鍵の所有者
「前もオフィスに来てたよな」
前を行く彼の背中を追いかけながら、ルネは「はい」と頷く。
「あの時は、すみませんでした。事情も知らず_____」
「で、今も事情を知らずについてきてるわけだ。俺はもう研究員ですら無いのに」
冷たい目が此方を見たので、ルネは思わず足を止めた。
「あの、でも、僕......」
「昨日も追ってただろ、俺のこと。随分長い間」
「......」
バスのロータリーで気づかれたのだろう。
ルネは頭から冷水をかけられた気分だった。冷静な目で見ると、今の自分はストーカーと言われても仕方がないのだ。
「何でそこまで俺のこと追いかけてくるんだよ」
「ぼ、僕、コナーさんの助手になりたかったんです」
「何でまた」
「ポッティンジャー幼稚園......覚えてますか? 僕、彼処でコナーさんに助けてもらったんです。怪物たちから、コナーさんが助けてくれました」
コナーはようやく思い出したようだった。周りの人間も含めるとあまり好い印象は無かったようだ。
「あの悪ガキたちか。鉢植え持ってたやつだろ、お前」
「はい」
「反省したなら超常現象なんて忘れろよ。首突っ込んで面白いもんでもなかっただろ。死にたいのか」
コナーの声はバラの棘のような鋭さを持っていた。
封筒の件で一瞬いたずらっぽい子どもらしさを見せたと思いきや、その熱はすぐに冷めてしまったのだ。
ルネは目を伏せた。ひび割れたレンガが続いている。コナーの足がたまに視界に入ってくる。擦れたスニーカーは、今にも穴が空きそうだった。
「酷い荒れ方だよな」
コナーの独り言にも思える声に、ルネは顔を上げた。いつの間にか、庭を随分奥まで進んでいたらしい。開けた場所に出た。
ベンチや、バラのためのアーチ、どれもが雑草に飲み込まれかけていたが、かつては立派な庭だったことが分かる。
バラは特に、庭の大部分を占めていた。昔は人の手が加えられていたのだろうが、既に野生に戻ってしまったらしい。ルネはバラの図鑑を頭で捲りながら、バラの種類を探った。ざっと見ても十種類以上。家主はよっぽどバラが好きだったみたいだ。
庭の奥には、この庭の主が住んでいたのだろう、レンガ造りの家が建っている。傾斜のある屋根や、カーブを描いた出窓、どれも窓は長く閉ざされているようだが、おとぎ話に出てきてもおかしくない、古めかしい洋館だ。意外にも、庭の大きさとは不調和なこじんまりとした佇まいである。
「コナーさんのお家ですか......?」
「そう見えるか?」
この荒れ放題の庭と、どう見ても人が住んでいるようには見えない建物。答えは聞く前から分かっていたが、ルネにはこの家に二日間も入り浸るコナーの気持ちが分からないのだ。新しく引っ越す家なのだろうか。都会から離れて暮らすにしても、利便性は悪すぎる。
「めぼしいものは無さそうなんだけどな」
コナーはそう言って、自分のズボンのポケットに手を伸ばした。今度こそ本物の封筒だ。ルネは彼がそれを開けるのを、瞬きもせずに見つめていた。
「此処は、俺の先輩の家なんだけど、まあ死んだら好きなように使っても良いって言われて。ほら、これ」
封筒から出てきたのは、鍵束だった。この家のものだろう。中には手紙らしいものも入っていたが、コナーが取り出したのは鍵だけだった。
「こんなデカイ遺産貰ったって仕方がないってのにな。ほんと、なんで俺なんだか」
ルネは、鍵と家とを見比べた。鍵束なんて、学校の警備員が腰につけているのを見たことがあるくらいで、個人でそれを持っているのを見るのは初めてだ。
よっぽど信頼のおける助手だったということだ。
ルネは、封筒の送り主を思い浮かべた。こんな豪邸に住むのだから、きっと偉大な研究員だったのだろう。
「なんだか......嬉しそうですね」
家に向かって歩き出したコナーの背中に向かって、ルネは思わず呟いた。
「はあ?」
一度温度を取り戻した空気が、再び凍りつく。ルネは慌てて付け足した。
