File090 〜嗚呼、子ども達への背徳感!〜 3
バレットは、少し離れた位置で携帯電話を通して誰かと会話をしている。その間、ポージーとレイシーは手を繋いだまま椅子で待っていた。
汗ばんだポージーの手のひらに触れて、サラサラとしたレイシーの手のひらは、じっとりと濡れ始めている。ポージーは申し訳なく思ったが、彼女はなかなか手を離してくれなかった。
少しずつ気持ちが落ち着いてきて、ポージーの目からは涙が落ちなくなった。
ハンカチで口を覆いながら周りを見る。
他の席で客と話していた研究員は、いつの間にか居なくなっていた。
代わりに、長い梯子を持った業者らしき人たちが入っている。照明の取り替え作業をするらしく、交換用の照明の用意や、梯子の組み立てが行われているところだった。
「ハンカチ、汚しちゃってごめんね」
ポージーは、レイシーを見る。彼女も業者の方を見ていた。その横顔は、美しい線だけで構成されている。輪郭が向こうの景色に溶けてしまいそうなほどに細い。
「良いの」
レイシーは言って、オレンジジュースが入った紙コップを引き寄せる。ポージーも、ハンカチを膝の上に落として、自分のコップを引き寄せた。
口に含むと、よく知っている味だ。両親は今頃心配しているだろうか。警察に連絡が行っていたら、どうしよう。
「なんだか、現実味があんまり無いかも」
レイシーがぽつりと言った。
「本当にある会社だったんだね」
どうやら、この会社のことを言っているようだった。たしかに、都市伝説のように扱われているのは間違いない。冷やかしに来る人も多いのだろう。特に子どもは。
「レイシーって、すごく冷静なんだね。私、全然喋れなかった」
ポージーは、バレットの聞き取りに対するレイシーの態度が心強かった。学校の中にいる時とはまるで別人だ。電話で話した時も、彼女の声は冷たい鉄の棒のような芯を持っていた。
「アーリンたちが亡くなったって聞いて、ちょっとだけ安心したんだ」
ぎょっとしてポージーが見ると、彼女はまっすぐ前を向いていた。その目は職員専用のゲートを見ているわけでも、エントランスに降りるための階段を見ているわけでもなさそうだった。
「そういうことを考えるくらい、酷いことをされたから。でもね、私はポージーには居なくなって欲しくない」
ぎゅ、と握られた手に力が加わった。
「友達だから」
足音が近づいてきて、バレットが携帯電話を片手に席に戻ってきた。時間にして十分弱である。
「今、他の研究員に調べ物をしてもらってる」
「調べ物ですか?」
「そう」
バレットは椅子に座るや否や、パソコンを取り出した。
「子どもの死亡事故や行方不明事件が増加傾向にあるのは、最近俺らも不思議に思ってたんだよな」
「子どもの......」
ポージーとレイシーは互いに顔を見合わせる。バレットは二人の様子をチラリと見て「それに」と続けた。
「その大半がティーンエイジャーだ。二人は何歳?」
「十八です」
「十七です」
「同級生だな?」
「はい」
ポージーとレイシーは同時に頷く。
ポージーは、サイトの年齢表示のバーを思い出す。0歳から19歳までしか選択ができないようになっていたのだ。
「警察から調査依頼が来ているのもいくらかあんだよ。ただ、その全貌が掴めなかったんだよな。もしかしたら、これと関係あんのかもな......」
バレットはほとんど独り言だった。
「この辺りの学校の学習指導要領にはさ、ボランティア活動に関するものがあるんだよな。これに関連した授業を組まないとダメってやつね」
パソコンを操作しながら彼が言う。
「じゃあ、ノースロップの学生たちが例のサイトにたくさんアクセスして......」
ポージーが言うと、バレットは小さく頷いた。
「まだ確定というわけじゃないけど、その可能性は高いかもな。警察から届いている情報を見るに、ほとんどがノースロップに住む学生だし......」
どうやら、ボランティア活動に対してあまり前向きに考えていない生徒の数は、少なくないようだ。そういう生徒が、例のサイトへ辿り着いてしまうのだろう。
そうだとしても_____。
ポージーは不思議だった。
ネットの奥底でホコリを被っているようなサイトだったのである。それに大勢の生徒が運良くたどり着くことは、あまりに奇妙だった。
ポージーでさえ、表示の順番を変えるなどして彼処にたどり着いたのだ。
皆が皆、同じ手段を踏むだろうか?
