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第10話 餌

「今回の餌は何にする?」


 赤ペンを手にしたサマンサが、楽しそうに身を寄せ、便箋を覗き込む。


「そうだな。帰国したら一番に会いたい、あたりか」


「それ、この前書いたわ」


「じゃあ、早く会いたい」


「それも」


「そうだったか?なら、何でもいい。それらしく書いておいてくれ」


 エドガー様は、面倒そうな顔をした。


「それらしく?」


「優しいことを書いてやればいい。あいつは勝手に意味を深くする」


「大事な餌の割には適当ね。あの子はきっと、その一文を何度も読むのに」


「読むなら、誰が書こうと同じだ」


「ひどい婚約者」


「それでも、リディアにとって俺は最愛の婚約者だろう」


 エドガー様は、何でもないことのように言った。


「演じているだけなのに?」


「ばれなければ同じだ」


「そのうちボロが出るわよ」


「お前こそ気をつけろよ」


「言われなくても分かっているわ」


 サマンサが、くすりと笑った。


 私は扉の外で、動けなかった。


 頭が、その言葉を理解しようとするのを拒んでいた。


「今では、お前の方が、あいつの欲しがる言葉をよく知っているだろう」


「まあね」


 サマンサは得意げだった。


「リディア、手紙には何でも書いてくるもの。寂しいとか、不安だとか、早く帰りたいとか。エドガー様に会いたいけれど、あまりそのまま書いたら、はしたないかしら、って」


「相変わらず堅いな」


「そこがいいのよ」


 サマンサは、便箋の端に指を置いた。

 そこに書かれた言葉を、指先で確かめるようになぞる。


「あの子、迷うの。こんなことを書いたら重いかしら、嫌われないかしら、って。だから私が言ってあげるの。大丈夫よ、リディア。あなたの気持ちなら、きっと伝わるわ、って」


