第7話 合否
ハルヒコを担当していた試験官はバンバレットを引き連れて戻ってきた。バンバレットはハルヒコに自分に付いてくるように指示し、二人は塔の方へ向かって消えた。
「ハル…」
シャーリエは、背中を丸めてバンバレットの後をついて歩く親友を見つめていた。
ハルヒコは塔の一室へと案内された。そこには三人程度が座れそうな長机が、ずらりと並んでいた。部屋の前側の壁には黒板が掛けられている。埃のにおいが充満しており、どうやらここは随分と使われていない教室のようだった。
憧れていたノルデン国立紋術院の建物に初めて入ったが、ハルヒコは一言も言葉を発さず先を歩くバンバレットが自分に何を聞くのか、それだけに気を取られていた。
「どこでもいい。座りなさい」
試験官をしていた時と同一人物とは思えないほど、穏やかな声でバンバレットがハルヒコに声をかける。ハルヒコは素直に従い、真ん中の最前列の席にちょこんと腰かけた。足は固く閉じ、紋が刻まれた右腕を左手で落ち着きなくさすっていた。
「そう怖がらなくてもいい。私がききたいことはただ一つだ。君は何をした?」
バンバレットは口の両端を少しだけ上げて、ハルヒコに尋ねた。怒っているわけではなさそうだと感じ、ハルヒコは少しだけ力を抜いた。
「…わかりません」
ただ、バンバレットの質問の問いにハルヒコは答えることができなかった。
—僕が一番、何が起きたか知りたいのに…。
答えようもないことを聞かれて、ハルヒコは心の中で言い訳をした。それでも、バンバレットはハルヒコの言葉の続きを促すように黙っている。
「…言われたとおりに、火の玉を作ろうとしたんです。原素の流れを感じて、イメージをしました。でも、できませんでした。ただ火の玉を起こしたい、そう願っただけなんです!」
「…そのとき、紋の形を変えようと考えたか?」
バンバレットはハルヒコの前に立ち、机をコンコンと人差し指でリズムよくたたきながら質問した。
—よく思い出せ。
そう言われているようだった。
「いいえ。そんなこと、思ってません…」
「どこかで、紋が変化するという話を聞いたりしたことは?」
ブルブルとハルヒコは頭を横に振った。バンバレットは左手を口元に当てて、押し黙った。
がたん、がたんと音が二回なった。黒板の上に設置されていた古い時計の秒針が動く音だった。
「刻まれた紋が変化する…そんなことが可能なら、紋術の研究そのものが根底から変わるな…」
バンバレットはがぽつりとつぶやいた。
「興味深いのは、元の紋の性質を完全に失ったわけではないということだ。元の性質を残しながら、現象の形が変わっている」
バンバレットは独り言を続ける。その目は受験者を選別しようとする厳しいものではなく、未知のものを前にした学者のように輝いていた。
「僕は……不合格でしょうか」
ハルヒコは一番気になることを素直に聞いた。その声にはっとしたのか、バンバレットは思考を止め、答えた。
「君は指定されたものとは異なる紋術を発動させた。しかも、再現性ができないときた。通常なら、評価は難しいだろうな」
ハルヒコは下をうつむき、ズボンをぎゅっと握った。
—やっぱり、ダメなんだ…。
胸に鉛が入ったようにズシンと重くなる。胸のポケットには父からの手紙がしまってあった。
「ただし…」
バンバレットは続けた。
「君は紋術を発動させることはできた。紋の形が変わっているうえ、意図的に起こせなかったことは問題だが、この結果を無視することはできないのもまた事実だ」
バンバレットは机に両手を置き、ハルヒコにぐっと顔を近づけていった。
「ノルデン国立紋術院は、理解できない結果を理解しないまま切り捨てる場所ではない」
ハルヒコは顔を上げた。
「……では」
「今回の試験は、合格とする!ただし、君のことはたっぷりと観察させてもらう」
「わかりました!ありがとうございます!」
ハルヒコは立ち上がるとバンバレットに頭を下げた。バンバレットが出て行ってもハルヒコはしばらくその場を動けないでいた。
—合格!
