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第7話 既成事実と噂

「みんな、急に集めてすまないな」


田中先生は、年季の入った木製テーブルの端に腰を下ろし、部員一人ひとりの顔を、心配するような、どこか申し訳なさそうな眼差しで見つめた。


「まずは昨日のことだ。警察から話を聞かれて、さぞかし怖かっただろう。夜も眠れなかったんじゃないか。楽しいはずの天体観測があんなことになってしまって……。顧問として、君たちを危険な目に遭わせたこと、本当に済まないと思っている」


普段と違う沈痛な面持ちで、田中先生は頭を下げた。

こんな先生の姿、部員たちは今まで見たことがなかった。


「北川先生のことは、まだ信じられない。僕にとっても、頼りになる大切な同僚だった」


一度言葉を切り、拳を握る。


「だけど、これだけは言わせてくれ。君たちは何も悪くない。自分を責めたり、一人で思い詰めたりしないでほしい。君たちの日常を、学びを、これ以上この事件に壊させたくない。困ったことや、心ない言葉に傷つくことがあったら、いつでも先生のところに来なさい。いいな?」


思いやりのある力強い言葉に、部員たちの肩からわずかに力が抜けた。

凍りついていた準備室の空気が、少しずつ溶けていく。


そこで、一年の星野恵が立ち上がった。


「あのお、七瀬先輩部長はどうしたんですか? 今日は来てないようですけど」


「ああ、まだ言ってなかったな。七瀬なら大丈夫だ。ショックだったのか、昨日から熱を出して休むと連絡があった。たぶん明日には登校できるだろう」


「ほんとですか? あーよかった。センパイ、天文部辞めちゃうかと思った」


恵はほっとした笑顔で席に着いた。

麻衣を、頼れる優しい先輩として深く慕っているのだ。


「先生、それで、今後の天文部の活動はどうなるんです?」


座ったまま発言したのは、副部長で三年の門脇かどわきだ。

直斗とはクラスも違い、あまり親しく話したこともない。

途中入部の直斗を、どうやら快く思っていないらしい。


「それが……しばらく活動は休止と、昨日の臨時の職員会議で決まった」


すまなそうに答える田中先生に、部員たちが顔を見合わせる。


「絶好の観測シーズンが来るのに残念だが休止は天文部だけじゃない。当面すべての部活が見合わせだ。人が一人亡くなっているんだからな。ここはみんな、素直に諦めてくれ」


「待ってください!」


門脇は苛立ちを隠そうともしない。

椅子の背に体重を預け、腕を組んだまま言い放った。


「先生、もう犯人は分かってるんじゃないですか?」


「門脇、いきなり何を言うんだ?」


「三組の尾崎武ですよ。あいつが北川先生を殺して、どこかに逃げ隠れてるからこんな事態になってる。学校中で噂です。警察もあいつを追ってるって話です」


部員たちが息を呑むのが、直斗にもわかった。

誰も否定も肯定もできず、視線だけが宙をさまよう。

その言葉が、今日一日校内で耳にした「総意」を代弁していたからだ。


「だったら、いつまでも部活を止める意味はないでしょう。犯人が分かってるなら、再開しても問題ないと思います」


合理的に聞こえる一方で、子供っぽい乱暴な理屈だった。

まるで武という「厄介な存在」を切り捨てて、日常を取り戻そうとするかのように。


直斗は俯いたまま、机の木目を見つめた。

頭の奥で、警報のようなものが鳴っている。


――分かってる、ってなんだ。誰が、何を根拠に。


武と自分が親友だということは、部の誰にも話していない。だから今は、黙ってやり過ごすつもりだった。


だが


「……違うだろ」


気づいた時には、声が出ていた。

一斉に視線が集まる。門脇が眉をひそめた。


「は?」


「“分かってる”なんて言えるほど、証拠は出てない。尾崎武がやったって、誰が証明したんだよ」


胸の奥が熱くなり、言うつもりじゃなかった言葉が、次々こぼれ落ちる。


「警察が疑ってるから?  それだけで決めつけるのはおかしいだろ。俺はあいつと小学生の時、同級生だった。人を殺すなんてそんなことができる奴じゃない。いい加減なこと言うな!」


