File090 〜嗚呼、子ども達への背徳感!〜 4
「まず、状況をひとつずつ整理するところから始めましょう」
カーラ・コフィ(Carla Coffey)はパソコンを開き、二人の顔を交互に見た。
「ポージーちゃん、もう一度サイトへのアクセス方法を教えてくれる? そのサイト、本当にあるのか実際に見てみよう」
「でもそれは......」
レイシーがすぐに口を開いた。
「レイシーちゃんは開けなかったんだね」
カーラは頷き、ポージーはサイトにたどり着くまでの手順を説明した。検索バーにボランティアに関する単語を入れ、簡単に済むという条件に当てはまるように検索結果を出す。続いて、表示順を変えて、マイナーなサイトが上に来るようにする。
カーラは二人に画面を見せながら、一つ一つ丁寧にサイトを見ていった。危険な広告が出ても構わず、彼女はマウスを素早く正確に動かしていく。
「あっ、これです!」
知っている画面が表示された時、ポージーは叫んだ。画面に表示されているのは、例のサイトである。名前や生年月日、血液型を入れる欄がきちんとあり、サイトの下部にはあの言葉が並んでいる。
「書き込んだ情報で、世界の誰かが助かります......どうかあなたの力を貸してください......」
レイシーがそれを読み上げた。
「世界の誰か......」
カーラが口に拳を当てて考えこんでいる。
「これが、ボランティア?」
レイシーの目はポージーを見た。「う、うん」と頷くポージー。長く忘れていた恥ずかしさが湧き上がる。
「どうして開けたんだろう。レイシーちゃんは開けなかったって言っていたよね」
「はい、今のと同じ手順を踏んで探しましたけど、ダメでした」
「お家のパソコンを使って調べたの?」
「はい......リビングにあるパソコンです」
リビング、とカーラは再び神妙な顔つきで画面に目を戻す。ポージーは「私は自分の部屋のパソコンで」と付け足した。
その時、
「カーラ、ちょっと良いか」
バレットが部屋の扉を開けて、顔を覗かせた。ポージーの目は瞬時に彼の足に向くが、扉の影になって見えなかった。
「あっ」
「あっ」
カーラとレイシーの声がして、ポージーはパソコンに目を戻す。何故か、画面が真っ暗だった。画面には、「シャットダウン中」の文字が浮かんでいる。
「落ちた......」
ポージーはそれを見て思い出した。あのサイトに情報を入れた時、自分のパソコンも突然落ちたことを。
それを説明すると、カーラもバレットも顔色を変えた。
「まず第一に、俺が大人だからかもしれないな」
ポージーは悪寒がした。
「とにかく、もう一度サイトに入れるか試してくれ」
「分かりました」
カーラが再度サイトを開こうとするが、それはいくら探しても見つからなかった。コピーしておいたURLを入れても「お探しのページは存在しません。」と背筋も凍るようなエラーメッセージが表示される。
「ダメか。実は、俺たちの方でも少し進展があったんだ。カーラだけ、ちょっと来てくれるか?」
「分かりました」
カーラは頷いて、二人を振り返る。
「ちょっとだけ待っててね」
ポージーとレイシーは頷いて、彼女を見送った。扉が完全に閉まると、パソコンの低いノイズ音だけが残った。
ポージーは、そっとパソコンのキーボードに手を置いた。レイシーは止めなかった。
検索バーに単語を入れて、検索結果を入れ替える。すると、例のサイトはすぐに出てきた。
「やっぱり......」
「大人の目があるとダメなんだ」
二人は顔を見合わせる。いつもは冷静なレイシーの顔も、青ざめていた。
「私が調べたのはリビングのパソコンだった。リビングに、お母さんが居たの」
「私は部屋で一人で調べたよ」
大人の目がある場所では、サイトは一切開くことができない。