「まあ、まずはサイトにアクセスしてみないとダメだな」
「それなら」
オレンジジュースをちびちびと飲んでいたレイシーが、紙コップから唇を浮かせた。
「おそらく、見つかりません」
バレットの目がパソコンの画面から、その向こうのレイシーに移った。
「どういうことだ?」
「そのままの意味です。私もポージーに聞いて、そのサイトにアクセスをしようと試みたんです。でも、サイトは見つかりませんでした」
バレットは眉を顰めて、ポージーを見る。ポージーはサイトにアクセスした方法を伝えた。検索バーにそれらしい単語を放り込んで、検索順を変えて、サイトに辿り着いたのだ。
バレットも同じ手順を追ったようだが、首を傾げている。
「ダメだな、見つからない」
他にも思いつく限りの単語を入れて検索し直したようだが、結果は同じことだった。
「気づかない前提で調べるのが、出現条件なのか?」
バレットがブツブツと呟いているのを、ポージーは聞き逃さなかった。
「それって、有り得るんですか?」
「え?」
「今の......気づかない前提でって」
ああ、とバレットは頷いている。
「超常現象だからな」
ポージーの口は塞がらなかった。レイシーに此処に行こうと誘われた時、そして実際にこの会社に辿り着いた時、まだ何処か怪しく思っていたのだ。
「信じなくたって良いけど」
バレットは頬杖をついて、パソコンを操作している。
「信じようと思っても、難しいもんだし」
その時、階段を駆け下りてくる音がした。白衣の男が一人、此方に向かってくる。黒い長髪を後ろでひとつに結んだ、白衣の男だ。階段の最後のほうの段をジャンプして飛ばすと、そのままの勢いでゲートを突破し、三人が居るテーブルにやって来た。
「じゃーん!! 俺いっちばーん!!」
その男は、バレットが持っているものと同じくらいの分厚さのファイルを小脇に抱えている。
髪の毛にところどころ差し込まれた金色のピンが、照明の光を反射していた。
「初めましてー。随分若い依頼者さんだねー」
そして、ポージーとレイシーに手を振った。ポージーもレイシーも軽く会釈した。バレットとは随分雰囲気の違う男だった。
「そんで......なになに? 怪しいサイト?」
「はい、学校の課題をサボって早く終わらせようと思って、ネットでズルした結果、怪しいサイトに入っちゃったみたいで」
「なっ!!!」
バレットの適当な説明に、ポージーは思わず立ち上がりかける。
「そりゃあ、ダメだなあ。俺だったら、もっと上手く適当な理由つけて課題をサボるね」
黒髪の研究員は、そう言いながらファイルを開いて、ステープラーで留められた資料を取り出した。
「ノースロップ中の学校の学習指導要領を持ってきたよ。やっぱり、ボランティアの課題はいろんな学校で出されてるみたい」
どうやら、彼は既にポージーの相談内容を知っていたようだ。さっきのバレットの説明は、わざとポージーの気を逆撫でようと用意されたものらしい。
反省をしろ、と言われているようで、ポージーは黙って椅子に腰を戻した。
「こういう課題は長期休暇とか、バカンス期間に合わせて出されているんだね。二人もそうだったんだね?」
「はい......」
長髪の研究員の問いに、ポージーとレイシーは頷く。
「昨今、子どもの死亡件数が多くなっているのが、こういう長期の休みなんだよね。警察から、何か超常現象と関係があるんじゃないかって言われてたけど......」
「はい。今、ノースロップ内の最近の子どもの死因についてカーラに調べてもらってます。不審死が多いってのはよく聞きますね」
「エズラもその調査に出かけてるんじゃなかったっけ」
「彼奴は、ほぼスイーツ巡りですよ」
会話は現実味がなかった。「警察」、「不審死」、そして「超常現象」。そこに挟み込まれる日常会話。
ポージーは、ぼんやりと残り少ないオレンジジュースを眺めていた。
静かだったエントランスは、徐々に騒がしくなってきた。職員たちの退勤時間なのだろう。ゲートを潜る機械音が絶え間なく流れ始め、まるで駅の構内に居るような感覚になる。
通り過ぎていく研究員たちは、泣き腫らした顔で俯く一人の少女と、その隣で涼しい顔を見せているもう一人の少女をちらりと見やって通り過ぎていく。
ポージーは、目の前の二人の研究員に対して申し訳ない気持ちになった。彼らの勤務時間も、とっくに過ぎているだろうに。建物に入る前、バレットが最初良い顔をしなかったのも、そういうことなのだろう。
「お、お待たせしましたっ!」