「人が戻ってきて。庭が、庭の植物が嬉しそうなんです」
「そういやお前、初めて会った時も鉢植えを抱えてたよな。好きなのか?」
「ちょっとだけ......あの鉢は、学校で当番になって、先生に家で育ててみないかって提案されて......」
なんだか、夢を見ているようだ。
ルネは思った。
あの日、自分を助けてくれた人に、あの日のことを話しているのだ。長い間憧れていたのは、超常現象を研究することよりも、この人と会話をすることだったのかもしれない。
家のポーチに着いて、コナーは鍵束から鍵を選んだ。玄関を開けたいらしい。ジャラジャラと鍵を選別している間、ルネは自然と自分が彼の後ろに着いて回っていることに気がついた。強く追い返されもしないので、心は許されているのだろうか。ひとまず安心だ。
「くそ、全然わかんね」
コナーは舌打ちをして、鍵束をぐるぐるしている。鍵穴が錆びているのかもしれない。
「蹴って壊したら、地獄に引きずりこまれそうだからな」
コナーはため息をついて、また鍵の選別を始めている。ルネはそっと鍵穴に顔を近づけた。
鍵穴のすぐ上には、花の彫刻が施されていた。六枚の花弁の中に、三枚の一回り小さな花弁がある花だ。
「これ、スイセンだと思います」
ルネはコナーを振り返った。
「はあ? スイセンって、花?」
「はい、ちょっと鍵も見せてください」
ルネはコナーから鍵束を受け取り、一つ一つを見てみる。鍵の方にも彫り物がされていたが、其方は花ではなかった。人や動物など、多種多様なモチーフである。
ルネはそれを一つ一つ注意深く見ていって、ある鍵で手を止めた。それは、一本の線を境界に、まるで双子のように瓜二つの二人の人物が、顔を見合せているという絵が描かれた鍵であった。
「これだと思います」
ルネが差し出すと、コナーは怪訝な様子でそれを鍵穴に指した。ゆっくりと捻ると、錆のパラパラと落ちる音と共に、カチャリと僅かな音がした。コナーは「まじか」とドアノブを捻った。蝶番の叫びを響かせながら、扉は開いた。
「まじか」
もう一度、彼が言った。
「お前、すげえじゃん」
「えへへ、こういう謎解きみたいなの、好きなんです」
「で、何なのこれ」
コナーは役目を果たした鍵を指さす。
「ナルキッソスです。ギリシャ神話の一場面ですね。この境界線はおそらく水面で、自分の顔が水面に映っている状態なんです。自分の美しい姿に心を奪われたナルキッソスは、やがてそのまま亡くなって、その水辺にスイセンの花が咲くんです」
「それが、このスイセン?」
コナーは開けた扉を指さした。
「はい。ナルキッソスは、ナルシストの名前の由来にもなったんですよ」
余計な知識だっただろうか。ルネは慌ててコナーの顔を見たが、彼はぼんやりと鍵を見つめていた。
「ナルシストね」
そして、口の端を持ち上げている。それは、初めて見る心からの笑みだった。さっきの子どもっぽさとはまた違う、彼の奥底から滲み出たような笑い方だった。
「しょ、植物の図鑑に書いてあった知識です......すみません」
「なんで謝んだよ、別に俺がナルシストって言われて傷ついたわけじゃないし」
コナーが顔を顰めて、建物の中に入った。ルネもそれに続く。入ってすぐ、埃っぽい空気に思わず激しい咳が出た。
「あんまり長居しないようにしないとな。口覆っとけよ」
コナーに言われ、ルネは着ていたパーカーの袖を引っ張って口と鼻を隠した。
扉を潜ってすぐ、正面には大階段があった。黒光りするどっしりとした木に、ワイン色のカーペットが敷かれている。廊下は左右に伸びていたが、扉が数枚あるだけですぐに突き当たりになった。
食堂、リビング、ダイニング、シャワールーム......どこも時が止まったように、当時の生活の気配が残っている。
「何十年も前に家主は亡くなったと聞きましたけど......」
昨晩、ノースロップまで乗せていってくれたトラックの運転手の言葉を思い出す。