信じられなかった。パソコンに目でも付いていない限り、そんな技ができるわけが無いのだ。
二人はこの異常な出来事を飲み込もうと必死だった。自分たちが過去に見てきた科学的な理由で説明がつかないか、片っ端から当てはめてみるも、どれも空振りに終わった。
「私、もうひとつ気になることがあるんだ」
ポージーはパソコンを見つめたまま言った。
今ならどんな不思議なことも、笑わずに聞いてもらえる気がする。
「強盗に襲われそうになって、研究員の人が助けてくれた時にね、私、自分の体から毛糸が出ているのに気づいたの」
「毛糸?」
レイシーは眉を顰める。「うん」とポージーは、自分の体を見下ろした。何処にもそれらしいものはついていなかった。
「赤色の毛糸......確かに見たの。それに、一度だけじゃない。あなたと友達になった日、下校のバスの時刻が迫って、廊下を走った時_____あの時、アーリンの仲間のひとりとすれ違ったでしょ」
ポージーは、敢えて名前を伏せた。レイシーは当然良い顔をしないし、それに、その子は既にこの世に居ないのだ。
「その子からも、毛糸が出てた」
「それ......」
「アーリンからも」
ポージーは目を閉じて、より鮮明に状況を思い出そうと努めた。音楽室で、彼女の服の裾から伸びていたのは、ピンク色の毛糸だった。
「どう思う?」
「関係はあるかもしれない。それ、研究員さんたちに言わないと」
「うん」
ポージーは立ち上がったが、体が思うように進まない。右腕を、レイシーが座ったまま掴んでいるのだ。彼女の黄色い目には、強い意志が宿っている。
ポージーは、そっと椅子に戻った。
扉の外には、いつだって死神が立っている。
*****
「大人だけが入れるサイト......ですか?」
カーラは隣を歩くバレットを見上げた。
彼は足を軽く引きずっていた。カーラを呼びに来た時に足をポージーに見せなかったのは、彼女の自責の念を深めないためなのだろう。まだ包帯には、痛々しく血が滲んでいる。
「うん、長い間闘病生活に苦しんでいた人たちのブログに、次々変なURLが送り付けられてきたんだと」
どうやら、バレットはもうひとつ不気味なサイトの情報を得たらしい。それは、最近話題になっている都市伝説だった。
「そのサイトに情報を書き込んだ人は、まるで病気が嘘だったみたいに体が回復するらしい」
まるで、ポージーたちのサイトとは正反対である。死の淵に居た人間が、死から遠ざかっているのだ。
カーラは、似たような話を思い出した。それは、家での夕食の席で聞いた話である。
「ベティさんがこの前言っていました。最近、異様に治りが早い人が居るって。明らかな大怪我をしているのに、数日後にはケロッとした顔で診療所に顔を出すって......」
「俺も数人から似たような話を聞いてる。ジェイスさんも、少し前から目を光らせてた」
複数の現象が絡んだ事態はそう珍しいものでもない。しかし、これはいち早く気づかなければ、厄介なことになる気がする_____。
既にポージーは、二度も命の危険に晒されているのだ。彼女には部屋の外に出ないように言っているものの、一般人の彼女には研究員と同等の危機感は求められない。
「ここだ」
バレットが足を止めた。しかし、すぐに扉を開けはしなかった。
「俺らの方が辿り着いたサイトは、年齢制限がある。ポージーたちのサイトとは反対に、大人だけしか入れない」
どういうことか分かるな、とバレットは問う。カーラは頷いた。
扉を開けて、さっきのようにパソコンがシャットダウンする可能性がある。カーラはまだ子どもに分類されるのだ。
バレットはドアノブに手を置いて、ゆっくりと捻った。扉の隙間から、ラシュレイとジェイスの後ろ姿が見えた時、二人が同時に「あっ」と声を上げた。
