第4話 第一試験
ノルデン国立紋術院。ノルデン王国が誇る世界最高の紋術師育成機関である。紋術師の育成のみならず、研究も行っており、世界各国の紋術師やその卵が日々研鑽を積んでいる。
今、入り口の門は固く閉ざされている。ハルヒコたちやその周りにいる少年少女たちは門の扉が開くのを待ちわびていた。
ゴゴゴゴゴゴゴ
ハルヒコたちの何十倍もの高さの門の扉が、大きな地響きとともに開いた。
「…っ!!!」
扉の向こうに広がる景色にハルヒコたちは思わず絶句した。目の前に広がるのは丁寧に整備された広場だった。赤や黄色、紫やオレンジといった色とりどりの花や、グネグネにまがった幹を持つ木々、心が爽やかになるほどに青々とした芝生。個性的な植物に囲まれながら建物に伸びるアプローチ。
「なんだ、ここ…」
少年少女の誰かが声を漏らす。
広場も素晴らしいが、何よりもハルヒコたちの目を奪ったのは、アプローチの先に構える三つの塔だった。それらは天を突くように空に向かって、どこまでも高くそびえ立っている。塔はそれぞれ異なる形をし、幾つもの回廊で繋がれている。塔の壁面には石の装飾が施され、その間隙を縫うように細長い窓が張られていた。まるで、一つの街が築かれているようだった。
そして、その中央。
塔と回廊に囲まれた空間を、巨大な滝が流れ落ちていた。白い水しぶきが立ち上り、太陽の光を受けてキラキラと光っている。不思議なのは、その水がどこから流れているのか、まるで分からないことだった。滝の上には、水源らしきものは見当たらない。それなのに、水は絶えることなく落ち続けている。まるで、この場所そのものが水を生み出しているかのように。
少年少女たちは我先にノルデン国立紋術院の門をくぐる。ハルヒコも目を輝かせながら広場に足を踏み入れた。シャーリエとユメコがその後に続く。
広場の中心で皆、あたりを見渡している。その表情は様々だ。緊張で頬が強張る者。期待に胸を膨らませる者。不安そうにきょろきょろとする者。その中で、シャーリエだけはいつもと変わらなかった。
「すごいね。ここに入れば、本当に紋術師になれるんだ」
見上げる顔に、気負いはない。まるで少し遠くの市場へ買い物に来たような口ぶりだった。
「まだ入れるって決まったわけじゃないわ。試験があるって、おばさんが言ってたでしょ」
ユメコが物知り顔でシャーリエを諭す。ユメコの艶々と光る肩まで伸びた黒髪が、風になびく。
「だから、すごいんじゃないか!」
シャーリエは八重歯をのぞかせながら、無邪気に笑った。
ハルヒコは二人のやりとりを聞き流しながら、胸元に手を当てた。服の内側には、父が遺してくれた手紙がしまってある。何度も読み返したせいで、紙の端は柔らかくなっていた。この手紙がハルヒコをここまで連れてきてくれた。
英雄になって、父の無念を晴らす。
英雄になって、父が間違っていなかったと証明する。
英雄になって――。
「ハル?」
黙りこくっているハルヒコに、シャーリエが心配そうに声をかける。
「……なんでもない。行こう」
しばらくすると七人の大人たちが塔の方から歩いてきた。彼らはそれぞれ、白い衣装をまとっていた。その衣装はゆったりとした袖をもち、胸元に帯状に伸びた金色の刺繡が施された。刺繍の数は後ろの六人は一本で、先頭を歩く1人のみ三本であった。どうやら本数が多いほど、ここでの地位も高いようであった。
「少年少女諸君。ようこそ、われ等がノルデン国立紋術院へ」
彼らはハルヒコたちの前まで来ると、先頭の男が声を張り上げた。どこか芝居がかった口調と心臓を鷲掴みにしそうな声は身にまとう荘厳華麗な衣装と相まって、ひどく威圧的に感じられた。
「私はバンバレット・バーデンだ。さて、諸君も知っての通り、ノルデン国立紋術院、あー、通称、ノルデン院だが、ここは誰も彼もが入院できるような生易しい場所ではない!紋術を究めんとする気高き誇りを持った者だけが入ることを許される神聖な場だ!そもそもノルデン院が造られたのは…、ん?なんだ、長い?そうか…」