 サマンサは楽しそうに言った。


「そうしたら、あの子は安心して書くの。あなたへ」


「それを、お前が読むのか」


「ええ。そして、あなたの名前で返す。あの子が一番欲しがっている場所に、私の言葉が入っていくの」


「何が楽しいんだか」


「わからなくていいわ。あの子は私の言葉を、それはそれは大切に抱きしめるの。泣いたり、喜んだりしてね」


「それがいいのか」


「ええ。たまらないわ」


「いい親友だな」


「あら、親友だからこそよ。あの子が誰にも見せないところまで、私が入り込んでいたいの」


 エドガー様が鼻で笑った。


「そう思うと、あの子が縋っている最愛の婚約者様って、本当にあなたなのかしら」


「何?」


「名前はあなた。でも、その中身は私よ。リディアは、私の言葉をあなたのものだと思って愛しているでしょ?」


「調子に乗るな」


「あら。悔しい?」


「あいつが待っているのは、俺からの手紙だ」


 サマンサの手が止まった。


「そういうところ、気に入らないわ。あの子があなたを見るのを、疑いもしないところ」


「疑っていないから、今も手紙のやり取りが続いているんだろう」


「私のおかげでもあるわ」


「俺から届く返事だからだ」


「本当に嫌な人」


「今さらだろう」


「だから、確かめたくなるのよ。あの子がどこまで信じるのか」


 私は息をすることも忘れていた。


 扉の向こうでは、会話だけが続いている。


「それにしても、リディアを向こうへやって正解だったな」


 エドガー様が言った。


「王都にいたら、あいつは俺を見すぎる」


「四六時中、理想のエドガー様でいなければならないものね」


「結婚まではな」


 エドガー様は、軽く言った。


「妻にしてしまえば、多少俺が理想と違っても、あいつは離れられない。だが、その前に近くにいられると面倒だ。遊びも自由にできなくなる」


「だから、留学を勧めたの?」


「迷っていたからな」


 エドガー様は、私の手紙から目を離さなかった。


「外へ出るべきだ。君の力になる。俺の隣に立つためにも無駄にはならない。そう言えば、あいつはそっちへ傾く」


「背中を押しただけ、というわけね」


「押せば動く背中だったんだろう」


「よく言うわ」


「事実だ。離しておけば、勝手に俺のことを考える。俺に釣り合う女になろうとする。戻る頃には、前より使える女になっている」


「しかも、前よりあなたを好きになって?」


「ああ」


「会えない時間が愛を深めた、というわけね」


「まあ、そういうことだ。」


 エドガー様が笑った。


「他の男を好きになったらどうするつもりだったの?」


「あり得ない」


 迷いはなかった。


「あいつはそういう女じゃない。一度主人だと決めた相手を、間違えるような女じゃない」


「ずいぶん自信があるのね」


「実際、ちゃんと待てただろう」


「従順な子犬ちゃんね。待て、がとても上手で」


「子犬か。可愛いな」


 エドガー様は否定しなかった。


「俺を好きなまま、二年も待っていたんだからな。帰ってきたら、少しは可愛がってやるか」


「じゃあ、ついでに私も可愛がってくださるかしら?」


 サマンサが甘えるように言って、エドガー様にもたれかかった。


「あら、これ」


 その拍子に、エドガー様の胸元のポケットから細い紐がのぞいた。


 サマンサがそれをつまみ上げる。


 小さな花のしおりだった。


 留学先の庭で見つけた、青白い花。

 風にしなっても折れずに立っていた姿を見て、私もそうありたいと思い、押し花にしたもの。手紙と一緒に、エドガー様へ送ったものだった。


「これ。まだ取ってあったのね」


「戻せ」


「あら、珍しいわね」


「帰ってきたあとで見せる」


「ちゃんと取ってあった、って?」


「ああ」


「大事にしてくれている、ってあの子が勝手に喜ぶのね」


「実際そうだろ。あいつはこういう些細なことで満足するんだから、楽だ」


「大事な餌だ。戻しておいてくれ」


 大事な餌。


 サマンサは楽しげに笑い、しおりを胸元のポケットへ戻した。


「でも残念。これでは今日の部屋代にもならないもの」


 サマンサが、机の端の小箱を見た。


 見覚えのある箱だった。


 青い石を嵌めた銀のカフス。

 最近の手紙に添えて送ったものだ。

 商会で受け取った手当で買ったものだった。


「これなら、今日の部屋代くらいにはなるでしょう? 売ってもいいかしら」


「売りたければ売れ。金に困っているわけでもないがな」


「本当にどうでもいいのね」


「リディア本人が手元に入るなら、そんなものに興味はない」


「なら、役に立ってもらいましょう」


「前の贈り物も、ずいぶん役に立ったものね。最初に送ってきた万年筆も、手帳も、ほかのものも」


「どうせ同じような贈り物は、ほかにもある」


 サマンサは、カフスを見下ろした。


「でもこれ、リディアが自分で稼いだお金で買ったものでしょう?」


 息が止まった。


「手紙に書いてあったわ。自分のお金で、あなたに贈るものを選べたのが嬉しかったって」


「よく覚えているな」


「忘れないわよ。あの子がどんな気持ちで選んだか、よおく知っているもの」


「それを宿代にするのか」


「ただ売るより、いいでしょう」


「そういうことか」


 エドガー様が、呆れたように息を吐いた。


「リディアが一生懸命稼いだ金で、俺のために買ったものを、俺とお前の逢瀬に使う。それがいいんだな」


「ええ。それがいいの」


 サマンサは悪びれなかった。


「悪趣味だな」


「そう。悪趣味なの、私」


「好きにしろ。リディアに見せるものが二つ三つ残っていればいい」


「あの子、本当にそれだけで喜ぶものね」


「ああ」


「本当に、安上がりな婚約者ね」


「扱いやすい」


 サマンサが箱の蓋を閉じた。


「あなたに何でも差し出すつもりでいる女。信頼も、将来も、初めても」


 そこで、サマンサの調子が変わった。


「俺の婚約者だ」


「でも、お堅いところは嫌いなんでしょう?」


「好きじゃない。真面目すぎるし、面倒だ」


「でも手放さないのね」


「手放す理由もないだろ。あれだけ俺に熱を向けて、何でも差し出すつもりでいる女を。仕事を手伝わせて、そのままいつでも手元に置いておけるなら十分だ」


 私は目を閉じた。


「今はあんなに真面目ぶっていても、夫婦になればどうとでもなるだろう」


「ねえ、あとでちゃんと教えてくださいな」


 サマンサが囁いた。


「昼の勉強はあんなに熱心だったのですもの。あなたの手ほどきで、夜の方がどれだけお上手になるのか、親友としてとても気になるわ」


 サマンサは、そこで言葉を切った。


「それに、あなた、夜はしつこいもの。リディア、耐えられるかしら」


 視界が、ぐらりと揺れた。


「もう、その辺でいいだろ」


 エドガー様が言った。


「リディアの話は十分だ。家には商談だと言って出てきている」


「まあ」


「では、商談の続きをしましょうか」


「ああ」


 衣擦れの音がした。


 扉の隙間から、サマンサの腕がエドガー様の肩にかかるのが見えた。


「あなたとの商談は、いつも長いのよね」


「好きなくせに」


「そうね。嫌いではないわ」


「親友と婚約者のこんなところ、リディアが見たら泣いてしまいそう」


「見るわけない」


 その言葉のすぐあと、扉の隙間から、薄い絹が床へ落ちるのが見えた。


 そこで、もう耐えられなかった。


 私は踵を返した。

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