ああ、とコナーは頷いた。
「俺の先輩の母親が、家主とされていたみたいだから。先輩が大学生の時に亡くなったらしいけど。そのまま、先輩が家を引き取ったらしい。まあ、大学卒業してすぐにB.F.研究員として地下に潜ったから、空き家と変わらない状態だったんだろうな」
二人は一階を一通り見た。鍵束には大量の鍵がついていたが、一階の扉はほとんどが解錠されていた。しかし、二階は個人の部屋が多いのか、どの扉も施錠されている。
「これ、なんの花」
「アイリスでしょうか」
「こっちは?」
「これはバラですね」
ルネは鍵穴の花と、コナーの手の中にある鍵に掘られたモチーフを見事に合致させた。コナーも自分で考える気はないのか、開かない扉を見つけるや否やルネを呼んだ。ルネにはそれが嬉しかった。
「これは?」
ついに最後の部屋になった。ルネは鍵穴に顔を近づける。柔らかそうな花弁と、奥行きがあるように見える模様が特徴的な花が彫られている。茎や葉まで細かく描かれているところを見ると、小さな花なのだろう。
ルネは少しの間じっとそれを見つめていた。
「スミレですかね」
今度は鍵束の方を見た。牛の絵が彫られた鍵を見つけ出し、差し込むと聞き慣れた音がする。
コナーは扉を開いた。ルネもそれに続く。そこは、今まで見てきたどの部屋よりも生活感が感じられた。本棚にはぎっしりと本が詰まっていたし、壁にかけられたコートやマフラーはそのままだった。デスクの上にはペン立ての他に、二通の手紙が封筒に入れられた状態で置かれている。
「お手紙......ですかね」
ルネはコナーの後ろからそっと覗く。コナーは両方を手に取って裏返し、ひとつはデスクの上に戻した。
「ひとつは俺宛てだな」
「そうなんですか」
封筒を開ける音がする。
ルネは何だか自分が邪魔なような気がして、そっと部屋の別の場所へ移った。
本棚はほとんどが古い小説で占められていた。海外の文学だ。それに関する解説書があるところを見ると、彼の先輩は大学では文学部だろうか。他には生き物や宝石の図鑑が数冊と、絵本が入っていた。そういえば、隣の部屋は子供部屋だったが、空の絵本棚が置いてあった。
本棚を見終えたところで、再びコナーに視線を戻すが、彼はまだ手紙を読んでいた。
ルネは続いてクローゼットに向かう。扉には鍵穴があったが、引っ張ってみると難なく開いた。
セーターやコーデュロイのパンツなど、秋冬らしい服が入っている。彼の先輩という人がこの家を出てB.F.へ移る時の季節だったのだろう。
部屋の荷物をそのままにしたということは、また此処へ戻るつもりだったのだろうか。
ルネの脳裏には、真っ赤な炎に包まれる研究所の景色が蘇っていた。
研究所で死ぬと決まっていたら、この家をその人はどうするつもりだったのだろう。こんなに素晴らしい内装と庭を持っていたら、きっと良い値段で売れたはずだ。
クローゼットは広かった。奥の方まで服で埋まり、靴や帽子、バッグの箱も積み重ねられているのが見える。有名なブランドのものが大半で、この家での裕福な暮らしが想像できる。
これだけの種類の服があれば、選ぶのも一苦労だ。
ルネは毎朝同じ服ばかり選ぶ自分と比べて、忙しいその朝のルーティーンを想像していた。
「おい、行くぞ」
気が付けば、コナーが後ろに立っている。ルネは慌ててクローゼットを閉めた。コナーにも中身は見えたようだ。
「何かほしいものあれば持って帰れよ。もう俺のもんなんだし」
「い、いえ。それは......」
「まあ、今流行りのデザインじゃなさそうだったもんな」
コナーが笑って、部屋から出ていく。ルネも慌ててそれに続いた。
*****
ルネの視線はコナーのポケットにねじ込められた封筒と、右手で揺られているもう一通の封筒に注がれていた。
ポケットの方は鍵が入っていたもので、もう一方はデスクに置かれていたものである。何が書かれていたのか、ルネは聞いても良いものだろうかと何度も考えるのだった。