喧騒に混じって、再び階段を駆け下りる音。
続いてやってきたのは、黒髪の少女だった。大きなリボンが頭から猫の耳のように覗いていて、彼女の動きに合わせてひょこひょこ動いている。
白衣を着ているということは、彼女も此処の職員なのだろう。しかし、歳はポージーたちと同じに見える。
「すみません、遅くなりました」
「いや、電話してから三十分経ってないから。ありがとうな、カーラ」
バレットが笑って、カーラと呼ばれた少女から紙の束を受け取る。そして、それをテーブルの上に置いてポージーたちにも見えるように配置した。
紙には折れ線グラフが印刷されている。「死亡」の字が見えた時、ポージーの背筋が凍った。
「これが、昨今のノースロップの死亡件数の推移」
「こう見るとすごいね」
黒髪の男性研究員が呟く。
たしかに、グラフはある年から徐々に伸び始め、下がる気配が見えない。
「これ、ティーンエイジャーだけのグラフだな」
「はい。夏休みと冬休み、バカンス休暇にかなりの子どもが亡くなっているみたいです」
カーラの指は、ページを次に捲った。今度は、子どもの死因をまとめた円グラフだ。
「交通事故、溺死、病死......」
「その他ってのは?」
「いろいろです。通り魔殺人や、強盗......」
少女の口から放たれる身の毛もよだつ単語に、ポージーは耳を塞ぎたくなった。
「たしかに、異常な発生件数だな......」
「これさ、もっと詳しいことわかんないかな? この死亡した子が通っていた学校の学習指導要領と合わせて見たら、怪しいサイトが原因かどうか分かるんじゃない?」
黒髪の研究員が言って、カーラの資料をパラパラと捲る。名簿が出てきた。ポージーは既に其方を見ることができなかった。レイシーが肩を抱き寄せてくる。
「おっと」
ポージーの反応に気がついた黒髪の研究員が、資料を閉じた。
「まあ、これは今からじっくり見るとして」
「もう帰らせた方が良いっすね」
バレットも頷いて「大丈夫?」とポージーの肩を軽く叩く。
「顔が真っ青ですね......」
カーラが心配そうに、顔を覗き込んだ。
「二人とも、バスで此処まで来たの?」
「はい......」
「そっか。もう暗いし、送って行く?」
カーラの言葉に、ポージーはレイシーと目を合わせる。レイシーは軽く頷いた。ポージーは「お願いします」とカーラに目を戻す。
わかった、と柔らかい笑みが返ってきた。
「準備するから、此処で待っててね」
「はい、ありがとうございます」
カーラが去って行くと、
「ジェイスさん、もう少し残れます?」
バレットが黒髪の研究員_____ジェイスに問う。
「もちろん!! 先輩はじゃんじゃか頼りなさいっ!」
「じゃあ、会議室あけといてください。たしか、鍵は_____」
バレットが考える素振りを見せた次の瞬間。人のざわめきと、何かが大きく軋む音がした。
不自然な時間だった。全てがスローモーションに見えるのだ。ポージーは、音の正体を確かに見た。
エントランスで照明の交換作業をしていた業者の、長梯子_____それが、業者を乗せたままゆっくりと、彼女の頭に迫っていた。
「危ないっ!!」
スローモーションの魔法は一瞬で溶けた。聞いたこともない音で、物が落下した。気づけば全身がじんじんと痛んで、口から呻き声が漏れていた。
「大丈夫!?」
「大丈夫ですかっ!」
ポージーは床に倒れていた。狭まる視界に派手に倒れた椅子と机が見える。今まで自分たちが座っていた席だ。
紙コップが遠くに転がっていくのと、梯子に押しつぶされてひしゃげた椅子、落ちてきた業者を取り囲む研究員たちの後ろ姿が見えた。
「バレットさん!」
ポージーの体には誰かが覆いかぶさっていた。それは咄嗟にポージーの体を突き倒したバレットである。
「大丈夫か」
「はい......」
バレットが先に体を起こして、ポージーも床に腕を付いた。手が震えて、上手く体重を預けられない。レイシーがすぐに手を貸してくれた。
「怪我してない?」
「うん、ありがとう」
レイシーも咄嗟に動いたようで、怪我は無いようだ。
周りの研究員がすぐに行動を始めているのが見える。テーブルを直そうとする者、それを止める者、カメラを持って来るよう指示を出す者......。
ひしゃげた椅子は、あまりにも異様なオブジェだった。上に業者が乗っていたことで、より圧がかかったらしい。
ポージーの頭では、それが凄惨な交通事故の景色に置き換わっていた。
「バレットさん、大丈夫ですか」
