第3話 紋
「ねえ、おばさん。紋術って、どうやったら使えるようになるの?」
昼下がり、シャーリエの家の庭でハルヒコは木の棒を振りながら尋ねた。木の棒を振ることはハルヒコなりの特訓だった。シャーリエは柔らかなクリーム色の髪をふわふわとさせながら、ハルヒコの真似をしていた。そんな二人をユメコがケガしないでよぉと呟きながら応援している。
「なぁに、ハル君。あなた、紋術師になりたいの?」
シャーリエの母が笑いながら尋ねると、ハルヒコは猫のように鋭く、強い意志の宿った瞳を爛々と輝かせながら頷いた。
「うん 僕、父さんみたいな英雄になるんだ!」
「…そう。それはシロウさんも喜ぶわね!いつかハル君が悪い王様を倒しちゃうのかな?」
「もちろん!」
ハルヒコは自信満々に胸を張った。
父が死んで半年が過ぎていた。村の大人たちは食べ物をくれたり家事を手伝ったりしてくれたが、夜、一人で眠りにつく寂しさには慣れなかった。それでも英雄になると決め、ハルヒコは前を向き始めていた。どうしても不安で苦しい時は父の手紙を読み返した。
父は、英雄という存在に縛られて死んだ。
ハルヒコは、自分が英雄となって悪い王様、つまり、【異形の王】を倒すことが父への弔いだと信じていた。たとえそれが、父の願いとは裏腹であっても。
「それで紋術師になるにはどうしたらいいの!」
じれったくなり、ハルヒコは再度尋ねた。
「そうね。まずは紋術について知ることが大事ね。ハル君は紋術のこと、どれくらい知ってる?」
シャーリエの母に聞かれてハルヒコは困った。どれくらいも何も全く知らなかった。シャーリエやユメコを見ても、二人とも頭を振るだけだった。
「ふふ。三人ともあんまり知らないみたいね。じゃあ少しだけ、紋術のお勉強、してみる?」
「いいの!?」
「もちろん。でも、先に一つだけ教えておくわね」
彼女は三人の前にしゃがみ、真剣な顔で言った。
「今のあなたたちはね、まだ紋術を使えないの」
「えっ、どうして?」
ハルヒコは自分の手を見つめた。何度も木の棒を振って鍛えているのに、どうやらそれだけでは駄目らしかった。
「紋術を使うには、体に紋を刻む必要があるの。あなたたちには、まだその紋がないでしょう?」
三人は自分の腕や手の甲を眺めた。そこには、転んでできた小さな傷や、外で遊んでついた土汚れといった三人で遊んだ思い出だけが刻まれていた。
「じゃあ、紋を刻んだら紋術を使えるようになるの?悪い王様も倒せるようになる?」
「ふふっ。そんなに簡単だったら、世界中が英雄だらけになってしまうわね」
シャーリエの母は立ち上がり、庭の隅に置かれた小さな鉢植えへ歩いていった。
「よく見ていてね」
彼女は袖をまくり、腕を三人に見せた。
そこには、幾何学模様にも似た紋が刻まれていた。
「これが、私の紋よ」
「わあ…!」
「きれい…」
ハルヒコとシャーリエは感嘆の声を漏らした。ユメコは、宝石でも見るかのように丸くてくりくりした目をとろんとさせていた。
「これがあれば、何でもできるの?」
「いいえ。刻まれた紋の種類によって、できることは変わってくるわ。炎を生み出すものもあれば、風を操るものもある。人を癒す力だってあるわ。紋術師は、自分の紋が持つ力を理解して、使いこなせる人のことを言うの」
「じゃあ、母さんは何ができるの?」
シャーリエが尋ねた。
「ふふっ。」
彼女はいたずらを企んだ幼い少女のように笑みを浮かべ、鉢植えの土に指先を近づけた。
次の瞬間、彼女の腕の紋が淡く輝いたかと思うと、そよ風が吹いた。
いや、違う。
風が吹いたのではない。鉢植えの周囲だけ、空気が渦を巻くように動いていた。小さな葉が揺れ、土の表面がかすかに舞い上がる。
