50「悪あがきなんてさせません」
「ふー! すっきりした!」
額に光る汗を拭いながら、ウルは満足な表情を浮かべてバーブリン公爵から離れ、おまけとばかりに尻を蹴飛ばした。
「ぶひぃ」
サムが魔法でお湯を作り浮かべると、ウルは血まみれの手を入れて洗う。
しばらくお湯の中で手をこすっていたが、綺麗になったようで手を引き抜いた。
「はい。ハンカチ」
「おう。ありがとな」
手を拭く彼女の背後では、大の字に倒れたバーブリン公爵の姿がある。
顔は腫れ上がってパンパンで、血まみれであるため、少ししか見ていない彼のもとの顔がもうわからなくなっていた。
「……す、すさまじいものですね……スカイ王国の宮廷魔法使いは」
カリアンに連れられて遅れて到着していたスレイマンは、他国の貴族であろうと関係なく叩きのめしたウルに腰が引けていた。
同じく同行しているバーザロフ公爵も、「ひぇ」と情けない声をあげている。
「言っておきますけど、みんながみんなこうじゃないですからね」
「……ははは、そうであれば、いいと思います」
一応、スレイマンがスカイ王国の宮廷魔法使いたちへの誤解があるとまずいので訂正をしてみるが、どこまで信じてくれたか不明だ。
「しかし、これだけ負傷していたら会話もできないですね」
「弁解も何もなく殺せば?」
「……それも、ひとつの手段としてはありなのですが」
ウルはもうすっきりしたので、この国にあまり興味がないようだ。
バーブリン公爵がどう転ぼうとどうでもいい。
だが、それはサムも友也も同じだ。
「……でしゃばるようなことをするのは気が進みませんが」
カリアンがバーブリン公爵に歩み寄り、聖術によって彼の腫れた顔を治した。
(……あまり変わらないなぁ)
この国でどうすれば、これほど肥えることができるのかと想像することさえできないほど、バーブリン公爵は肥え太っていた。
ウルが散々殴った彼の顔も、脂肪がついているので、血に濡れていないだけマシだが、正直、誤差だと思う。
「……い、痛みが消えた……貴様、かなりの使い手だな!」
「ありがとうございます」
「私に支えさせてやろう!」
バーブリン公爵の言葉に、カリアンは表情をぴくりとも動かず拳を顔面に叩きこんだ。
「ぶげっ」
「おっと、失礼しました。あまりにもくだらぬ言葉が耳に届いたので、つい」
鼻を抑えてもんどりを打つバーブリン公爵に、カリアンは二度目の聖術は施さなかった。
「スレイマン様、失礼しました」
「……いや、私でも同じことをしただろう」
「いい気味だ! 許されるのなら私も殴り飛ばしたいわ!」
フォローするスレイマンに対し、先ほどまで襲撃されていたバーザロフ公爵は拳を固く握っている。
さすがに殴ることはしないが、命を狙われた相手だ――本音を言えば殺したいだろう。
「バーブリン公爵」
「……ひ、す、スレイマン」
「貴様っ、殿下を呼び捨てるとはなんという不敬な!」
鼻を抑えていたバーブリン公爵が、スレイマンを認識し、目を見開いた。
生きているとは思っていなかったようだ。
「よせ、バーザロフ公爵」
「――は」
スレイマンはバーブリン公爵に向けて、淡々と言い放つ。
「お前は王になろうとしたようだが、父も母も健在だ。お前は王にはなれない」
「そん、な」
「私はお前が理解できない。民が飢え苦しむ国の王になりたいとなぜ思える?」
心底わからない、という疑問だった。
王であれば、民への責任がある。
仮に義務を放棄し、民が飢えて死ねば、税もなにもなくなる。
そんな状況下では、王であっても飢えて死ぬ。
順番が早いか遅いかの違いだ。
「父はもちろん、私も、民のために力を尽くしてきた。お前たちにことごとく邪魔をされていたが……」
「うるさいぃいいいいいいいいいいいい!」
まるで子供が癇癪を起こしたように、バーブリン公爵はスレイマンの言葉を遮り、叫んだ。
そして、懐からなにかを取り出す。
「――スレイマン様!」
サムはスレイマンとバーザロフ公爵を庇うように彼らの前に立つ。
バーブリン公爵は特に攻撃するわけではなかった。
血走った目を見開き、鼻血だけではなく、涎を垂らし、興奮しているように肩で息をしている。
バーブリン公爵の手には、丸薬が握られていた。
「なんだそれ?」
サムの疑問に答えることなく、バーブリン公爵が丸薬を口に放り込んだ。
「――全てを斬り裂く者」
これから何かが起きると察したサムは、一切の容赦無くバーブリン公爵の首を跳ね飛ばした。