仕事を辞めてこんな山奥まで来て、彼の今の心の波は穏やかではないはずだ。
これからどうするつもりなのだろう。B.F.を辞めて、何処か新しい場所で新しい仕事をするのだろうか。それもやはりセンシティブな質問だろうか。
コナーは黙ったままだった。階段を降り、玄関に向かうまで、ルネは沈黙を気遣う余裕すら無かった。自分も、早く新しい動きを見せなければ。このままでは、コナーがもう触れられないほど遠い場所に行ってしまうような気がしてならないのだ。
「あ、あのコナーさん_____」
コナーのズボンのポケットから顔を上げたルネは、目の前にコナーの背中が迫っていることに気が付かなかった。
「へぶっ!」
背中に顔ごと突進したところで、ようやく足を止める。
「コナーさん......?」
彼は玄関口で足を止めた。そっと背中から向こうを覗いた時、ルネはハッと息を呑んだ。
家の前に誰かが立っている。
既に庭まで入ってきているのだ。門の前で自分に話しかけてきたあの二人組だろうか。門の鍵は開けていない。門のポールが一本だけ外れることを、あの二人はまだ知らないはずだ。
しかし、目の前の人物は例の二人と様子が変わっていた。白いシャツに深い緑色のベストを着ていて、小綺麗な格好をしているのだ。髪色は光に溶けそうな銀色。美しい顔形で、ルネは不思議と彼がこの家の主に思われた。
コナーは黙っていた。目の前の人物もまた、黙ってコナーを見つめている。
静かな沈黙を破ったのは、低木から覗く筒状の何かを見た時だった。ルネはまっさきにそれに気づいたのだ。
「コ、コナーさんっ!!」
思わずコナーの背中に飛びついて、ルネは壁の内側に彼を押し倒した。あの黒光りする正体をルネは一度だけ見たことがある。それは、コナーがかつて持っていたものだった。今の彼のベルトにはそんなものぶら下がっていない。どちらが命の手綱を握られる側なのかは、一目瞭然だ。
「だから言ったろ、ろくな事にならないって。俺についてくんなって」
コナーは冷静だった。
「お前が一般人ってわかったら、たぶん撃たれはしないだろうから大丈夫だよ」
「で、でもコナーさんは!? そもそもあの人とは知り合いですかっ!?」
「知り合いってほどでもないけど......死ぬほど恨まれてるのは確かだな」
コナーは鍵束を取り出した。それをルネに押し付ける。
「まあ、まずはお前の命が優先だ。俺の後ろについてこい」
「こ、これ、どうするんですか......!?」
「あいつが一番欲しいのはこの鍵だろうからな。お前が持ってる限り、お前は殺されないと思う。ほら、行くぞ」
コナーは立ち上がって、スタスタとポーチにまで出て行く。ルネも震える足でついていきながら、周囲をそっと見回した。黒い筒が至るところから覗いている。茨よりも鋭い視線は、ルネの鍵束を射抜いて、それからコナーに向かった。
「すみません、邪魔してます」
コナーの声がした。
「こいつ、俺について来たただの高校生なんで。見逃してやってくれないっすかね。好奇心旺盛なのか馬鹿なのか、研究員辞めても俺についてくるんで、俺も参ってるんですよね」
美しい男は、まだ口を開かなかった。コナーの背後で身を潜めているルネを一瞥し、片手を上げた。低木から覗いていた銃口が、静かに引っ込んだ。
「僕の家に何か用事でもあったんですか、コナー・フォレットさん」
「何も無いと言ったら嘘になるかもしれないっすね。キュルス・フェネリーさん」
男の目は銀の糸のように細くなった。
「兄に何か言われましたか?」
「手紙には、鍵と家を預けるって書いてありました」
「そうですか」
男は微笑んだ。ルネにも分かるくらい、歪んだ笑みである。
「内見に来たのですね。いかがですか、フェネリー家は。あなた一人で住むには少々広すぎるかもしれませんね。そこの助手さんを入れたって」
ルネはハッとコナーの背中から顔を浮かせた。
