第11話 刻紋
翌日の研究室には、昨日よりも大きな実験装置が組まれていた。天井から巨大な半円型の金属製の枠組みが吊るされ、それを太い柱と梁が支えている。そして、その枠組みの内側には大きさの異なる三つの金属球がぶら下げられている。金属球は手に届きそうなものもあれば枠の頂上部近くに取り付けられたものまで、様々な高さで配置されていた。装置の下には金属製の箱がおいてあり、中には緩衝材が敷き詰められていた。
その装置はまるで、巨大な振り子時計のようだった。
「今日はやけに大がかりなんですね」
シャーリエが装置を見上げながら言った。
「うん。昨日は小さな球で軌道を変えて見せただろう?せっかく二人がゼミに入ってくれたんだ。今日はもう少し派手なものを見せてあげようと思ってね」
ヴァレンはパチリと両目をつぶした不細工なウインクを披露しながら応えた。
得意げに白衣の袖をまくり、装置のそばに立った。普段は机にぶつかったり、探し物をして書類の山を崩したりしているのに、実験装置を前にした彼は一切の迷いなく装置を操作し、その手つきには道具への愛情さえ感じられた。留め具を一つずつ確かめ、枠の継ぎ目を指でなぞり、床に刻まれた目盛りを確認していく。
ヴァレンの傍らでは、見慣れない女性が道具箱を開いていた。袖をまくった腕には、細かな刻印の跡がいくつも残っている。
「あの、先生、あの方は?」
「うん?ああ、紹介してなかったね。この方は刻紋師のシルティア・シンドラオス氏だ。今日は装置の調整と君たちへの簡易的な刻紋のためにお越しいただいたんだ」
「…どうも。シルティアです…。」
茶色に近い赤髪を後ろに縛り、重たい前髪で瞳を覆っている。身長はヴァレンの肩くらいだが、ひどく猫背のため、姿勢を伸ばせばもっと高そうだ。そして、何より声が小さかった。
「刻紋師……。学生の紋も刻むんですか?」
ハルヒコの問いに、シルティアが急に眼を輝かせた。
「そうだなんだよ!紋はね!決まった形を身体に写せば「はい!終わり」というものじゃないんだ!刻む場所や深さ、線のつなぎ方で、原素を流したときの発現効率や扱いやすさが変わる!本人の適性や身体の状態を見て、私たち刻紋師が調整するんだ!」
「あ、ああ、そうなんですね…」
シルティアの急変ぶりと饒舌な解説にハルヒコは身を引いた。それに気付いたシルティアはコホンと咳払いをしてそそくさと道具の点検に戻った。
ヴァレンは苦笑いしながら、自分の腕に刻まれた紋を示した。
「私の紋も、シルティアに刻んでもらったんだよ。性格はたぶん控えめ…だけど、刻紋の腕は超一流だよ。私の研究内容もよく知っているから、細かな調整まで任せられる。君たちにも私と同系統の紋を刻んでもらおうと思ってね」
ー先生と同じ紋!
ハルヒコとシャーリエは予想していなかったサプライズに顔を見合わせた。
興奮する二人をなだめながら、ヴァレンは実験の説明を続ける。
「さて、今日やることも昨日と一緒だ。金属球に働く力の向きを変えるんだ。それぞれの球をぶつけずに、決められた場所へ運ぶことができれば成功だ!」
「もし、失敗したら?」
「大丈夫!ここに引いてある線から先に飛び出すことがないように設計されてるよ。君たちは白線の外から見ていて」
ヴァレンが装置を起動する。
「私は失敗しないけどね」
ヴァレンはふふんと鼻を鳴らす。
三つの金属球がゆっくりと横に揺れ始めた。それに合わせてヴァレンの体もゆらゆらと揺れる。音楽に乗っているみたいだ、とハルヒコは思った。
金属球の揺れは最初、小さなものだったが、次第に大きくなり、枠の内側を一定のリズムで往復する。しかし、それぞれの揺れ幅やスピードは異なっている。
パチンっ。
ヴァレンが指を鳴らすと、揺れの軌道は横揺れから前後への揺れに変わり、三つの金属球は吸い込まれるように受け箱の中へと納まった。
「入った…!」
ハルヒコは思わず身を乗り出した。
「今のはどのタイミングで力の向きを変えたんですか?」
「球が一番速くなる少し手前だよ。速くなってから変えようとすると、余計な力が必要になる。物の動きをよく見ることが成功のカギだよ」
シャーリエは装置とヴァレンの指先を交互に見た。
「先生、真ん中の球は、他の球より機動が変わったように見えました」
「よく気づいたね。重さも、通る位置も違うからね。同じタイミングで同じように操作すればいい、というわけじゃない」
「じゃあ、毎回見極めないといけないんですね」