バンバレットが部下と思われる一人から耳打ちされ、バツが悪そうに頬を掻いた。コホンと咳払いをしてバンバレットは続けた。
「とにかくだ!ノルデン院には選ばれた者だけが、入ることを許される!そこで、これより、ノルデン国立紋術院の入院試験を開始する!」
ざわざわと少年少女たちの声が大きくなる。ハルヒコもいよいよだと体をブルブルと身震いさせた。
「試験は二段階形式で実施する。第一試験では、諸君の身体に試験用の紋を刻み、紋が定着するかどうかを確認する試験だ。ちなみに、紋を刻むのはここに並んでいる腕利きの刻紋師たちだ」
バンバレットの言葉に後ろに控える六人が心なしか誇らしそうにした。どうやら彼らが試験用の紋を刻んでくれるようだ。
「紋を刻むって…?望んでもいねぇ紋を体に刻まれるのは気に入らねぇな!」
怖いもの知らずなのか、金髪の少年が声を張り上げた。耳にはジャラジャラとアクセサリーをぶら下げている。あんな子も紋術師を目指すのかとハルヒコは少しだけ意外に思った。
「君の疑問ももっともだ。安心したまえ。試験後その紋は消紋する。…第一試験で見たいのはそもそもの素質だ。我々の体内に蓄えられている紋術を発動させるためのエネルギー、つまり原素だが、それが十分な量あるか、あるいは効率的に紋に流せるかをテストさせてもらう」
「ねえねえ、ハル」
バンバレットの小難しい話に飽きたのかシャーリエがこそこそと話しかけてきた。
「あの試験管の人、鼻毛出てない?」
「くっ」
思わず吹き出しそうになるのをこらえて、ハルヒコはシャーリエを睨んだ。シャーリエは素知らぬ顔でそっぽを見向いた。そんな二人をユメコがニコニコして見守る。
バンバレットの説明は続く。
「第二試験では、その紋を用いて紋術を発動してもらう」
少年少女たちのざわめきが大きくなる。
「紋が定着したとしても、発動できなければ意味がない。紋の能力を正しく理解し、扱えるか。第二試験ではこれを見させてもらう。つまり第一次試験で、紋が定着せず消えた者は、その時点で不合格となる。また、紋が残ったとしても、紋術が発動できなければそのものもまた…即刻帰ってもらう」
試験官は、そこで一度言葉を切った。
「いいか、諸君!紋は、原素を現象へ変換するためのゲートだ。原素が足りないのは論外!原素があっても、変換が非効率ならば、わずかな現象しか起こせない。諸君には、紋を定着させる資質と、紋を扱う資質の両方が求められる」
ハルヒコは息を呑んだ。シャーリエもさすがに黙っている。受験者の中にへらへらした空気をまとっているものは、もう一人としていなかった。
バンバレットは少年少女を見渡し、にやりと笑うと短く告げた。
「それでは、これより第一試験を始める。」
試験が始まると、受験者たちは一人ずつ呼ばれていく。試験官が受験者の腕に手をかざすと、受験者たちの腕に細い線が浮かび上がった。それは三角や四角を組み合わせた簡単な幾何学模様の紋だった。
ある少年の腕に紋が浮かび上がったかと思うと瞬く間に消えた。
「不合格。次」
試験官はあまりにも簡単に、そして、冷酷に告げた。少年は何かを言いかけたが、試験官の視線を受けて口を閉じた。肩を落とし、広場を去っていく。
一方で、ある少女の紋は、十数秒ほど光ったあと、静かに肌へ沈んだ。
「うん、定着しているわね。第二試験へ進んでもいいわ」
女性の試験官にやさしく告げられた彼女は、ぱっと表情を明るくし、第一試験を突破した者たちの輪に入っていく。
「いいなあ」
ユメコがぽつりとつぶやいた。
「ユメコなら大丈夫だよ。絶対に合格する」
どうやら自分の番が近づき不安になっているユメコに向かって、ハルヒコは言葉をかけた。