バレットは、そこで扉を全開にした。小さなミーティングルーム。テーブルの上には、一台のパソコン。その画面には「シャットダウン中」の文字があった。
*****
ピンポン、とチャイムが鳴った。数十秒の間があって、扉が細く開く。奥から人の目が覗くと同時に「でえええっ!!」と歓喜の声が上がった。
「ベティ先生じゃないですか!?」
素早くドアチェーンが外され、扉は全開になる。外に居たのは、彼が愛して止まないベティ・エヴァレット(Betty Everette)である。彼が些細な怪我だろうが大病と偽って、足繁く通う診療所の女医であり、ここらでは専ら有名な美人である。
「なんでここに!? 俺の住所、どうして知ってるんです!?」
ベティはコートの襟に口を埋めていた。急いで出てきたらしい。髪が乱れ、息が軽く上がっている。
「カルテに書いてんのよ」
「そんな個人的な理由でカルテを使っても良いんですか......!?」
何やら勘違いをしている男に、ベティは冷たい視線を送った。
「アタシが知りたいのは、アンタがどうやってあの大怪我を数日で治したかっていうことだけ。急ぎなの。さあ、さっさと教えなさい! どんな魔法を使ったのよ!?」
ベティが人差し指を彼の鼻先に突きつけた。男は何処か嬉しそうにその演技に付き合っている。
ベティが彼を尋ねたのは、カーラからの一本の電話が原因だった。勤務が終わり、家に着くや否や着信があったのである。
何やら、彼女は今不可解な超常現象を追っているらしい。何人もの_____しかも、子どもの命が危険に晒されていると聞けば、名医シャーロットの助手の魂が黙っているわけがない。
カーラの依頼というのは、ベティの診療所で最近、異様な回復力を見せた患者に話を聞いて欲しいというものだった。
彼女との夕食の際に、ベティが軽く漏らした話を思い出したのだろう。たしかに、一人知っている。
急を急ぐというので、ベティは車を引き返してカルテを調べ、ここまで来たのだ。
この男はベンジャミンといった。彼はついこの間、仕事中に大怪我をしてノースロップ内の大きな病院に運ばれた。しかし、その出来事の数日後、完治した状態でベティの診療所に姿を現したのだ。
ベティは彼の異常性を認めてもう一度病院で診てもらうように紹介状を出したのだが、やはり何事もなかったのだろう。彼の体はすっかりよくなっていたのだ。
「アンタが何かを隠しているっていうのは分かってんのよ」
「ちょ、ちょっと待ってください! なんのことです!?」
家に押し入ろうとするベティを、ベンジャミンは止めた。夕食時だったのか、シチューの香りが漂っている。
「アンタが病院に運ばれて行った時、アンタが何かをしたってのは事実なのよ。さあ、教えなさい!! 子猫ちゃんたちが困ってんだから!!」
「子猫ちゃんたちっ!?」
ベンジャミンは訳が分からないと顔を左右に振り、あの日を思い出そうと唸り始めた。
「うーん......でも、断片的にしか思い出せませんよ。救急車の中で救急隊の人と話をしたとか、気づいたらベッドの上で......とりあえず、携帯電話で家族に近況を知らせて......すごく苦しかったので、ほとんど動けなかったんですけど、知り合いには片っ端から連絡をしました。そしたら......」
「そしたら?」
ベティは彼に一歩近づく。既に家の中に入っている。
「そしたら、えっと......うーん」
「何なの? 思い出せないの?」
「残念ですけど......」
ベティは大きなため息をついた。回復力が異常であることは認める。しかし、これでは新しい情報はひとつも無い。
「分かった、じゃあ、アタシも知っていることを思い出しましょう。大怪我をした数日後に、アンタはアタシの診療所に顔を見せに来たわね?」
