70「マニオンの試練ですか?」③
マニオンは悩んだ。
今ここでクライドを殺せば、楔がひとつ破壊できる。
世界の降りてきた神々に手を貸すことは癪ではあるが、愛情と戦いの女神ヴァルレインの使徒として、楔を破壊することは使命であった。
ヴァルレインから与えられた剣を抜こうとするが、なぜか躊躇われてしまった。
――不思議と、サムや出会ってきた人々の顔がちらついてしまったのだ。
「――やめておくのである、マニオン・ランバッハ」
「――っ」
クライドの声は、優しかった。
それでいて、マニオンを見透かすような目を向けていた。
「その様子を見れば、私が世界の楔であることに気づいたのであろう。女神と使徒として、私を殺すことで楔を破壊したいのであることもわかる。だが――迷いがある剣では私は殺せぬのである」
マニオンは何もいえなかった。
まさか、自身の迷いを見抜かれていたとは思わず動揺する。
感情を制御できるようになったはずが、まだ未熟であると悔やんだ。同時に、もう長い時間を生きているのに、感情ひとつ制御できないことを恥じる。
「そなたのヴァルレインへの想いは伝わってきた。素晴らしいビンビンである。だが、そなたはそれで後悔しないのであるか?」
「後悔? 私は、使徒として」
「そうではない。そなたは、今、私を殺し楔を破壊することで満足するのであるか?」
「なにを」
「正々堂々とサムと戦い、勝利し、その上で私を殺すべきではないであろうか? 良くも悪くも直情的なヴァルレインであれば、すべての敵を下し、自らの力を誇示した上で私を笑って殺すであろう。そなたは、そうではないのか?」
クライドの言葉は、命乞いの類ではなかった。
死にたくないから適当なことを言うわけではないことは、言葉の落ち着きと、瞳を見ればわかる。
クライドの言う通り、マニオンの知るヴァルレインならば正々堂々と敵を倒し、見事勝利を収めることを喜ぶだろう。
この場でマニオンがクライドを殺して楔を破壊することになっても、叱責することはないだろうし、失望もしない。よくやったと褒めてくれるはずだ。
――しかし、マニオンのいない場所で小さくため息をつくかもしれない。
ヴァルレインは、自分のためを思ってやったことを咎めるような狭量ではない。
むしろ、声を大にして褒めて抱きしめてくる神だ。
だからと言って、よかれと思ってしたことと、ヴァルレインが望むことが違うこともある。
「……ヴァルレイン様は、あなたのおっしゃるように戦い勝利した上で目的を果たすことに喜びを見出す方だ。今、この場であなたを殺しても、褒めてはくれるが喜びはしないでしょう」
「ふむ。マニオンからヴァルレインの話を聞く限り、彼女は本来気持ちのよい性格をしているようであるな。それだけに、相容れないことが残念でしかたがないのである」
「――それは、あなたたちがヴァルレイン様を神として受け入れてくれないからだ!」
「我々は受け入れないと言っていないのであるっ! ヴァルレインが唯一の神として君臨すると言うのであるがゆえに、相容れないのである! 我らには我らの信仰がある。ヴァルレインが、愛の女神エヴァンジェリン・アラヒー様と共にいることを望まれるのであれば、我々は受け入れよう。ヴァルレインのために神殿を建て、教えを広めよう」
「――しかし」
「まだ時間はある。その話は持ち帰ると良い。私は、王だ。国王なのだよ、マニオン・ラインバッハよ。民が愛する女神を捨てることなどできぬ。したくもない。そなたも逆の立番でれば同じであっただろう?」
「そう、ですね」
マニオンは、この場でクライドを殺すことをやめた。
彼の言う通り、迷いを持ったまますべきことではない。
「今、神々が来ている。サムたちが戦うのであろう。そなたはどうする?」
「……私は、戦神ディーオドールなどどうでもいい。この地に降りた神々もです。愛情と戦いの女神ヴァルレイン様はこの世界を欲している。この世界を破壊しようとする戦神たちとは相容れない」
「そうであるか」
「……今は、兄を助けます。兄と戦い、勝利するのは私だ。私が、ヴァルレイン様に勝利を捧げるのだ!」
「――うむ。よいビンビンである! その想いを大事にし、サムと存分にぶつかると良い!」
マニオンは驚いた。
「止めないんですか」
「止めないのである。そなたもサムも、本当の意味での兄弟喧嘩を望んでいよう。こんな時に、と思うかもしれないが、兄弟とはそんなものである。私はそなたの味方にはなれぬが、ひとつだけ言おう」
「はい」
「――後悔するな、である」
マニオンの心の中に、クライドの言葉はすとんとおさまった。
どこか心が軽くなった気がする。
「――ありがとうございました。いずれ、また」
マニオンは礼を言って、お辞儀をした。
「――うむ」
クライドは笑顔を作り、頷く。
王に背を向けたマニオンは歩き出す。
行くべき場所は決まっている。
――サミュエル・シャイトと共闘だ。
「貴様ぁあああああああああああああ! どうやって抜け出したぁあああああああああああああ! 手品師かぁああああああああああああああああああ!?」
「ちょ、待つのである! そんな太くて棘がついたもので殴られたら、さすがの私も死んでしまうのである! 世界の楔が大変なことになってしまうのである! ちょ、本当にやめてほしいのである! ひぃっ、王宮からイーディスが鞭を握ってこっちを見ているのである! 後生である、後生であるから、王宮には連れて帰らないでほしいのである!」
そんな背後から聞こえる声を無視して、地面を蹴った。
神々のいる場所に向かい、マニオン・ラインバッハは飛んだ。