「さっきも言いましたよね。俺はB.F.研究員を辞めたって。こいつはだから、助手でもなんでもないんすよ。ただの高校生っす」
「そうですか」
また重たい沈黙が降ってきた。ルネの手は震えて、さっきから鍵がカチャカチャと互いにぶつかって音を立てている。
「あなたは、B.F.から脱退して何をするつもりですか」
男の問いは、静かな庭の隅々に響いた。
「まさかとは思いますけれど、兄を追って死ぬつもりですか」
「まさか。命を手放せず会える方法をアンタも知ってんじゃないっすかね。むしろ、アンタら追ってたのはそれだけだったでしょ。エスペラントはまだ存在してるんすか? 親玉が死んでも?」
カチャリ、と冷たい機械の音がした。
「ええ。今は僕がベルナルドさんの意思を継いでいます。空白の一日をいかにして継続することができるか。兄も死んだのですから、尚更、研究を進める意思は強くなりました」
はっ、と鼻で笑う声がした。コナーの右手がポケットに動いた。二通目の手紙が乱暴にポケットにねじ込まれる。
「ナッシュさんは随分アンタのことが嫌いみたいですよ」
「......それも手紙に?」
「死者に会いたいとか、同じ考えを持ってるようなやつが、あの人は大嫌いなんですよね。常に自分だけのオリジナリティーを大事にしたいんですよね。だから、俺のことも嫌いみたいっす」
コナーは歩き始めた。ルネもぴったりとついていく。歩きながら、コナーの手が背中に回された。その手に鍵束を渡すと、コナーはすれ違う直前でそれを男の足元に投げたのである。
「自分勝手な兄さんをお持ちで」
吐き捨てるように言って、コナーは門までの道を振り向きもせず歩いて行く。ルネは、見えなくなるくらいのところで、そっと後ろを振り返った。
低木から姿を表す男たち。手には大きな銃。物々しい雰囲気の中で、例の男が落ちた鍵束を拾おうと屈み込むのが見えたが、やがてそれも伸びすぎた植物に隠れてしまった。
*****
やあ、元気かい?
こういう手紙を、どうやって始めたら良いのか分からないけれど、取り敢えず簡潔に話すことを試みてみるよ。
君と腰を落ち着かせて話すのはいつぶりだろう。こうして君のことだけ考えるということは、ここ最近無かったかもしれない。君と違って仕事が忙しいんだよ、僕は。もう時期、仕事すらできない体になるんだけれど。
単刀直入に言えば、この手紙で僕が君に伝えたいのは二つのことだ。
まずは僕の持っている土地のこと。僕だって実家くらいあるよ。赤ん坊の頃からB.F.に居たと思った? ドワイトに聞いているだろ、この会社は僕らが大学生の頃に立ち上げたんだから。
それで、僕が持っている土地だけれど、まあ正直に言うとそこまで立派なものじゃないんだ。僕の家はお金持ちではあったけれど、それは父が生きていた頃の話でね、今は空っぽの家がだだっ広い土地に置いてあるだけに過ぎない。
その土地を、まるまる君にあげるよ。封筒に鍵束が入っていただろう? それが、僕の家のマスターキーだ。ちょっとした謎解きのプレゼントだね。頑張って解いてみてくれ。優秀な僕の助手なら、造作もないことだろうさ。
本来なら僕の弟に譲っても良かったけれど、彼じゃ何だか異常なほど執着してしまう気がしてね。
歪んだ家で育ったからさ、親が歪んでいただけ、僕が何とかまともな人間に育てようとはしたんだけれど_____人間ってのは難しい生き物だよ。意思があるんだからね。ハサミでちょん切るわけにもいかないしさ。ということで、まずは君に権利を渡すことにする。その上で、どうするかは君が判断してくれないかな。
さ、家のことはこれで片付いた。
別にこれは次のことよりも重要じゃないんだ。僕にとっては重荷だったから、早く誰かに譲って手放したかったのさ。信頼のおける君だから、まあ雑には扱わないだろうし、かといって馬鹿みたいに執着しないだろうから言ってみたんだ。
じゃあ、二つ目について話そう。
「空白の一日」についてだ。
名前は聞いたことあるだろう?