「そうでしたね。ベティさんが、僕のセーターを突然捲り上げて......」
「再現しなくて良いわよ」
恍惚とした表情で自分が着ている服を捲ろうとする男の手を、ベティはパシッと叩いた。
「あの後、アンタはちゃんと病院に行ったのよね」
「もちろん。ベティさんの紹介状をお医者さんに見せて、きちんと検査をしてもらいましたよ」
「異常はあったわけ?」
「ありませんよ」
まあ、これだけ元気そうならばそうなのだろう。
ベティは頭を搔いた。
そして、彼がけろりと診療所に顔を出した時のことをもう一度なぞった。
「そういえば......アンタ、あの時こう言ってなかった?」
_____どうも奇跡が起きたみたいでね。今日の朝起きたら、何もかもすっかり良くなっちゃって。
_____とにかく、死ぬのが嫌だったから思いつく限りの方法は試したんだよね......神に祈ったりさ。
ベンジャミンは、それを聞いて頷いている。
「まあ、あれだけ死に近づくと、困った時の神頼みってやつがしたくなるんですよねえ」
彼は小さく笑った。
「誰でも良いから、どんな方法でも良いから生かして欲しいって、思っちゃうんですよね」
その時、ベティの手の中で携帯が震えた。
「もしもし?」
『ベティさん、カーラ・コフィです』
「子猫ちゃん、どうしたの?」
顔を近づけようとするベンジャミンの顔を手のひらで押さえつけながら、ベティは耳に意識を集中させる。
『毛糸が......その方の家に、毛糸で作られたものはありませんか?』
ベティは、ベンジャミンを見た。
彼は、あの日と同じ格好をしていた。
『例えば、セーターとか』
*****
レイシーが部屋に飛び込んできたのは、カーラたちがサイトに関する闘病者のブログを読んでいる最中だった。扉が勢いよく開かれて、彼女が肩で息をしながら入ってきたのである。
「レイシーちゃん!?」
カーラが急いで彼女に駆け寄るが、彼女は言葉を紡ぐのもままならないようだった。施設を探し回ったのだろう。彼女は何かを必死に伝えようとしている。カーラは彼女の口に耳を近づけた。
「ポージーちゃんが......戻ってこない?」
カーラは振り返った。ジェイスとバレット、そしてラシュレイの顔が曇っている。
それから、ポージーの探索が始められた。どうやら、彼女はレイシーと途中まで一緒に仮眠室に居たようだが、トイレに行くといって部屋を出たそうだ。
緊張で腹が痛いと言っていたので、レイシーもそれを許してしまった。部屋を出ないように固く言われていたのだが、体調に関わると判断したのだろう。ついて行こうとしたが、「大丈夫」と制されたという。
それから十分、二十分と経過して、レイシーは彼女を迎えに行くために最寄りのトイレに向かった。しかし、ポージーはそこには居なかった。
「似たような造りの施設だし、部屋に戻る途中で迷っちゃったかな?」
ジェイスは、なるべく皆を安心させるよう努めた。
「超常現象が保管されてる方に行かれるのが一番まずいですね」
と、バレット。彼は足の痛みに顔を歪ませながら、今起こり得る最悪の事態を想像していた。
ポージーとレイシーを匿っていたのは、B.F.のエントランスから離れた場所である。立て続けに起こった彼女への事故が、全て外部のものであることを鑑みて、外部から彼女を遮断させたのだ。
しかし、それはもうひとつ別の問題を引き起こす可能性があった。
B.F.の深部に行けば行くほど、そこは研究員たちだけが入れる危険なエリアとなる。収集された超常現象が、彼女の現在の特異体質に引き寄せられた場合を考えれば、最悪の事態はいくらでも考えられるのだ。
不幸なことに、B.F.は退社時間をとっくに過ぎている。研究員たちの目がない状態で動き回られると、この広大な施設で一人の人間を見つけるのは困難だ。
「俺、研究所の方見てきます」
