甘い悪戯
今日は二月十四日。B.F.には何処と無く甘い香りが漂っていた。
食堂のメニューにはハートを象ったものが並び、研究員たちのオフィスの前には、それぞれのオフィスの主が作ったボックスが置かれている。
「皆さん、廊下に何を置いているのですか......?」
バド・バンクス(Bud Bankes)は、朝出勤して来た先輩に問う。彼の先輩もまた、ボックスを片手にオフィスに入ってきたのだ。
「ふっふっふ、これはね、バレンタインの特別ボックスなんだよ」
ジェイス・クレイトン(Jace Clayton)は、助手にボックスを差し出す。ボックスはカラフルな装飾がされており、側面にはゴールドのテープで『Jace Clayton』と書かれていた。
天井部分にはちょうど腕一本分の穴が開けられている。バドが覗くと、中にはチョコレートやクッキー、メッセージカードなどが入っていた。
「エントランスで早速入れられちゃったー! へへっ」
「バレンタインは、お花をあげる日だと思っていましたが......このような文化もあるのですね」
「学校でもやるよ! 俺が学生の時はねえ、授業中にこの箱を作って、バレンタインの日に教室に置いておくの! そうしたら、みんなが入れてくれるんだよ」
ジェイスは鞄を置くや否や、ガサゴソと鞄の中身を探っている。そこからは大量のお菓子が顔を出した。チョコやガム、クッキー、そしてアップルパイ......。
「バドにはメッセージカード!! はいっ、いつもありがとうね!」
ジェイスがそう言って、折り畳んだピンク色の厚紙を渡してくる。バドが受け取って開くと、それは仕掛け絵本のように中身が飛び出す仕様になっていた。色とりどりの花束が閉じ込められていたのだ。
「て、手作りですか?」
「まーねっ! 俺って器用だから!」
カードの絵や文字は全てジェイスの手で作られているようだった。花を引っ張ると、ブーケから抜けるようになっており、その一本一本の裏側には手書きのメッセージが書かれていた。昨日は見ている限りきちんと仕事をしていたので、家に帰ってからこっそり作っていたのだろう。
花一本一本の裏を見ては、感嘆のため息を漏らすバドの顔を、ジェイスは覗き込む。
「びっくりした?」
「はい......とても」
「バドって、お菓子は食べられないでしょ? だから、花とカードを合体させてみたんだ」
「えっと、では、そのお菓子は......」
バドは、ジェイスの鞄から溢れるお菓子を見る。明らかに彼一人で消費する量ではないのだ。
ジェイスに目を戻すと、彼は得意のにんまり顔を見せていた。あの顔をする時、大抵周りの反応は二つに別れる。面倒なことが始まると、顔を覆う者。楽しいことが始まると、顔を輝かせる者。
「今日は、お仕事おやすみ!! みんなのオフィスを回って、お菓子を配るよー!!!」
拳を振り上げて、ジェイスは叫んだ。
*****
「ラシュレイさああん!! ハッピーバレンタイン!!!」
オフィスの扉が開くと同時に、ラシュレイの視界にはバラの花束が飛び込んできた。思わずパソコンの手を止めるラシュレイは、迷惑そうに彼を見上げた。
「なにこれ」
「バレンタインですっ!!」
「オフィスに飾るのか?」
「これ、チョコレートですっ!!」
「チョコレート?」
ラシュレイは怪訝に思って、バラを一本引き抜いてみた。なんと、茎はプラスチックである。バラの花弁の部分は表面が赤い銀紙で覆われたチョコレートだったのだ。
「それ、恋人に渡すんですって!」
「じゃあ返す」
「でええええっ!! 受け取ってくださいよっ!!」
花束はスカイラのお手製なのか、メッセージカードが忍ばせてあった。そっと目をやると、おびただしい文字の羅列が見えたので、読まずにも内容が分かった気がした。
「今日、バレンタインなのか」
ラシュレイのカレンダーには、会議の予定しか書かれていない。しかし、スカイラのデスクの上にある卓上カレンダーには、ハートのシールが二重にも三重にも貼ってあった。
「そうですよ! 愛を伝える日です!!」
「そうか」
「さあ、どうぞ!!」
「何が」
「僕に日頃の愛をぶつけっちゃってください!!」
スカイラが両腕を広げるのを無視して、ラシュレイは花束を脇に置くとパソコンに戻った。
「もう、照れちゃうラシュレイさんも可愛いですっ!! あっ、それじゃあ、僕にお菓子をください!」
