第2話 父の死と英雄の意思
「父さん!父さん!父さん!」
村全体を重たい雲が覆い、昼時だというのに夜のような暗さが支配する日だった。いつもであれば各家庭から昼ごはんのいい匂いとそれにつられた子供や大人たちの声で賑やかなこの村も、今はただハルヒコの叫び声だけがこだましていた。
「ハル君!落ち着いて!今、おじさんたちが確認してくれているから!ねっ、だから落ち着て!」
シャーリエの母が必死に制止するも、それでもハルヒコはその腕の中で暴れ続けた。それもそのはずである。最愛の父が死んだのだから。しかもただ死んだのではない。首を吊っての自殺であった。
「どうして…父さん」
***
唯一の肉親であり、英雄と慕った父の自殺。その第一発見者はハルヒコであった。いつものようにシャーリエと遊び、昼ご飯を食べようと家に帰ると、家の中が真っ暗だった。どうやら家の電気がついていないようだった。今日、父は特に用事があると言っていなかったのに変だなと思いながら、ハルヒコが家の戸を父が首を吊っていた。
最初、ハルヒコは父がふざけているのだと思った。急に動き出し、ハルヒコをびっくりさせようとしているに違いない。父は無口なのに、そんな茶目っ気を兼ね備えていた。僕を驚かせようと今か今と待っていたのかな。そんなことを考えるとおかしくなって、ハルヒコは無邪気に父に駆け寄った。
「父さん!くふふっ、何してるの?」
ハルヒコの問いに父は答えない。明かりのついていない部屋の中で、うつむいた父の顔だけがやけにはっきりと陰影を伴ってハルヒコの目に映った。
「…父さん?父さん!?」
思わず父に触れたハルヒコは気づいた。体が冷たい。木の机とか、家の壁よりは温度をもっているはずなのに、まるで指先が凍ってしまうのではないかと思うほど冷たかった。
「父さん!起きてよ!父さん!!」
「どうしたんだ、ハルヒコ?そんなに騒いで」
ハルヒコの声が聞こえたのか近くに住む大人たちがやってきて、家の中をのぞく。
「おい!ハルヒコ、離れろ!くそっ!そんなまさか…」
一人が家の中に入ってきて、どうやら気付いたらしい。
「おい!誰か、村のみんなに知らせろ。シロウさんが死んだ」
ハルヒコを父の体から引きはがしながら、誰かが言った。誰もがその場の空気が固まるのを感じ、気まずさに耐えかねた一人が家を後にした。
「ハルヒコ、いいか。お前、よく聞け。お前の父さんは死んだ」
ハルヒコは全身の力が抜けてしまい、ぺたりと床に座り込んだ。
父さんが死んだ?
だって、今日の朝も遊びに行く僕を笑顔で送り出してくれた。
そんな素振り、全くなかった。
ハルヒコは父の死を否定できる証拠を見付け出そうとした。そして、ぼんやりと上を見るとハルヒコを見下ろすような父の顔があった。それはもはやハルヒコの大好きな柔らかな笑顔の父ではなく、どんな感情も読み取れない死者の顔だった。その時、ハルヒコは父が死んだという現実を受け入れてしまった。
「うわああああああああああああ」
喉が裂け、血が出るほど、叫び喚いた。
「ハル君!」
シャーリエの母が止めるまで、ハルヒコは家の中をぐちゃぐちゃにするほど暴れまわった。声もよだれも汗も何もかも枯れるほど体からあふれていたのに、不思議なことに涙だけがこぼれなかった。
「どうして…父さん」
暴れる力もなくなったハルヒコはシャーリエの母の上でに抱かれながらつぶやき、力尽きるように眠りに落ちた。
その日の夜、村を挙げての葬式が行われた。村中の大人と子供が参列し、みなが父の棺桶の中に一凛の白い花を入れていた。そして、誰もが感謝やねぎらいの言葉を口にしていた。はたから見れば皆に慕われた英雄の葬式に相応しい光景だった。
しかし、ハルヒコは気づいていた。参列した大人たちの中に父のために涙を流している者がいないことに。
村の人々は異形者の討伐は父一人に押し付けていたくせに、陰で父の悪口を言っていた。そんな人々が涙を流さず、感謝やねぎらいの言葉を口にしながら花を手向ける。ハルヒコにはその光景が嘘のように思えた。
「ハル君…大丈夫?」
「ユメコ…。シャルも…」
ぼーっと参列者を眺めていたハルヒコのもとに親友のシャーリエともう一人の幼馴染みユメコがやってきた。
「…その、おじさんのこと…」
ユメコは声を震わせながらハルヒコに話しかける。その目には大粒の涙が浮かんでいて、ハルヒコはそれだけは本物だと思った。
「ユメコ、ありがとう。僕は大丈夫だから。シャルも来てくれてありがとう」
「う、うん。僕もおじさんは大好きだったし…」
実の父を亡くした親友がいやに冷静なことに違和感を覚えながらもシャーリエはそれ以上踏み込んで聞くことができなかった。