ポージーの後ろで、バレットは椅子に座らせられている。
彼の右足の靴が脱げて、赤い靴下が見えている。いや、繊維が湿っている。もとは白い靴下だったのだ。赤色は全て彼の体の中から滲み出ていた。
「す、すみませんっ......!」
「いや、大丈夫」
バレットは大して痛みを感じていないようだった。ジェイスに肩を支えられて、血を止める応急処置を受けている。
「そこの二人、直ぐに帰った方が良い。ラシュレイ、悪いけど......カーラがもう少し戻ってこないだろうから、二人を送ってってくんない?」
「はい、大丈夫です。スカイラ、先に帰ってて」
「えーっ!」
今度は若い黒髪の男性研究員である。コートに身を包んでいて、もう帰るところなのだろう。ポージーは全てに申し訳ない気持ちが湧いてきた。
「あ、あの、私、一人で帰れます」
ポージーは声を絞り出した。目はバレットの足に注がれている。
「だ、だって、こ、これ」
ポージーは信じたくなかった。何もかもが偶然だと思い込みたかった。
「俺が車を出します。直ぐに乗ってください」
「ダ、ダメです」
ポージーは激しく頭を振った。
此処に居たらダメだ。アーリンの時もそうだった。サイトに情報を入れたアーリンとその取り巻きたちの他に、何人もの人間が怪我をしている。
そして今、バレットが怪我をしたのだ。
自分のせいで。
此処に、自分が居るせいで。
「ポージー」
「触らないで!」
レイシーが手を握ろうとするのを、ポージーは振り払う。黄色い瞳が悲しげな色を孕んだが、今は構っていられなかった。とにかく、一秒でも早く此処から消えてしまいたかった。
考えた結果、足は出口に向かい始める。
「馬鹿っ! 一人で動くな!」
後ろからバレットの怒声が聞こえたが、ポージーは構わず通りに飛び出した。
バスはダメだ。この時間帯、いろんな人が乗るのだから。親に迎えに来てもらう? 絶対にダメだ。
ポージーの頭はぐるぐると回り出した。
誰かが自分の死を強く望んでいる。それはいつしか、周囲の人間のように感じてくる。お前が生きているせいで、自分たちが危険な目にあうんだぞ、と指を指されている気がする。
「ポージー、戻ってきてっ」
レイシーがエントランスから通りへ出てこようとするのを、ポージーは叫びながら止める。彼女だけは、死んで欲しくない。
その時、通りの人混みの中で悲鳴が上がった。ドタドタと重たい足音が近づいてくる。人が道の左右に別れて、誰かのために新しい道が作られた。
銀色の鈍い輝きが、ポージーの目に映った。
「邪魔だ!!」
黒い目出し帽を被った人間が、その殺意をポージーに向けていた。ナイフが振りかざされる。肩から刃先までの稜線、左腕に抱えられた黒いカバンの中身はお金だろうか。
ポージーはこれから自分の血で汚れる刃の煌めきを、静かに眺めていたかった。時間は再びゆっくり流れる。
しかし、やはりそれは叶わない。今度はアスファルトの上に転がっていた。金切り声のようなクラクション、再びドタドタという足音がして、全身に切るような痛みが走った。腰と両の二の腕の周りに強い圧迫感があり、視界は何回転もした。
「ポージー!」
「ラシュレイさん!!」
体に巻かれた腕がゆっくりと解かれる。ポージーは通りと道路の際に倒れていた。側溝の網から立ち上る悪臭が、目の奥に染みる。顔を上げずともどんなことが自分の身に起こったのかは分かった。
皆が自分を見ている。
早く死んでくれと見ている。
「もう嫌だよう」
しゃくりあげて泣き出す少女の肩に、誰かのコートがかかった。
そのコートが作り出した暗闇の中で、ポージーは不思議な光を見た。それは赤く発光した、柔らかい一本の線である。
ポージーは、震える指でその線を手繰り寄せた。柔らかく弾力のある繊維の集まりだ。ポージーはこの感触を知っていた。
「......毛糸?」
*****
「落ち着いた?」
赤いリボンの研究員の名前は、カーラ・コフィ(Carla Coffey)と言った。彼女は温かい紅茶を用意して、ポージーとレイシーの前にそれぞれ置く。
ポージーがレイシーと共に連れてこられたのは、施設の中でも奥まった場所だった。
仮眠室なのだろうか。壁際にベッドが二台、中央にテーブルがひとつ、対面するようにひとりがけのソファーがひとつずつ置かれた、生活感は無い無機質な部屋である。
「今、ラシュレイさんたちが二人のおうちに連絡を入れてくれているから......今夜は安全のためにも此処で過ごしてもらうことになるよ」