「お菓子?」
今度は、箱を渡された。蓋がついていない、ダンボールのようだが、外側は青色の紙で覆われている。
「お菓子か」
ラシュレイはデスクの引き出しを引っ掻き回したが、のど飴くらいしか見つからない。「これで良いか」と箱に入れてやると、奇妙なダンスをして喜んでいるので、おそらく良かったのだろう。
「一生大事にしますねっ!!」
「賞味期限前には食べろよ」
さて、やっと仕事に戻れる。
ラシュレイがキーボードに手を置き直そうとすると、また箱が差し出された。
「もうお菓子はやっただろ」
「これはラシュレイさんのですよっ!」
よく見てみると、さっきの箱と色が違う。カラフルなのだ。しかし、目を凝らしてよく見れば、どの写真にも必ず黒色が写りこんでいる。そして、それが自分の髪だと気づくのに、ラシュレイはそう時間がかからなかった。
この箱の側面には、自分の写真がぎっしりと貼り付けられているのだ。
「ラシュレイさん専用のバレンタインボックスですっ! 僕と一緒に、廊下に並べましょ!」
「いや、俺はいらない」
そんな不気味なもの、人目のつく所に置けるわけがないのだ。
「だって、他の研究員の方々も廊下にお菓子ボックスをセットし始めましたよ! ほらっ!!」
腕を引っ張られ、椅子から無理やり立たされ、ラシュレイは扉の近くまで連れてこられた。
廊下を覗いてみると、たしかに職員たちがぞろぞろと廊下に出てきては、銘々オフィスの前に小さなテーブルをセットしている。
その上に乗っているのは、スカイラが持ってきたボックスである。
彼らは互いにボックスを覗き込んでは冷やかし合い、別れ際にはそれにお菓子やカードを入れていくのであった。
「ねっ、楽しそうでしょうっ!」
「いや、俺は......」
「もうっ、ラシュレイさんは心配性なんですから! 大丈夫ですよ、僕のはラシュレイさんから貰った飴しか入っていませんけれど、これは満杯と同じ意味なんですから!!」
スカイラは自分の箱から飴を取り出して頬擦りしている。
「それに、ラシュレイさんのボックスは既に満杯ですよ!!」
スカイラがそう言って、ラシュレイ用の箱を渡してきた。
「.......」
ずっしりと腕に乗る重みからして、たしかに空ではないらしい。
しかし、何故まだ廊下にも置いていないはずの箱がこんなにも重いのだ。
ラシュレイは、そっと持ち上げた蓋の隙間を覗く。彼の箱は、スカイラのものとは違って蓋がついているのだ。
中には、箱の縁ぎりぎりまでお菓子と、それからスカイラのブロマイドが入っていた。
ラシュレイの目がスカイラを向く。ぽっと顔を赤くした助手が居る。
「僕が既に入れて置いたので、他の人たちは入れられる隙間もありませんね......」
「いらない。みんなに配るから、スカイラも手伝え」
「あーーーっ!!! 僕の気持ちがーーーっ!!!!」
蓋を開けて、ラシュレイの手にわっしりと掴まれた中身は、他の研究員のボックスに投げ込まれたのだった。
*****
廊下を行く人々の足が聞こえる度に、アドニスは変に気が散った。資料を読もうと思って文字に目を落とすも、さっきから同じ行ばかり目に入ってしまう。
「なんだかソワソワして落ち着かないね」
彼の背中で、カーラが苦笑いした。
二人とも、バレンタインがどういうものなのかは、学生時代に経験していた。
生徒たちが自分の手で箱を作り、クラスで指定された場所にそれを置いておくのだ。
放課後になる頃には、箱はクラスメイト全員からのお菓子やカードでいっぱいになっている。
旧B.F.では、食堂でバレンタインメニューを食べたり、先輩と助手の間でお菓子を交換したりするくらいのささやかな行事だった。
しかし、いざ自分が先輩の立場になると、助手を喜ばせることが最優先な気がして、カーラがアドニスの分の箱も作ってきたのだ。
同じようなことは、ほかのオフィスでも起こったらしい。みんな、同じように廊下にボックスを置いて、お菓子を待っているのだ。
「まあ、そうだな」
アドニスは、カーラから貰ったボックスを思い出す。赤と黒に塗り分けられた面に、全く似合わないレースの縁どりがされていた。自分の先輩にはセンスというものが欠乏しているようだが、それは目をつぶることにした。
何より、嬉しかったのだ。