その事実をただただ噛みしめていた。
教室を出ると、シャーリエとユメコがいた。
「二人とも!」
「ハル、大丈夫だった?」
シャーリエが子犬のように上目遣いで尋ねる。その瞳がウルウルと揺れている。
「うん!試験、合格だって!」
シャーリエとユメコは目を見開いた。それから、顔いっぱいに笑みを広げた。
「よかった!」
シャーリエに勢いよく抱き着かれ、ハルヒコは後ろによろめいた。ユメコも瞳を潤ませながら、ぱちぱちと小さく拍手していた。
「ちょ、ちょっと、シャーリエ!」
「だって…だって…!よかったよぉぉぉ、ハルぅぅ!」
シャーリエはハルヒコの首にぐりぐりと頭を押し付けた。ハルヒコの首はシャーリエの涙でびしょ濡れだった。
「二人はどうだったの?」
「僕もユメコも合格したよ!」
「本当に!?よかった!」
シャーリエの力強い抱擁を振りほどいて、ハルヒコはユメコに近づいた。
「ユメコ!やったね!でも、どこに行ってたの?」
「…うん。第一試験の時に、これを見せたら第二試験も合格だって言われたの。それで、いろいろと聞きたいからって、ハル君とおんなじで、教室に連れてかれちゃった」
もじもじと言い淀みながら、ユメコは自身の長袖をまくった。ユメコの腕にはハルヒコたちが刻まれたものと比べて明らかに複雑で美しい紋が刻まれていた。
「やっぱりね!それがあるから、ユメコは絶対に合格するって思ったんだ!」
シャーリエはなぜか自分が得意そうに言った。
ユメコが一〇歳の誕生日を迎えた日、突然その紋がユメコの腕に浮かび上がった。シャーリエの母はそれを自然紋と呼んだ。
—特別な人間にだけ与えられる神さまのご加護よ。
シャーリエの母が言っていたことをハルヒコは思い出した。
「そんなことよりシャーリエの方がすごかったんだから!」
ユメコは自分の話はもうおしまいとばかりに、袖を戻しながらハルヒコに言った。
「そうなの!?シャルのは確か風を起こす紋だったよね?」
「そうよ!シャーリエったら、竜巻みたいな風を起こしちゃうんだもん!」
ハルヒコは思わず笑った。
「やっぱり、すごいや、シャルは!」
「旗が全部折れて試験ができないじゃないか!って、試験官の人に怒られちゃったよ…」
自慢する訳でもなく、本当に落ち込んでいるらしかった。そんなシャーリエがおかしくて、ハルヒコとユメコはくすくすと笑った。つられてシャーリエも笑顔になり、三人は互いの健闘をたたえ合った。
「ハル」
ひとしきり笑った後、シャーリエがハルヒコの名を呼んだ。ハルヒコがシャーリエの方を向く。
「君は本当にすごいね、ハル。いつだって僕に見たことないものを見せてくれる。」
「ど、どうしたの?ハル」
いつもふざけてばかりのシャーリエがあまりに真剣に、似合わないことを言うものだからハルヒコは戸惑った。それでもかまわずにシャーリエは続ける。
「うん、急に言いたくなったんだ。ハル、本当におめでとう」
「…ありがとう」
シャーリエがなぜ急にこんなことを言い出したのか、わからなかったがそれでも親友からの言葉にハルヒコは目頭が熱くなるのを感じた。
その日の夜、ハルヒコは家に帰ると、父の手紙を机の上に広げた。
何度も何度も読み返した手紙。
—父さんに少しは近づけたかな…。
自分が起こしたあれはいったい何だったのか。英雄になるための力なのか。答えは出なかったが、あの時強く願ったことだけははっきりと覚えている。
—英雄になりたい。
その願いに紋が応えてくれたのだとしたら。
紋は自分の願いをどこまでもかなえてくれる力なのだろうか。
―わからない。ただ、今日はとても疲れた…。
ハルヒコは手紙を丁寧に畳み、机の引き出しにしまった。そして、布団へと潜り込むとすぐに深い深い眠りへと落ちた。
机の上に置かれた合格証書を月明かりが照らしていた。
同時刻。
ノルデン国立紋術院。
棟の最上階、小さな部屋から広場を見下ろす人物がいた。
アルゴリア・バンドール。
ノルデン国立紋術院長にして、現在の紋術師で唯一、冠位紋術師の称号を与えられた人物。彼は今日行われた試験の報告書を読みながら考えに耽っていた。
―紋を変えた少年か。紋が変わるなど、そんなこと…。
彼の頭にはある仮説があった。しかし、彼はそれを認めるわけにはどうしてもいかなかった。
彼は、ハルヒコの試験結果の報告書を静かにろうそくの火にくべた。