「そう。だから観察が大事なんだ」
ヴァレンの流麗な紋術を見ていると、ハルヒコはいてもたってもいられなくなり手を挙げた。
「先生、僕もやってみたいです!」
「もちろん。今日は二人に体験してもらいたいと思っているからね。そのためは…シルティア!出番だよ!」
「ひゃい!」
道具の点検を終え、うとうとしていたのかシルティアが体をはねさせた。
「シルティア、実験中は寝るなとあれほど…。まあ、いいや。二人に刻紋をお願い」
「あ、はい。で、では、えっと、まずはそちらのふわふわした子、ここに坐ってください」
「ふわふわした子って…。僕?」
シャーリエが不服そうな顔でシルティアの前に座った。
シルティアはシャーリエの右腕の袖をまくると、虫眼鏡のような器具でシャーリエの腕を観察した。
「うわぁ…へえ…、すごっ!なるほどね…」
「あ、あの、シルティアさん?」
シャーリエの声掛けも聞こえていないのか、シルティアは何やらぶつぶつと独り言をつぶやいている。
「うん…君の特性は理解したよ。これから刻紋をはじめるよ」
そう言いながらシルティアが道具箱から取り出した器具を見てシャーリエは椅子から転げ落ちそうになった。
「シ、シルティアさん!それは何ですか!?」
「え?何って…刻紋するための道具だけど」
それはどう見ても小さいドリルにしか見えなかった。
「これを君の皮膚に押し当てて直接紋を刻むんだよ」
何を当然のことを聞くんだとばかりにシルティアが説明した。
「い、いや、だって。試験の時は試験官の人が手をかざすだけで刻紋されてたじゃないですか!?」
「試験用の簡易的な紋なら多少精度が落ちてもいいからね。その方法でもいいんだけど。細かい紋は専用の道具じゃないと刻めないよ?」
「は、はぁ…。それ、痛いですか?」
「え?どうかな…。ヴァレンさんは泣き叫んでたけど」
「シ、シルティア!?」
いきなり恥ずかしい過去をばらされてヴァレンが大声を上げる。耳が真っ赤だった。
「とにかく、そろそろ始めてもいいかな」
シャーリエは覚悟を決めたように、腕をぐっと前に突き出し、目を瞑って顔をそらした。
そこから約小一時間、機械の甲高い音とシャーリエの泣き叫ぶ声が実験室に響き渡った。
「はい。お疲れ様」
「この、あくま…」
目の前で十四歳の男の子が泣き叫んでいるというのに一切表情を変えず淡々と刻紋をしていたシルティアに向かって、シャーリエは涙目で悪態をついた。
「次は、黒髪のつんつんした子かな?」
シルティアはシャーリエを無視して、ハルヒコの方に向く。
シャーリエが刻紋されている間、ハルヒコは大笑いしていたが、いざ自分の番となると少しだけお手洗いに行きたくなった。
「よ、よろしくお願いします…」
「…うん、よろしくね…」
ハルヒコの上での袖をまくりながら目も会わさずにシルティアが挨拶をする。
「うん?なに、これ?」
ハルヒコの腕を観察しながらシルティアが上ずった声を上げる。
「ああ、シルティア、そういえば伝えていなかったけど…。ハルヒコ君の適性は測定不能という結果だった」
「ヴァレンさん!そういうことは先に言ってください!!!」
シャーリエの泣き声よりも大きい声でシルティアが叫ぶ。
「な、なるほど…。うわぁ、ほんとだ、全然わかんない。」
「もしかして、紋を刻めないんですか?」
「いや!私にもプライドがあるから。必ず刻んでみせるよ…。ただ、これはちょっと…。楽しい仕事になりそうだ」
先ほどの大声とは打って変わって、ぎりぎり聞こえる程度の小声でシルティアがつぶやく。その声は、心なしか弾んで聞こえた。
シャーリエの倍の時間をかけて、ハルヒコにも紋が刻まれた。ハルヒコは自身の腕に刻まれた紋を見て、そこが熱を帯びているのを感じた。それは、痛みの余韻が残っているからなのか、原素が流れ込んでいるからなのか、判断できなかったが確かな暖かみを感じた。
「うん!二人ともいい紋が刻まれたね!シルティアもありがとう!」
「どういたしまして…」
紋を刻んでいるときとは別人と見紛うほどに、背を丸めたシルティアは実験室の壁際でちょこんと座っていた。
「さて!紋も無事刻めたことだし、早速、紋術を使ってみようか!」
ヴァレンの明るい掛け声にハルヒコとシャーリエの顔にやる気が満ちた。ハルヒコは昨日見た金属球の動きを頭でトレースしながら装置を見上げた。
右腕の紋が既に熱を引いていることにハルヒコは気づかなかった。