箱を作ってきたと聞いた時、心の内は喜びの嵐に満ち満ちていたのだが、絶対に表に出さないように気をつけた。
彼にとって、自分の先輩の前で格好の悪い姿を見せることは死にも値する行為なのである。
それより今大事なのは、あの箱を家に持ち帰って、自分の部屋のどこに置くかを考えることだ。家族に冷やかされないように、しかし最も目につく場所に置かなければ。
なんて言ったって、カーラが自分のために作ってくれた、たった一つの箱なのである。
誰かにベタベタ触られるくらいなら、今すぐにでも廊下から回収したい。
「どのくらい貯まったか、ちょっと見てこようかな......」
カーラは腰を上げようか迷っているようだった。ピクリと反応するアドニス。
「誰か貰いたい人でも居んの」
「いや、そういうわけじゃないけど......アドニスも気になってるでしょ?」
「さっきからソワソワしてるのは、お前の方だろ」
「だって......大人になってから、バレンタインをちゃんとやるのって初めてだし......」
「まだお子ちゃまだろ」
鼻で笑うと、ハムスターのように丸く顔をふくらませている。
人差し指でつつきたくなる、柔らかそうな頬である。
アドニスは自分の人差し指が勝手に動かないように、ペンを握りしめた。
どこぞのオフィスの助手のような奇行に走ってたまるか。
「で、誰かから期待してんのか?」
最も重要な質問に、アドニスは話を戻した。
カーラは「そういうのじゃないけど」と言葉を濁している。
カーラは中心メンバーのひとりだ。つまり、B.F.で働いているほとんどの研究員が彼女との関わりを持っていることになる。
報告書の提出先、そして添削者、会議の司会進行だって時々彼女が行う。
現在居るメンバーの数少ない女性研究員の上、ケルシー・クレッグ (Kelsey Clegg)が育児休業中で居ないので、カーラは現在紅一点。どんなハイエナが彼女を狙っているか分からない。
考えてみれば、彼女と仲の良い男性研究員も多い。中心メンバーならば、ラシュレイ・フェバリット(Lashley Favorite)か、キエラ・クレイン(Kiera Crane)。
遊びで、バレット・ルーカス(Barrett Lucas)なんかも箱にお菓子を入れてきそうだ。いや、ジェイス・クレイトンか。彼は間違いなくこういうイベントを楽しむ人間である。
「俺、トイレ行ってくる」
「あっ、またお仕事サボろうとしてるでしょっ」
「どうせ集中して仕事なんかできないんだから、今日ぐらい良いだろ」
「いつもサボってるよ、アド!」
オフィスの扉を開くと、カーラもついてきた。扉の真横には、テーブルが置かれている。その上に仲良く並んだボックス。
側面には、『Adonis Elgar』、『Carla Coffey』とそれぞれ書かれている。
カーラの方は、白い無地のボックスに、アドニスとお揃いのレースがついている。
一見とてもシンプルだが、二つの箱にレースが付いていることで統一感が出る。これらの箱の持ち主が何かしら関係のあることは、他人から見て明らかだ。
アドニスが満足気に眺めている隣で、
「あっ、入ってる」
カーラが嬉しそうにボックスに手を伸ばす。
すかさず箱を盗み見るアドニス。彼女のボックスの中にはメッセージカードが七枚、個包装のチョコレートとクッキーが五個ずつ、飴が三つ、そして_____一輪のバラ型のチョコレートが入っていた。
「はっ!?」
思わずアドニスの手が伸びてバラのチョコを掴む。
「誰からだ、これっ!!!」
「わ、わからないけど」
バラは茎がプラスチックで、花弁が銀紙に包まれたチョコレートである。毎年この時期になると市場に出回るものだが、これをあげるのは大抵恋人か、もっと大事な人なのだ。
まず明らかに、絶対に、普通の仕事仲間にはあげないものだ。
「アドニスの箱には入ってないの?」
「入ってねえよ!!」
彼の箱には、クッキーとチョコレートがそれぞれ一つずつ。先輩に比べてさもしい中身に違う意味で怒りが湧くが、今はそれをも凌駕する怒りが彼の中でこんこんと湧き出している。
「お前っ、心当たりは!?」
「えっ、な、無いよ」
「本当だろうなっ!?」
「う、うん」
カーラは首を傾げている。そして、柔らかな笑みを浮かべる。
「そんなに欲しいならあげようか」
「そういうことじゃねえんだよ」
彼女には、どうやらこのチョコレートを貰う意味が分からないらしかった。