「俺も行く! バレットとカーラは、エントランスの方を探してきて!」
ジェイスとラシュレイが廊下を走っていく。バレットの足では、万が一のことがあった場合に動けないと判断したようだ。
「防犯カメラ確認するか?」
「放送室で呼びかけましょう」
「いや、反応すると思えないな。明らかに言動が変だ」
バレットは近くの壁に寄りかかり、固定電話を操作する。まだ残っている研究員に呼びかけるのだろう。
「レイシーちゃん、あの子、他に何か言ってた?」
カーラは、レイシーの顔を覗き込む。物静かな子で、感情をまるで見せない彼女でも、目の中が潤んでいた。
「毛糸の話をしていました」
「毛糸?」
カーラは眉を顰める。
「あのサイトに情報を書き込んだ子の体から、毛糸が出てるって」
レイシーの目から、ついに一粒の涙が零れた。
「ポージーも、自分の体から毛糸が出ているみたいです」
カーラはバレットを見た。彼は何故か、此方を向いて口をぽかんと開けているのだった。
*****
足がふらふらと揺れている。丸まった背中に、今に羽が生えてくるのではないかと錯覚しそうになるが、羽など生えてはいけないのだ。
自分は死ななければならないのだから。
ポージーは揺れる足から視線をずらし、自分の服の裾から伸びる赤色の毛糸が、ひとりでにエントランスのゲート潜り、外に向かっていくのを眺めていた。
毛糸は生き物のように地を這って、壁にぶつかると方向を変えて、目的地へ向かおうとしていた。その姿が可愛らしい。迷いながらも、救済を求める人間の元へと確実に向かっていくのである。
どのくらいそうしていたのだろう。
くんくん、と体の内側が引っ張られる。体の中の毛糸玉が無くなったのだ。あとは、これを切り離すだけだ。己の命に繋がっている毛糸の終わりを。
「ポージーちゃん、待って!」
手すりを離そうとしていた手が掴まれる。赤いリボンの少女が、息を切らしてそこに立っていた。
彼女は手を握ると同時に、腰に腕を回してきた。
「ここから降りよう。危ないからね」
「助けないと」
「それは、大人を助けるの? 困っている人を?」
ポージーは頷いた。尻をじりじりと前にずらした時、眼下で黒い影がチラチラと動いた。毛糸を踏みながら、研究員たちが分厚いマットを引きずり歩いているのだ。
ポージーが場所をずらすと、マットも場所を動かした。
「ポージーちゃんが、命に変えてまで誰かを救わなくても良いんだよ」
少女はそう言って、ポージーの腰に回していた手を動かし始めた。その指先は服の裾を手繰り、とうとう毛糸を摘んだ。左手で毛糸を摘み、右手には_____ハサミを持っている。
「あっ!」
ポージーは咄嗟に彼女の右手を掴んだ。突然の事で反応ができなかったのだろう。右手からハサミは抜けた。
死の邪魔をされるなら、自分から迎えに行くまでだ。
「ダメ!」
カーラがすぐに彼女の腕からハサミを取り上げようとする。ポージーも激しく抵抗した。二人の足が、存在しない地面を踏む。
揉みあったまま、二人は階段を転がり落ちた。踊り場にやってくるや否や、ポージーはカーラの体によじ登る。
刃がポージーの頬を掠め、カーラの右瞼を切り裂いた。
「ポージーちゃん!」
人の力ではなかった。容易にカーラの体はポージーに敷かれ、右腕が足で押さえつけられ、左手だけが自由だった。
ポージーは、カーラの左手を上手く避けながら、刃を自分の喉へ向くようにして、柄の部分をしっかりと両手で持つ。
しかし、ふと気がついたのだ。自分の体から、いつの間にか毛糸が抜けている。
素早く目を走らせると、毛糸は階段の下の方でもみくちゃになって落ちていた。もう自我もないようで、死んだようにぴくりともしない。
