第15話 ふたりへの採点
「どうぞ、こちらへ」
最初に入ってきたのは、父だった。
「……ハルストン伯爵?」
エドガーの声がかすれた。その後ろから、もう一人姿を見せる。
「父上……」
今度こそ、エドガーの顔から血の気が引いた。レイフォード伯爵――エドガーの父だった。
続いて入ってきたのは、ベルナー家の当主であり、サマンサの後見人でもある叔父だった。
「お、おじさま……?」
サマンサが一歩下がる。
けれど、それで終わりではなかった。その後ろから、王都でも有数の大商会の商会長が姿を見せた。
「……商会長」
エドガーの唇がわずかに開く。
そして最後に入ってきた女性を見た瞬間、サマンサの顔が真っ白になった。
「どうして……」
つい先ほどまで自慢げに話していた、縁談相手の母親だった。
五人が部屋へ入る。さっきまで必死に言葉を重ねていた二人が、揃って黙り込んだ。
私はサマンサを見た。
「サマンサ。さっき、最初からちゃんと聞けば分かると言ったでしょう?」
「……え?」
「途中から聞いただけでは、分からないこともありますものね」
サマンサの表情が強張った。
「ですから皆様には、最初から最後まで聞いていただきました」
「……最初から?」
「ええ。隣のお部屋で。お二人が私の手紙を広げてお話を始めたところから、私がこの部屋へ入ったあとも、ずっと。一部始終です」
サマンサの唇が震えた。
「そんな……」
「父上!」
エドガーが弾かれたように声を上げた。
「違います。すべて誤解です」
頬にはまだ、鼻血を拭った赤い筋が残っている。
「確かに、誤解されるような言い方はしました。ですが、全部が言葉どおりの意味ではありません。ふざけて言ったこともありますし、言い方が悪かっただけのものもあります」
一気に言ってから、さらに続ける。
「リディアも、突然あんなところを見て、そのうえ今の話まで聞いて、全部を悪い方へ受け取ってしまっているだけです。私がきちんと説明すれば、分かってくれます」
縋るように父を見る。
「リディアは、事情も聞かずに人を決めつけるような人ではありませんから」
次の瞬間、レイフォード伯爵の平手がエドガーの頬を思いきり打った。
鋭い音が部屋に響く。
エドガーの顔が大きく横へはじけた。勢いに耐えきれず、その場に膝をつき、片手を床につく。
打たれた頬が、みるみる赤く染まっていく。止まりかけていた鼻血もまた流れ出し、ボタボタとシャツの胸元へ落ちた。
「……父上」
「黙れ」
エドガーが呆然と父を見上げる。
「これだけのことをしておいて、まだリディア嬢の受け取り方のせいにするのか」
「違っ……私は、そういう意味で――」
「黙れと言っているんだ!」
レイフォード伯爵の怒声が飛んだ。
エドガーは口を閉ざした。
私は卓上へ目を落とす。赤い文字。花丸。何度もつけられた評価。
「では、早速お二人の採点をお願いしてもよろしいでしょうか」
二人の顔が強張った。
私はまず、レイフォード伯爵へ視線を向ける。
「レイフォード伯爵。エドガー様は、婚約者として何点でしょう」
レイフォード伯爵は、床に膝をついた息子を見下ろした。
「零点だ」
エドガーの肩が揺れた。
「父上……」
「婚約者の信頼を利用し、その留守に親友と関係を持った。それだけでも零点だ。まして、その真心まで笑いものにした」
冷たい声だった。
「跡取りとしても不合格だ。人から寄せられた信頼を利用し、裏切ったあとでさえ言葉で取り繕おうとする者に、レイフォード家を任せることはできない」
「待ってください、父上。私は――」
レイフォード伯爵は答えず、私へ向き直った。
「リディア嬢」
深く頭を下げる。
「息子があなたにしたことを、父親として心よりお詫び申し上げる」
ゆっくりと頭を上げた。
「今後、息子と顔を合わせることも、言い分を聞くことも、あなたに求めるつもりはない。婚約の解消を望むなら、レイフォード家は異を唱えない。解消に伴う条件についても、そちらの意向を尊重する。必要な償いは我が家が負う」
「父上!」
エドガーの顔色が変わった。
膝をついたまま父の足元へにじり寄り、上着の裾を掴む。
「待ってください。それだけは……それだけはおっしゃらないでください」
「手を離せ」
「父上、お願いです。婚約は両家で決めたものでしょう。父上までそんなことをおっしゃったら……」
言葉が途切れる。
それでも裾を掴む手は離れなかった。
「私は、リディアと離れたくありません!」
部屋に声が響いた。
レイフォード伯爵の眉間に、深い皺が寄った。
今さら何を言っているのかとでもいうように、息子を見下ろす。
「それを決めるのはお前ではない」
「父上……!」
「離せ」
レイフォード伯爵は、掴まれた上着をその手から引き抜いた。エドガーの手が、力なく床へ落ちる。
私は次に、サマンサの叔父へ向き直った。
「では、叔父様。サマンサは親友として、何点でしょう」
「リディア、違うの!」
サマンサが慌てて声を上げた。
「お願い、ちゃんと私の話も聞いて。あなたを傷つけるつもりなんてなかったの。私、本当にあなたのことが大好きで――」