アドニスは再度、彼女の箱を覗く。
そうだ、メッセージカードが入っているのだ。この中身を見れば、バラを送った犯人が分かるかもしれない。そして今後、一切彼女に近づかないようにできるかもしれない。
しかし、メッセージカードはどれもカーラに日頃の感謝を伝えるものばかりであり、そしてひとつは、何故かスカイラのブロマイドだった。
「なんだこれ」
「さ、さあ」
彼が確実にこの箱に触ったことは間違いないが、彼には既にラシュレイという心に決めた人物が居るので、このバラをあげる意味が分からない。
「良かった、ゼロ個じゃなくて」
カーラが微笑んでオフィスに戻るのを横目に、アドニスは彼女の箱を睨みつける。
一体誰が彼女にこんな贈り物をするというのだ。
そして、どうして自分の箱にはこれしか入っていないのだ_____。
*****
「やっと配り終えたな......」
ラシュレイはため息をついて、椅子に腰を下ろした。朝に終わらせようとしていた資料作りが、結局午後にまで伸びてしまった。
「もおっ、僕がせっかく用意したお菓子とブロマイド、なんでみんなに配っちゃうんですか!!」
「あの量はいらないだろう」
「あの量だから愛が伝わるんですよっ!!」
ラシュレイは無視して仕事に戻った。
いい加減進めなければならない。この後も仕事はどっさりあるのだ。
コンコン。
「はい」
オフィスの扉が叩かれる。瞬時にスカイラが反応した。
「僕が出ますっ!!!」
ラシュレイはため息をついて、彼に役を譲る。作業をしようとマウスに手を置いたところで、
「いえっ、ラシュレイさんの箱は既に満杯ですからっ!! 何もいりませんよ!!!」
スカイラの恐ろしい笑みがチラリと見える。相手はさぞかし慄いているに違いない。可哀想なので、ラシュレイはスカイラを呼び戻す。
「箱は空になったんだから、もう良いだろ」
「いいえっ、よくありません!!」
廊下に出ると、そこに立っていたのは一人の男性研究員だった。
「オーブリーさん」
「ラシュレイさん!」
スカイラと喋っていたのはオーブリー・ペイジ(Aubrey Page)であった。
彼はラシュレイが助けた依頼者の一人であり、もともとマクナマラ社の社員だった。
体から出る音が全て別の音に置き換えられるという超常現象に悩まされていたのだが、ラシュレイが原因を突き止めて解決した後は、B.F.の研究員として働くようになったのだ。
「すみません、お仕事中に......」
「いえ、大丈夫ですが」
「ぜんっぜん大丈夫じゃありません!! オーブリーさん、ラシュレイさんは今とーっても忙しいんです!! ねえ!?」
いつも邪魔をしてくるのは何処の誰だろう。
ラシュレイはスカイラに取り合わず、オーブリーを見る。彼は紙束を持っていた。それをラシュレイに差し出してくる。
「報告書を提出に来ました。この前の外部調査のものです」
「わざわざすみません」
「いえ、とても楽しかったです」
オーブリーは笑って、ラシュレイに紙を渡した。
「何か問題などは?」
「ありません。比較的大人しい超常現象でしたし、先輩の判断で、取り敢えず捕獲は要らないということになりまして......」
二人の間に流れる穏やかな時間に、スカイラは今にも破裂しそうなほど頬を膨らませている。
「あ、そうだ」
話が一段落したところで、オーブリーが思い出したように言った。
「今日はバレンタインですね。あまり良いものは用意できなかったんですが......」
オーブリーは、白衣のポケットから綺麗に包装されたクッキーを取り出した。
「お口に合うか分かりませんけれど......ラシュレイさん、あまり甘いものは好まないとお聞きしましたので、お砂糖は控えめにしました。もし宜しければ」
「ありがとうございます」
クッキーが、オーブリーからラシュレイの手に渡る。
「ええっー!!! 受け取っちゃうんですか、ラシュレイさんっ!! 僕という人がありながらっ!!! ブロマイドもお菓子も、僕が愛を込めて用意したんですよううう......バラのチョコレートも、一本以外は全部みんなに配っちゃうし......」
スカイラがその場に崩れ落ちる。オーブリーはキョトンとした顔で「何かあったんですか?」と問う。
「いえ、何も無いです。何も無いことにしたんです」