しかし、不思議なことにそれを追うような形で、もう一本鮮やかな赤色の毛糸がエントランスの出口に向かっていた。その糸を辿ると、それは今ポージーの下になっている、カーラの服の裾から出ていた。
ポージーは、改めて彼女を見た。
自分が救済を行う道は絶たれた。
しかし、彼女ならば_____。
彼女ならば、誰かを救うことができるのだ。
ポージーは再びハサミを構え直した。階下から悲鳴やどよめきが起こる。階上から、誰かが激しく名前を呼んだ。
「ポージーちゃん、大丈夫」
カーラが微笑んで、ハサミを握る彼女の手に自分の手を添えた。彼女が目を細める度に、血の涙がこめかみを流れた。
「誰かに命を預けなくても、皆ちゃんと、自分の力で生きてるからね」
ハサミの刃が徐々に喉元に近づいていく。震えながら、二人の両手が強く重なって、ひとつの肉の塊になっている。
「私、まだ死にたくないの」
カーラが言った時、ポージーの視界がぐるりと回った。誰かが階段を駆け上がる音と、上から駆け下りてくる音が同時だった。全身に鋭い痛みが走り、気づけばポージーは最も階下に倒れていた。
横倒しになった世界に、赤色の毛糸が二本。大人に踏まれて繊維が潰れ、汚らしい色をしている。その毛糸を、つまみ上げる指がある。もう一方には、糸切りばさみ。
「やめて」
手を伸ばしたが、誰かが背中に乗っている。
「やめて!!」
刃がおもむろに迫ってくる。毛糸を上下から挟むと、繊維の一本一本をプツリプツリと絶っていく。
「やめて......」
糸の先に、助けを求める人が居るのに。
その人が、死に脅えているのに。
ポージーの視界は、最後の繊維が切れると同時に真っ暗になった。
*****
「子どもにしか見えないっていうのか」
アドニス・エルガー(Adonis Elgar)は、階段の踊り場に座りながら、カーラの右瞼にガーゼを押し当てていた。ベティが来るまではこの応急処置をすることになったのである。
「うん。毛糸も一方のサイトも、子どもだけにしか見えないみたい。何かしら責任感が強かったり、正義感のある子は、サイトと契約する前に他人の毛糸が見えちゃうんだと思うな」
「僕らもたしかに見えました!!」
踊り場を見下ろすように、階上からスカイラ・ブレッシン(Skylar Blethyn)が顔を覗かせる。
「いつもラシュレイさんを守りたいという強い正義感を持っているからですねっ」
ラシュレイの頬にすりすりと自分の頬を擦りながら、スカイラは幸せそうである。
「にしてもお手柄だったなー、二人とも」
ジェイスが階段の上の方で、足を投げ出しながら座っていた。
「ラシュレイさんもカーラさんも、帰り際に突然お仕事が入っちゃったんですもん。帰れって言われたって、近くで待機しちゃいますよー! ねー、アドニス!」
「うるせえ、今集中してんだよ」
エントランスの方では、マットの上にポージーとレイシー、それから数人の研究員が彼女を取り囲んでいた。ポージーはまだ目が覚めないものの、命に別状は無く、気がつくまではあのままにしていることになった。
レイシーの方は、ポージーから離れようとせず、さっきからポージーの右手をぎゅっと握って離さない。
「大人の方のサイトは、やっぱり命を乞うのが目的だったな」
バレットは、ジェイスから数段下った場所に座っていた。
「重い病気を患っている人や、死期が近い人が、最後の望みをかけてあのサイトに辿り着くみたい」
「そのサイトに登録した者のもとへ、子どもたちの毛糸が伸びていくと」
アドニスは、カーラの右瞼にガーゼを貼り終えた。
「そう。俺も、思い出したよ。前に、家の近くに救急車で運ばれた女の人が居た。肺の病気の症状が出たから呼んだんだって。で、一日で家に戻ってきたから尋ねてみたんだ」
バレットは足の包帯を巻き直しながら続ける。