「へえー、そりゃ知らなかったよ。滝沢が尾崎と知り合いとはな」


門脇が冷たく睨む。

まるで武と友達であること自体が、非難の対象になるかのようだ。


「おいおい、ちょっと待てよ」


見かねた田中先生が、慌てて口を。


「門脇、部活を続けたい気持ちは分かるが、今の段階で誰が犯人だなんて決めつけるのは絶対にだめだ。滝沢もそう熱くなるな。尾崎はもちろん、先生はこの学校の生徒の中に犯人がいるはずがないと信じてるから、安心しなさい」


「だけど……」


北川先生を殺した真犯人がわからない限り、武はずっと疑われ続ける。

学校中の生徒はもちろん、地域の人たちからも一方的に距離を置かれる。

それだけはあってはならない。

しかし、それは残酷な現実だった。


「だったら、俺が探します」


直斗は、自然に立ち上がっていた。

椅子が床を擦る音が、やけに大きく響く。


「真犯人を、ちゃんとした証拠を見つけて。それができなくても、武がやっていないという証明は、絶対にします」


自分でも驚くほど、声がはっきり出た。

啖呵を切った、という表現が一番近い。


「おいおい、滝沢。気持ちは分かるが、それは君がやることじゃない」


田中先生が穏やかに直斗をたしなめる。


「これは警察と学校の問題だ。生徒が首を突っ込んでどうこうなる話じゃない」


直斗を一度だけまっすぐ見てから、田中先生は全員に向き直った。


「今日はこれで解散だ。みんな、まっすぐ家に帰りなさい。部活再開は学校と教員が判断する。いいか、勝手な憶測で誰かを追い詰めるようなことは、絶対にしないように」


それだけ言うと、田中先生は足早に準備室を出ていった。

よほど忙しいのだろう、引き止める空気ではなかった。


残された部員たちも、疲れているのか、ほとんど無言で帰り支度を始め、一人ずつ去っていく。


「……センパイ」


最後に残って声をかけてきたのは、恵だった。戸口で立ち止まり、少し迷うように視線を泳がせてから、戻ってきた。


「さっきの話、聞いてて……これ、言うかどうか迷ったんですけど」


直斗は黙って頷いた。


「体育の荒井先生」


「ああ」


教師になってまだ数年の体育教師。

がっしりした筋肉系で声も大きく、顔立ちも良くて存在感がある。

その反面、女子生徒ばかりひいきしたり、授業中にやたら体を触るなど、よくない噂もあった。


「その……北川先生に、しつこく言い寄ってたって話、聞いたことあります?」


「言い寄る?」


「うん。一方的に。職員室でも、放課後の準備室でも。断っても断っても、冗談みたいに流して……正直、セクハラだって」


恵は声を落とし、周囲を気にしながら続けた。


「北川先生、すごく困ってたって。荒井先生、駅の向こうのマンションに住んでて、そこに北川先生を無理やり連れ込もうとして逃げられたとか……。近くに住んでる友達が、偶然見かけたらしいんです」


頭の中で、何かが噛み合う音がした。

武以外の、大人の容疑者。

動機があるとすれば、腹いせか。


「ありがとう。あのさ、そのマンションの名前、分かる?」


「えー、確か『サンレジデンス』だったかな。でも、そんなこと知ってどうするんですか?」


「いや……で、その後どうなったんだ?」


「それだけです。北川先生、あんまり騒ぎを大きくしたくなかったみたいで」


――北川先生は、学校に報告していなかったのか。


「センパイ、荒井先生のこと、私が言ったなんて誰にも言わないでください」


「もちろん、わかってる」


「じゃ、お先に――」


恵はそれだけ言って、準備室を出ていった。


今の話が本当なら、北川先生に付きまとっていた荒井が犯人……。

しかし、わざわざ校内で?

いや、深く考えず、交際を断られてカッとなって首を絞めた、ということもあり得るか――?


準備室を出て外に向かう。

空はまだ明るいが、陽は傾き、夕闇が迫っている。


直斗はふと、旧校舎の方を見た。

古びた入り口には見張りの警官が一人立ち、黄色いテープが張られている。


さすがにまだ立ち入りは禁止されているが、建物の構造を改めて見直すことはできた。


夕闇の中、旧校舎の黒い輪郭が、不気味な静寂とともに夜に沈んでいく。


武は、あの時、あの二階の廊下を走っていた――


認めたくはない。

だが、それは確かな事実だった。


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