ラシュレイは自分の写真がおびただしい数貼られた空箱をチラリと見やって、オフィスに戻って行った。
*****
結局、仕事は1ミリも進まなかった。
「もう、アド。ちゃんと資料読まないと、次の会議でお話についていけないよ」
カーラが帰る準備をしながら、そんなことを言っている。
廊下のボックスは回収され、既にオフィスの中にある。
彼女の方は半分以上が埋まり、アドニスの方は底を覆う程度だ。
彼のボックスの中身は両隣のオフィスの人間と、数少ない知り合いと、カーラに入れに来た人間についでとして入れられたくらいだった。
メッセージカードはひとつもなく、チョコレートとクッキーが三つばかり。あとは飴である。
しかし、今やそれはどうでもいい。カーラのバラのチョコの謎は、未だ謎のままなのである。一体誰が彼女にそんなものを送ったのか。
彼の頭は、今日一日中その疑問で埋め尽くされていた。
「アド、聞いてる?」
もちろん、聞いてなどいない。彼は椅子に座ったまま、両手を組んで額を押し付け、ブツブツと呟いているのだ。
「バラだぞ、バラのチョコなんか、そういう意味でしか渡さないだろ......」
「アド」
「だいたい、助手が居るやつに堂々と渡すか? そいつは、バラのチョコの意味が分かってなかったのか......?」
「アドッ」
「俺もバラのチョコを_____んなことするかよ、そんなことしたら......」
「アドニス!」
「なんだよっ!!」
勢いよく振り返ったアドニスの顔面に、ぐしゃっと何かが押し付けられた。
「わっ、ごめん!!」
慌てたカーラの声とともにそれは取り払われたが、よく見ると彼女は透明なビニール袋を持っていた。中にはチョコレートやメッセージカードが入っている。
「これ、アドに」
「俺に......?」
アドニスに差し出されたそれには、赤いリボンがついている。
袋に入っているチョコレートは、この時期手に入りづらくなる有名ブランドのものである。
メッセージカードは折りたたまれて中身が見えなかったが、バレンタイン仕様だからだろうか、ハートやらバラやら、それらしいモチーフが散りばめられている。
アドニスは、ぽかんと口を開けたまま袋から目が離せなかった。
「......俺に?」
「うん、アドに」
カーラは微笑んで、更に差し出した。
「いつもの感謝の気持ち。お家で食べてね」
アドニスはようやく袋を受け取った。赤いリボンの、キツすぎるくらいギュッと結ばれた結び目に、彼女らしさが現れていた。
*****
「えへへえ」
スカイラは、エントランスを降りる階段を、自分の先輩にピッタリ寄り添って歩いていた。顔は幸せで蕩けている。
「歩きづらい」
対する先輩は不満げな表情で、バラのチョコを一本持っていた。オフィスを出る時に、それを鞄に入れようとすると、いろんな理由をつけられて手に持たされてしまったのだ。仕方が無いのでその通りにしたら、なんだか周囲の視線が痛い。
「ラシュレイさんに貰った飴、すっごく美味しいです......愛の味がします」
「ミント味だ」
「愛のミント味ですね!」
助手の口の中をカラコロと転がる飴の音を聴きながら、ラシュレイはエントランスに降り立った。研究員カードをゲートにかざして通り過ぎ、外に出る。
助手を何とか腕から引き剥がして、駐車場の方に足を向ける。
「じゃあ、気をつけて帰るんだぞ」
「はいっ!! ラシュレイさんも、僕のことを思いながら車を運転して、事故にあわないようにしてくださいねっ!!」
ラシュレイは無視して歩いていった。
スカイラはその後ろ姿が見えなくなるまで、うっとりとした表情で立ち尽くす。夜風が口の中のミント味を引き立てている。
オフィスに出る直前に口に含んだが、もう少しで消えてしまいそうだ。今日は人生で初めて、飴を噛まずに楽しんだ日になるかもしれない。
飴を味わい尽くしている彼の背後に忍び寄る影があった。
「おいっっ!!!」
「うわあああっ!!!」
どん、と背中に衝撃があったその時、彼の口の中で小さくなっていた飴は、そのまま喉の方に入り、コロンと胃に転がり落ちていく。
「あああああっ!!!!」
絶望するスカイラの後ろに立っていたのは、アドニスだった。彼は突然叫び始めたスカイラに眉を顰めたが、彼にも彼で大事件が起こっていた。
「おい、大変なことが起きたぞっ! 聞けっ!!」