重い沈黙が三人の息を詰まらせる。
「あ、そうだ!ハル君、これ…。パパがハル君に渡せって」
ユメコがハルヒコに差し出したのは封筒だった。中には数枚の紙が入っているようだった。
「…これ、何だろう?」
「パパがね、ハル君のおうちの机に置いてあったのを見つけたんだって。きっと死んじゃう前に書いた手紙だろうからハル君に渡せって。」
封筒をひっくり返すとそこには「ハルヒコへ」と書かれていた。ごつごつと角ばっていて筆圧の濃い字。なのに、どこか暖かくて柔らかな雰囲気を持つ独特の筆跡。間違いなく父からの手紙だった。
ハルヒコは焦りながら封筒をびりびりと破り、中を読んだ。
ハルヒコへ
まずは、突然死んでごめんな。驚いただろう。きっと、こんな死に方を選んだ父親をお前はひどく恥ずかしく、情けなく思うかもしれない。本当に申し訳ない。
ただ、俺はお前を心の底から愛している。それだけは本当に本当だ。赤ん坊だったころ、お前は体が弱くて、俺は心配でたまらなかった。こいつは一瞬でも目を離せば、いきなり死んじゃうんじゃないかってな。医者にもよく行った。お前はよく熱を出したから、その度に死ぬんじゃないぞって思いながらな。
でもな、そんなお前が初めて立って、歩いた時、俺はたまらなくうれしかったんだ。あんなに弱かったお前が、この年まで無事に生きて歩いて、走ってる。そんなどこにでもある日々が愛おしくて、尊くてたまらなかった。この日々は俺にとって最も幸せだった。
でもな、俺には眩しすぎたんだ。
お前も感じているかもしれないが、父さんは村中の人、いや、国中の人から嫌われている。その理由を話したことなかったな。
父さんは昔、英雄って呼ばれていたんだ。恥ずかしいだろ。英雄と呼ばれて、【異形の王】の討伐に出かけた。百人以上の仲間と一緒にな。
ところが、仲間は全員殺された。父さんだけ、生きて帰って来たんだ。だから国中の人が怒ったんだ。仲間を見殺しにしておいて、自分だけ生きて帰ってきた。英雄失格だって。
そりゃ嫌われて当然だ。俺もずっと申し訳ないと思っていた。今でも殺された仲間たちが夢に出ることがある。どうして私たちを見捨てたのって恨めしそうな顔で見つめる夢だ。その度、俺はごめんなさい、ごめんなさいって謝った。
こんな俺に、幸せに生きる権利はない。そう思いながら生きてきた。それでも今日まで生きてこれたのはお前がいたからだ。ハルヒコ。お前だけが俺の希望で俺の全てだった。仲間を見捨てた裏切り者の俺を英雄と慕って、俺を愛してくれた。
本当にありがとう。
三食きちんと食べるんだぞ。
お前は風呂が嫌いだが、二日に一回は入れよ。
シャーリエとユメコちゃんとは仲良くするんだぞ。友は宝だ。
英雄なんかに憧れず、幸せに生きてくれ。
それが俺の願いだ。
こんな俺に言われてもうれしくないかも知れないが、ハルヒコ。
俺はお前を心の底をから愛している。
シロウ
手紙に書かれていたのは、ハルヒコの謝罪と自責の念とハルヒコへの愛だった。ところどころインクが滲んで読みにくいところもあったが、書かれていたのはそれだけだった。どうして死んだのか、何が父をそこまで追い詰めたのか。ハルヒコの知りたいことは何一つ書かれていなかった。
それでもハルヒコは父が死んでから初めての涙を流した。
「父さん、父さん…」
ハルヒコにとって、あまりにも温かい手紙だった。あのごつごつとした岩のような手で優しくなでられているようなそんな手紙だった。手紙を胸に抱き、ハルヒコはいつまでも泣いた。
どれくらいそうしていただろう。ハルヒコはシャーリエとユメコに向かって声をかけた。
「シャル、ユメコ」
「なに、ハル」「どうしたの、ハル君」
「僕、英雄になるよ。英雄になって【異形の王】を倒すよ」
「ハル、それって、紋術師になるってこと!?」
シャーリエは思わず驚きの声を上げた。
「うん。父さんは最後まで自分を責めてた。だから僕が英雄になって【異形の王】を倒せば、父さんは救われるんだ」
二人はハルヒコの言葉に嫌な危うさを感じた。それでも先ほどまで元気を無くしていたハルヒコが、今はいつもの力強いハルヒコに戻っているのが嬉しくてそのことは黙っていた。その代わりに…
「ハルが英雄になるなら、僕だって紋術師になる!ハルのいる場所は僕の居場所だから」
「わ、わたしも!子、怖いけど、ハル君とシャーリエがなるなら、私も紋術師になる!」
「ありがとう!二人とも!」
ハルヒコは二人を強く抱きしめた。
父の願いは英雄にならず、幸せになることだった。しかし、ハルヒコはそんなこと知らないとばかりに英雄になることを強く決意した。
父から手紙は、力を込めたハルヒコの手の中でぐしゃぐしゃになっていた。