「零点だ」
叔父の声が重なった。
サマンサが固まる。
「……おじさま」
「親友の恋文を笑い、その婚約者と二年も関係を続け、知られなければいいとまで話していた」
叔父はサマンサを見た。
「私が聞いたのはそれだ。説明は要らない」
「でも……」
「後見人としても、お前をこれまでどおり扱うことはできない」
サマンサの顔が青ざめた。
叔父は私へ向き直り、深く頭を下げる。
「リディア嬢。この娘があなたの信頼を裏切り、婚約者との関係を続けていたことについて、後見人として心よりお詫び申し上げる」
サマンサが口を開く。
「待ってください、それは……」
「今はお前に話していない」
サマンサの口が閉じた。
「この件については、後日改めてハルストン伯爵とも話をさせてほしい。必要な償いはこちらで負う」
叔父はもう一度、私を見る。
「あなたに、この娘を許してほしいとも、以前のように付き合ってほしいとも申しません。これ以上、この娘のために心を煩わせる必要もありません」
再び頭を下げる。
「本当に、申し訳ありませんでした」
サマンサの目が大きく揺れた。
私は小さく頭を下げ、商会長へ向き直る。
「商会長様。商いに必要な信用という点では、何点でしょう」
エドガーがびくりとした。
「商会長、待ってください。私は商会では必ずお役に立てます。これは私生活の話です」
「人の信用をどう扱うかという話が、商いと無関係だとお考えですか」
エドガーの口が止まった。
商会長は静かに彼を見る。
「先ほど、ずいぶん興味深いお話をなさっていましたね。信用とは、相手に信用できる人間だと思わせれば成立する――でしたか」
「それは……」
「では、採点しましょう」
「信用。零点です」
エドガーの顔から血の気が引いた。
「重い責任を任せる人間としても、不合格です」
「待ってください。私は――」
「少なくとも私は、あなたを信用できません」
商会長は淡々と告げた。
「将来、重役として迎えるという話は白紙に戻します」
「そんな……」
エドガーが呆然と呟いた。
私はサマンサの縁談相手の母親へ向き直る。
「奥様。息子様の妻として迎える方としては、何点でしょう」
サマンサが大きく息を呑んだ。
「奥様、違うんです。先ほどの話は、その……冗談で――」
「零点です」
夫人が静かに遮った。
サマンサの顔が真っ白になる。
「夫の前では妻らしく振る舞っていれば疑われない。そうおっしゃっていましたね」
「あれは、本当に冗談で……!」
「結構です。あなたの冗談がどういうものなのかも、十分分かりました」
「奥様……」
「息子の妻として迎える相手として、不合格です。この縁談は、こちらからお断りいたします」
「そんな……待ってください」
サマンサが一歩出る。
「私、ちゃんとします。結婚したら本当に――」
「その『ちゃんとする』という言葉を、私はもう信用できません」
サマンサの足が止まった。
私は最後に、父を見る。
「お父様」
父は、ここへ入ってきてからずっと黙っていた。
「お父様は、お二人に何点をつけますか」
父はエドガーを見た。それからサマンサを見る。
「零点だ。二人とも」
二人が顔を上げた。
「娘の人生に関わる人間として、零点以外はつけられない」
父の声は低かった。
「二年間、リディアが何を支えにして頑張っていたのか、お前たちは知っていた」
そこで言葉を切る。
「知っていて、笑った」
それ以上は何も言わなかった。
父は私を見る。
「リディア。もう誰にも遠慮しなくていい。あとは、お前が決めることだ」
「……はい」
私は卓上に広げられた手紙を見た。
婚約者として、零点。
親友として、零点。
信用も零点。
跡取りとして不合格。
重役としても不合格。
妻としても不合格。
採点は、きれいに揃っていた。
「皆様、ありがとうございました」
私は顔を上げ、エドガーとサマンサを見る。
「では、最後に私からも採点させていただきますわ」
二人が揃ってこちらを見た。
私は二人に微笑んだ。
「私は、お二人に満点を差し上げます」
「……え?」
エドガーの目がわずかに見開かれた。
サマンサも、しばらく私の顔を見つめている。
二人の強張っていた表情が、ほんの一瞬だけ緩んだ。
ここにいる全員から零点をつけられても、私だけは違う答えを出すと思ったのだろうか。
「花丸つきで」
「……リディア?」
サマンサの声に、かすかな期待が混じった。
私は赤い花丸へ目を落とした。
「私が何ひとつ申し上げなくても、皆様の答えは揃いましたもの」
二人を見る。
「お二人がどれほど信用ならない方々なのか、ご自分たちの言葉だけで、誰が聞いても同じ答えになるほど分かりやすく証明してくださいました」
サマンサの表情から、先ほどの緩みが消えた。
エドガーも言葉を失っている。
「これほど分かりやすい答案はありませんわ」
サマンサの頬には、赤いペンの筋。
エドガーの頬には、血の筋が残っていた。
私はにっこりと笑った。
「A+、花丸です」