「僕の方が百倍大変なことだけど!!?」
スカイラがアドニスを睨むが、同期の顔が今まで見たこともないような光を放っていることに気がついた。
赤い頬は、夜の寒さだけが原因ではなさそうだ。
「あれっ、アドニス! それ、メッセージカード?」
スカイラが指さしたのは、アドニスの手の中にある一枚のカード。反対の手には、リボンの解かれた袋。
「もしかして、カーラさんから?」
ニヤニヤ笑うと、彼は「うるせっ」と眉を釣り上げる。
「で、なんて書いてあったの?」
スカイラが問うと、アドニスがカードを見せてくる。決して手渡そうとしないので、触れさせたくないようだった。
「ええっと......いつも一緒にお仕事してくれてありがとう......これからもよろしくね......今度のお休み、一緒にドライブでも_____えええっ!!」
「ドライブって、あれか、デートかっ!?」
同期の肩を掴み、アドニスは迫った。「ノー」と言えばそのまま拳が飛んできそうな程の興奮具合である。
「デートだよっ、アドニス! 良かったね!!」
もちろん、人の喜びはきちんと受け止めるスカイラである。アドニスの肩に腕を絡めて、その場で細かくジャンプをした。
「つまり、あれかっ? その、恋人的なあれか?」
「それだよっ!! 絶対にそれに違いないよっ! アドニス、おめでとう!!」
通行人が微笑ましそうに、二人の少年の喜びを横目に通り過ぎていく。
アドニスはカードに何度も目を通し、間違いがないか確認しているので、自分たちの目立ち様には気が付かない。
スカイラはスカイラで、派手に喜びを表現しているので、通行人の目線には気がついていない。
「明日、昼休みに作戦会議だね!! デートに着ていく服を選ばないと!!」
「アホッ!! まずは返事からだろうがっ!」
「そうだね、じゃあ、今からご飯食べながら作戦会議だっ!!」
二人の少年は、近くのサンドイッチショップに吸い込まれていく。夜風はチョコレートの香りを乗せて、通りを吹き抜けて行った。
*****
「子猫ちゃん、助手君にはちゃんと渡せたかしら」
ベティ・エヴァレット(Betty Everette)は、食後のワインを楽しみながら、昨晩のカーラの作業場を眺めていた。ダイニングの一角が、即席の工作場所になっているのである。
箱を作ったり、お菓子を買ってきたり、昨日の彼女は夕飯を食べる暇もないほど忙しそうだった。
切羽詰まった様子だったので、ベティも少し手を貸してあげたのだ。何しろ、バレンタインの準備というのだから、彼女にも春が来たのだろうかとワクワクしながら手を貸したのである。
カーラに立ちはだかった壁は、どうやらメッセージカードの内容を考えることだったらしい。
箱の方は完成したが、助手に個人的にあげるものに悩んでいたのだ。
「やっぱり、助手って特別な存在ですし、お菓子だけじゃ物足りないと思うんです。日頃の感謝を伝えたいですし......」
そうして、一時間も二時間もペンを片手に唸っている。
そこで、ベティがいくつか文面を考えてあげたのだが、どれも彼女には刺激が強かったらしい。
顔を真っ赤にして「そんなんじゃないんですっ」と首を横に振るので、ベティはその反応のために更に激しい文面を考えたのだが、結局どれも採用されなかった。
「じゃあ、ほら、子猫ちゃんが助手としたいことでも書いたら良いんじゃないかしら。最近、運転が上手になったでしょう? 何処から連れて行ってあげたら?」
「そ、それってデートになりませんか?」
「良いじゃない!! 書いちゃいましょうよ!」
「それだと仕事仲間の域を超えます!!」
彼女はブンブンと首を横に振って、再び悩み始めた。そのやり取りを何度か繰り返して、彼女は何とかカードを完成させたのだが、そこには何ともつまらないことしか書かれていなかった。
「これで、よしとします......」
まるで重要文書でも扱うかのように、彼女はカードを袋に入れて、リボンで封をした。
その夜、ベティはカーラが眠った後でこっそりと袋のリボンを解いた。
メッセージカードに、少しだけいたずらをしたのである。
「ふふ」
リボンをきっちりと結び直し、元の場所に戻す。部屋の電気を消す前に、彼女はもう一度その小さなプレゼントを振り返った。
「上手くいくと良いわねえ......ね、ドワイト?」
パチン、と電気が消えた。