「そうそう!ユメコなら大丈夫だよ!だってユメコには…」
「次の者!前へ!」
シャーリエが何か言いかけたが、ユメコの番が回ってきた。
「じゃあ、行ってくるね…」
どこまでも不安そうなユメコをハルヒコとシャーリエが小さく手を振って見送る。
「腕を出しなさい」
「はい…」
感情を感じさせない声で指示されたユメコは恐る恐る腕を出す。
「ほう…これは」
試験官がユメコの腕を興味深そうに見つめる。
「珍しいものを持ってるな。よし、お前は第一試験、第二試験ともに合格だ」
その声を聴いて、ユメコはほっと一安心した。
「ユメコ、大丈夫かな」
ハルの心配そうな声に、シャーリエはけらけらと笑いながら答える。
「ハルまでそんなに心配してぇ。大丈夫だって!あ、次僕の番だ!」
シャーリエが呼ばれたらしく、試験官のもとに元気に駆けていく。
「シャルはほんとすごいよ…」
ハルヒコが誰にも聞こえない声でつぶやいた。
「よろしくお願いいします!!」
シャーリエは試験管に向かって元気にあいさつした。そして、試験管の前に上でを勢い良く突き出した。試験官はまた変な奴が来たものだと内心呆れながら、シャーリエの腕に手をかざす。
紋がはっきりとシャーリエの腕に浮かんだ。
最初は、ほかの受験者と大差ない光だった。細い線が腕に広がり、淡い光を放つ。十秒。二十秒。三十秒。
試験管は、そろそろ光が消えるだろうと思った。
しかし、消えない。
一分が過ぎた。
試験官の額に汗がにじみ出した。
一分半。
そんな馬鹿な。試験官は心の中でつぶやいた。光はまだ強く、むらがない。紋の線一本一本に、澄んだ光が満ちていた。
二分。
あり得ない。試験官はもはや絶句していた。
周囲の受験者たちも、シャーリエの異変に気付いたのか、シャーリエの周りに輪を作る。
シャーリエは、静かに自分の腕に浮かんだ紋を見つめていた。
二分半。
試験官の表情からは既に余裕は消え、大量の汗が噴き出していた。
三分。
ようやく光が弱まり、紋が肌の下へ沈んだ。
「……定着を確認。」
試験官はそう告げたものの、すぐには次の候補者を呼ばなかった。
その言葉は、会場全体に聞こえていた。
会場は騒然としていたが、シャーリエだけがハルヒコのもとへ戻ってきた。
「ハル!終わったよ」
「……うん、すごかった」
「えへへ」
ハルヒコに褒められてシャーリエはにこにことうれしそうだった。そのせいだろうか。ハルヒコの表情に少し翳ができていることにシャーリエは気づかなかった。
「ハル、そういえばユメコは?」
「まだ戻ってきてないよ。どこかに呼ばれてる風だったけど」
「そうなんだ…」
「次の者、前へ!」
いよいよ、ハルヒコが呼ばれた。ハルヒコはぐっと体に力を入れた。
「ハル、頑張って!」
シャーリエの精一杯の応援に、ハルヒコはぎこちない笑顔だけを返した。
ハルヒコの腕に試験官が手をかざすと、腕に冷たい感触が走った。細い針で刺されたような感覚が腕に走る。そして、細い線が浮かび上がった。
光は、弱かった。
ハルヒコは息を止める。
消えるな。
どうか、消えないでくれ。
光は一度、かすかに揺らいだ。線の端が消えかけ、再び浮かび上がる。試験官の眉がわずかばかり動いた。
それでも、紋は残った。
「…紋の定着に問題なし。第二試験へ進むことを許可する」
試験管の声にハルヒコは、胸に溜めていた息を吐いた。まだ、第二試験が残っている。それでも、ここから先へ進める。
試験管の前を離れるとシャーリエが駆け寄ってきた。
「ハル!おめでとう!」
「シャル、ありがとう。次が本番だな」
ハルヒコは自分の腕を見下ろした。自分の体に刻まれた初めての紋。それは英雄への道標のように感じられた。
ハルヒコが自分の紋から目を離した一瞬、線の一部が、ごく短く、針の先ほどに光った。
試験官のバンバレットだけが、ハルヒコをじっと見つめていた。