昇格試験に何回も出しているんだから。
動きが少ない超常現象なだけあって、日曜会議で話題に上ることなんてあんまり無かったけど......でも、これが僕らにとって重要な存在であることくらいは君にも分かるだろう。
この発見は大学生の頃に遡る......って、ドワイトが話してくれたんだっけ。じゃあ、話は早い。僕らが追いかけても遂に追いつくことは出来なかった「空白の一日」。今度は君たちに追いかけてもらう番だ。B.F.はいろんな超常現象をかき集めてきたけれど、最終的な目標は「空白の一日」の全貌を明らかにすることなんだよ。
純粋な目標はね。
あのね、これもドワイトに聞いたかもしれない_____僕には妻と子が居た。息子の方は、生きていれば君と同じくらいの歳だったかな。もう二歳くらい年上かもしれないね。
二人はある日、ぱったりと消えてしまった。僕の中でその時、歯車が少しだけ狂ってしまったんだな。
ミゲルを失った君になら、僕の気持ちが多少なりとも分かるかもね。いや、これから嫌というほど味わうかも。もちろん、君の中で僕が大切な存在になっていればの話だけれど。
それで、えっと、そうだね、僕が狂った話だ。僕はね、ある時点からずっと夢を見ているような気持ちなんだよ。死んだ妻と子を追いかけたくてたまらないんだ。
それで、ドワイトやブライス、彼らとはもうひとつズレた視点から「空白の一日」を追いかけてしまったんだな。
生者と死者の世界がひとつになる時間。それが僕の目には魅力的に映ってしまった。目の中に消えない虹がかかったわけだ。
エスペラントとまるで変わらないだろう?
相違点はただ一つ。引き止めてくれる仲間が居ることだけだ。
雑多な超常現象をかき集める傍らで、僕は「空白の一日」もまた追いかけていた。個人的にだ。
分かったことは少ないけれど、周期があるということは見えてきたんだ。そして、それがどのような特徴を持った周期なのかもね。
まあ、それは論文を読んでくれたら分かるよ。
今、ブライスが将来の後輩にたくさんの資料を残す用意をしている。その中に、ちょっとしたイタズラで僕の論文を忍び込ませておいた。
君に読む権利をあげよう。これでも真面目に書いたんだよ。学会に発表するわけでもないのに、論文なんてね。おかしいだろう。おかしいんだよ、僕。根っからねじ曲がった、人間じゃない人間なんだよ。
それを、僕の妻は上手く軌道修正してくれたんだ。素晴らしい人だったよ。君にも会わせてあげたかったなあ。
君たち研究員はね、みんな彼女の子どものような存在なんだ。「Black File」という名前を誰が考えたと思う? 彼女だ。僕の妻だよ。
最初は超常現象なんて馬鹿みたいに思っていた。
まさか、人生を捧げるような存在になるなんてね、人生って何が起こるか分からないもんだよ、コナー。
さあ、君に二つのことを託した。家のことと、僕の論文を読む権利。
論文を読んで、君がどんなことを思うかは分からない。
もしかしたら、僕に失望するかもしれない。自分に許された立場を利用して、エスペラントと同じ色に手を染めたんだ。
本当は、「空白の一日」なんて追いかけない方が良い。それが正常な考えだ。
文書001の著者に会ったことがあるんだけれどね、酷いものだった。
あの世界での経験を覚えている人には、何かしら神様の罰が与えられるようだね。当然だ。死者と会うという、人としての禁忌をひとつ犯しているわけだから。現実世界の人間の誰一人とも会話がままならないのさ。当然、文字に書いたって解読はできない。
どうだい、これでも空白の一日を追いたいと思うかい?
僕は思ってしまったんだな。
なんて馬鹿なんだろう。
言いたいことは言ったよ。でも、まだ一つだけ叶えて欲しい願い事がある。
だけど、紙が尽きてしまった。
みんな、次から次へと便箋を持っていくんだから。
それに、最低な願い事なんだ。
叶ってなんか欲しくない。
とにかく、家と論文を頼んだよコナー。
僕の助手として、もうひとりの息子として。




