラカは彼の横に腰を下ろした。
じっと琥珀色の水面を見つめる。だが、その瞳は何も見ていなかった。虚ろに開かれているだけだ。
「何があったのです? 眠れないほど気になることでもあったのですか?」
「眠れないんだ。一生懸命眠ろうとして本を読んだり、ブランデーを飲んでみたりもした。時には運動をして体を疲れさせてもみた。数を数えてみたりもした。でも、眠くならないんだ。横になっても目が冴えて……」
「緊張なさってるんですよ。急にオルディア様が亡くなられて、あなたがあとを継ぐことになったのですから」
「そうなのかな」
再びグラスに目を落とす。
「それに、聞いておりますよ。ほとんど食事をなさっていないそうですね。使用人たちが心配していましたよ」
「欲しくないんだ」
「お気持ちは分かりますが、食べなければ体が衰弱してしまいます。それも不眠の原因でしょう」
すると少年はため息をついた。ぼんやりとした明かりの中に、その淡い金髪がほのかに浮かび上がる。
「葬儀の翌日、弁護士や税理士などが来て、相続の手続きをした。色々な書類を渡されて、話もした。そのときに、改めて父の大きさを実感したよ。様々な企業のトップにいて、数万人に及ぶ人々の上に立っていた。それを私が継ぐのだと思うと、不安で不安でたまらないんだ。父の代わりが務まるのか、と。父と同じことが自分にできるのかと」
「大丈夫ですよ」
ピラカは微笑みかけ、この偉大なる小さな後継者を見つめた。
「確かにあなたはこれから数万の人の上に立たなければなりません。でも、あなたが直接彼らと接することはほとんどありません。あなたは今までどおり、普通にしていればいいのです。ただ、オルディア様がしておられた書類の署名などは回ってきますけれど、その他のことは大抵回ってきません。心配などしなくてもいいのですよ。何かあれば、私におっしゃってください。オルディア様の右腕として三年間働いたのですから、微力ながらお力になれると思います」
「ありがとう。お前がおらねば、私は何も分からない」
「そう気張らなくてもよろしいのです。あの方もそうでしたから」
「父が?」
驚いたように少年は彼を見上げた。ピラカは微笑み、うなずいた。
「ええ。仕事の面ではほとんど下の者たちに任せておられました。あの方は、それでも処理できない重要な問題だけを扱っておられましたし、些細なことはすべて、それぞれの責任者に一任しておられました。私は秘書として、あの方の仕事を調整し、私生活の面のお手伝いもしておりました。今度はあなたの補佐として、あなたを側で支える役目となるのですよ」
「……お前に任せていいのだな?」
恐る恐る見上げるその瞳は不安で一杯だった。
「ええ。あなたは自分の思うままに動かれればよろしいのです」
「思うままに?」
「そう、お心のままに」
そういい、ピラカは少年の手から空のグラスを取り上げた。代わりを注ぎ、彼の手に押し付ける。少年はほのかに笑みを浮かべた。
「一度、旅行がしたいと思っていたんだ」
「旅行ですか?」
「そう、私はこの星しか知らない。それもこの町しか。他の町も見てみたいのだ。ハルディルンもフィロデスタも」
「それはいいことです。様々な人と出会うことで色々学ぶことができましょう」
「うん」
「そして、あなたの本当の父だというフィディアス王に会いに行かれるのですか?」
ファーデスはうなずいた。その表情に冷たいものが流れる。
「いつかは会いに行かねばならない。母を思い出してもらうために。そして私を知ってもらうために」
そういって、頬にかかる自分の髪の毛を掴む。母とそっくりの淡い金髪。母はこの髪を腰の辺りまで伸ばしていた。
「だが、まだ行かない。この髪が母と同じ長さになるまで」
「それでは、二年はかかりましょうな」
「二年か。そのほうがいいな。二年経てばもっと私は成長できる。もっともっと様々なことを知らなければならない。何よりこの、父の遺産を切り回すことができなければ、たとえ父にあったところで何もできないだろう」
「そうですね。……あなたならできましょう」
この数年で少年の能力は十分発揮されている。
不意に少年はめまいを感じてピラカに寄りかかった。その手からグラスが落ちる。
ふわっと髪が流れる。ピラカはグラスをテーブルに置くと、彼をベッドに横たえた。数日の不眠が利いたのか、すでに深い眠りに入っていた。
ふぅ、とため息をついてピラカは立ち上がった。転がるグラスを取り上げる。睡眠薬を入れておいて政界だった。
自分のベッドを占領した彼を見下ろす。目の下にくっきりと隈が見える。それほどまでに精神的に追い詰められた少年を休ませるには、この手が一番だ。
ピラカは机に戻った。ファーデスにかからないように明かりを調節して、本を開く。だが、その視線は文字の上をすべるだけだ。
あきらめて本を閉じるとため息をついた。
何気なく髪をかきあげ、苦笑する。黒髪はすでに肩を越していた。特別な意味はなかったが、切る気にはなれなかった。いつか本懐を遂げるまで、おそらくきることはないだろう。この黒髪が自分を縛り付けるのだ。過去の記憶へ、過去の怨念へと。
「あと二年か」
つぶやいてみる。新たなる主人ファーデスがその志を遂げようと動き始めるとき、それは自分にとっても野望の始まりとなるのだ。
その二年がいかなるものになるかは彼にもわからなかった。ただ、一つ一つレンガを積み上げるようにゆっくりファーデスの成長を待たねばならない。だがそれが楽しみであった。彼はどんな大人になるのだろう。どんな君主として君臨するのだろうか。それが見ることができれば……。
それが可能なら、とピラカはため息をついた。