「すごい…!これが紋術…!」
「母さん、すごいよ!」
シャーリエは初めて見た母の紋術に興奮し、その感動を伝えた。
「すごいでしょ!これがあれば洗濯物はすぐ乾くのよ!」
彼女は自慢気に続けた。
「紋術を使ううえで大切なことはね、その紋が持つ力を正しく理解することよ。どんな力にも、得意なことと苦手なことがあるの。苦手なことは人に頼って、できることを精いっぱいするの。英雄はね、一人に与えられる称号じゃなくて、お互いに補い合いながら偉大なことを成す皆に与えられるものなの」
母は紋の輝きを収めた。
「英雄はみんなに与えられる称号…」
ハルヒコはその言葉に違和感を覚えた。その違和感が何かはわからなかった。
「だから、紋術師になるなら、自分の力を知り、正しく扱うことを学ばなければならないのよ」
ハルヒコは、じっと母の腕を見つめていた。あんな力が自分にも使えたら。もっと強くなれたら。
「ねえ、おばさん」
ハルヒコはシャーリエの母の目をしっかりと見つめ尋ねた。
「紋って、どうやって刻まれるの?」
「いい質問ね」
彼女は少し考えてから答えた。
「紋はね、遥か昔、神様の加護によって選ばれた人々に与えられたものと言われていたわ。」
「じゃあ、神様に選ばれないと紋術は使えないの?」
ハルヒコは途端に不安になった。自分は神様に選ばれるほど、いい子にしていただろうか。
「ふふ。心配しなくても大丈夫。紋の研究が進んでね、紋は人工的に体に刻むことができるのよ。」
よかった。ハルヒコは胸をなでおろした。そんなハルヒコをシャーリエとユメコがおかしそうに笑った。
「ハル君ってば心配なんだから」
「うるさい!ユメコ!」
ハルヒコの反応がおかしかったのか、三人は声を重ねて笑った。ハルヒコだけが唇を他がらせてた。
「とにかくね…」
ひとしきりハルヒコをからかった後、シャーリエの母は続けた。
「紋術を使う上で大事なことは紋の力を正しく理解して、その紋術を使って、何を望んでいるのか、自分の願いをはっきりさせることよ。」
シャーリエの言葉を聞いて、ハルヒコは自分の手を握りしめた。何を望んでいるのか。そんなこと、決まっている。父のような英雄になること。そして、いつか【異形の王】を倒すこと。
「僕、絶対に紋術師になる!」
ハルヒコの声が庭に響いた。
「僕も!」「私も!」
シャーリエとユメコも負けじと声を上げる。
「一緒に紋術師になって、ハルを守ってあげる!」
「私もハル君を守ってあげるわ!」
「えっ? 僕が二人を守るんだよ!」
「ううん、僕が守るの!」
「私が守るのよ!」
「なんだよ、それ!」
三人は言い合いを始めた。
シャーリエの母はそんな二人を見つめ、くすりと笑った。
「ふふ。三人とも、まずは元気に大きくならなくちゃね」
その日、ハルヒコたちは紋術の入り口を知った。
紋を刻むことも、紋術を使うことも、まだ遠い未来の話だ。。
それでも、少年たちは夢を抱いた。
いつか、自分の力で誰かを守るために。
いつか、胸を張って英雄と呼ばれるために。
そして、時は流れた。
***
十四歳。
三人は、ノルデン国立紋術院の門前に立っていた。
入口の門は三人を見下ろし、品定めするように高くそびえ立っていた。
ハルヒコたちの周りには同じ年頃の少年少女たちが、期待と緊張を顔に張り付けて、門が開くのを今か今かと待ちわびていた。
「ハル、いよいよだね」
シャーリエが隣で微笑んだ。
「ああ」
ハルヒコは頷き、門の向こうを見据えた。
父さん。
僕は、ここから始めるよ。
いつか必ず、英雄になってみせる。
少年は一歩を踏み出した。
その先に待つものが、どれほど過酷な運命であるのかも知らずに。