「そうしたらその人、病気の進行がピタリと止まったって。その時に、緑色のセーター着てたよ、その人」
「そのセーター......」
カーラがバレットを振り返った。
「うん、誰かの命だったんだろうな」
子どもの正義感に付け込んだ悪質な超常現象であり、一方では人の命を救うものでもある。生と死の両方を兼ね備えた、複雑な現象なのだ。
「まあ、現象の方は、もう少し調べてみないとな。まだ怖い思いをしている子がたくさんいるだろうし」
バレットが言う。カーラは頷くだけ頷いて、返事はしなかった。目を落とした先にアドニスがガーゼを切るのに使ったハサミが落ちていた。
*****
次の日、日が昇るとポージーの両親とレイシーの両親がB.F.のエントランスまで二人を迎えに来た。
カーラ、バレット、そしてジェイスがそれを迎える。
「本当にごめんなさい」
バレットとジェイスが二人の両親に事情を説明している間、カーラは離れた席で二人の少女に温かいレモンティーを飲ませていた。
「良いんだよ。現象の究明にも大きく近づけたし」
カーラの瞼を見ては謝るポージーに、カーラは何度も優しい笑みを投げる。
「この後、どういうことをするんですか?」
レイシーは、紙コップを両手で包みながらカーラを見た。
「同じ現象に苦しんでいる人達のところに出向いて、聞き取り調査かな。かつてはその子たちの命だった毛糸を回収したり、サイトの方は新しい被害者が増えないように、検索から外せる方法を探したり......」
「お仕事、たくさんあるんですね」
ポージーはレモンティーを一口飲んだ。甘くて、温かい。気がついた時、体はアザまみれだった。ほとんど記憶はないが、カーラと揉みくちゃになって階段を転がり落ちたのは覚えている。
「まだ謎が多い現象だからね。二人にも、後日もう少し詳しいお話を聞かないと。また協力してくれるかな」
協力してもらったのは、こっちの方だ。
ポージーは思った。
あの時、バレットに助けを求めなければ彼たちが怪我をすることはなかった。自分の身勝手な行動が全てを生んだのだから、責任は自分にあるのだ。
「あんまり自分を責めないでね」
カーラが言った。
「私たちは、困っている人を助けるのがお仕事なの。それも、超常現象という特殊な理由で困っている人たちをね。こういう会社ってここくらいだから、仕事が多いように見えちゃうかもしれないけど......でも、みんな、ここでの仕事は大好きなんだよ」
カーラの目は、エントランスの全体に注がれた。バレットやジェイスが、身振り手振りで二人の両親に説明を行っている。狐につままれたような顔で聞く両親の表情は、どこか滑稽だった。
エントランスでは、他にも様々な研究員が忙しそうに動き回っていた。階上でも、廊下をせかせかと歩く白衣の姿がある。
カーラに目を戻す。彼女は、柔らかな笑みを浮かべてエントランスの全体を見つめていた。
絶対に、死神は振り切れないと思っていた。
しかし、今、それは綺麗さっぱり消え去ったのだ。
目の前に居る、彼女達のおかげで。
ポージーは今度、レイシーを見た。彼女の黄色いふたつの水面に、カーラの姿が映っていた。
*****
通りで、カーラたちは二人を見送った。
「また遊びに来いよ。次は何も持ってくんなよな」
バレットがべーっと舌を出すのを、レイシーが軽く睨み、ポージーは「はい」と微笑んだ。
「お仕事頑張って下さい」
二人の少女は、ほとんど同時に言った。
「うん」
「ありがとう」
太陽は高い位置にある。両親に連れられた二人の少女の後ろ姿は、輝いていた。
「なんかさあ」
バレットが口を開く。カーラは彼の方を見た。
「良い仕事だよなー。自分で言うのもなんだけど」
バレットの目は、二つの家族が去った通りをまだ見つめていた。
「はい」
カーラが微笑んだ。
「誇らしい仕事です」