ポージーの対岸にはレイシーが居る。彼女は無関係だ。しかし、先に返事をしたのは彼女の方だった。
「大丈夫です」
ポージーは紅茶を口元に持っていく。爽やかな香りの湯気が、体の隅々に染み込んでいく。暫くそのままで居ると、視線を感じた。
カーラとレイシーが、心配げに此方を見ているのである。何か喋らなければ。
「あの......えっと、バレットさんは」
「大丈夫だよ。少し足を挟んだだけなの。ジェイスさんがきちんと処置をしていたし、さっき会った時にはいつもみたいに歩いてたから」
それは、まるで本人からそう言うように言われたような台詞だった。カーラの顔から心配の色が抜けないのだ。優しい人なんだ、とポージーは思うのだった。
「ラシュレイさんもね、大丈夫だって。コートを着ていたから、ほとんど無傷って言ってた」
ポージーは、自分が今羽織っているコートの襟を掻き合わせた。所々擦り切れてしまっている。高そうなコートだ。弁償するには、どのくらいかかるのだろう。
「あの......お聞きしたいことが沢山あるんですが」
ポージーは、カーラを見上げた。優しい笑みが返ってきた。
「あの梯子は、明らかに私に向かって......倒れてきたように見えました」
あの出来事があった時、カーラはその場に居なかった。バレットたちから話は聞いているのだろう。彼女は頷いた。
「それと......通りを走ってきた人は_____」
「近くのお店で強盗があったって、さっき他の研究員さんが言ってたの」
「わ、私に向かって走ってきていたように、み、見えたのですが......」
ポージーはナイフの煌めきを思い出していた。自分が一瞬でもあれを受け入れようとした心境に至っていたことが、今では信じられなかった。
ボタ、と大きな雫がテーブルに落ちた。
カーラはポージーの肩を軽く抱き寄せた。花のような優しい香りがポージーの顔を包む。恐怖と緊張がほぐれていくのが分かった。
「全部、あのサイトのせいなんですか」
レイシーの声がする。
「可能性は高いと思う」
耳に当たっている彼女の腹が、ビリビリと震える。ポージーは、小さな子どもになった気分だった。昔、母や父の胸や背中で感じた体の振動を感じる。
「あのサイトに情報を書き込んだ子達が巻き込まれた事故っていうのは、どれもその人の身の回りで起こった不幸な出来事なの。その子が自ら自分を死に追い込むような行為は、今のところひとつも確認されていない」
「自殺じゃなくて、他殺ってことですか」
レイシーが問う。
「うん。正確には、不慮の事故。さっき、ポージーちゃんに向かって梯子が落ちてきたのも、そう。あれがそのままポージーちゃんに当たっていたら、不慮の事故で片付けられていたと思うんだ」
ポージーは、アーリンの事例を思い出した。彼女の場合、出かけた先で起こった不慮の事故と片付けられる。路面が凍っていたところからも、その事故は偶発的に起こったということだ。
「強盗も、ですか?」
「うん。たまたま、彼の通り道にポージーちゃんが居たというだけ。明らかな殺意は、ポージーちゃんじゃなくて、逃げ道を塞ぐ人に注がれていた」
彼女の声は、静かに流れ込んでくる。
つまり、あれで死んでしまっても、事情を知らない人からすれば、ただ通り魔にあったということだけで終わってしまうのだ。
例のサイトに情報を書き込んだことで、死を呼ぶ体質になったことは、誰にも知られないまま。
「今まで亡くなった子たちも、死を寄せ付ける体にされたってことですよね」
ポージーは、彼女の腹から頭を浮かせた。
「あのサイトに、情報を書き込んだから?」
「うん」
「あり得るんですか、そんなこと?」
自分が居る世界が、一変してしまったのだ。現実とは程遠い、まるで夢の中に居るみたいな感覚だった。
「超常現象だから」
バレットと同じことを、カーラは言った。その顔は至って真面目である。
もう信じるしかないのだ。自分が、常識が通用しない世界に連れてこられたことを。
此処から一歩でも外に出たら、いや出ずとも、自分には死が吸い付いてくる。周りの人に危害が及ぶ。バレットも、レイシーも、そして他の研究員にも。
「大丈夫」
視界に、少女の顔が入ってくる。カーラが腰を屈めて、同じ目線になったのだった。黒髪がポージーの鼻先を掠めた。
彼女の目に、不安げな少女の顔が映り込む。赤色のくせ毛に、土がついている。擦り切れたコートに、今に食べられしまいそうなほど、小さく弱く見える。
「きっと助けます」
さっきの柔らかさは消えて、彼女は静かな自信を含んだ笑みを浮かべた。




