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#6~意地でもドMにならなかった男

今回は、最後までドM化しなかった男の話。

彼は果たして幸せだったのでしょうか?それとも・・・。

全人類ドM化計画は、決して恐ろしい支配計画では無い。

むしろ人類の救済を目的とした愛のある計画だ。


しかしやはり、『ドM化』という言葉のインパクトが大きい。

その為、不当に堕とされて不幸になるのでは無いか、

という思いからレジスタンス側に回る者も多い。


今回はどこまでもドM化に堕ちる事無く、

意地でも自分を貫いた男の話だ。

彼は果たして、幸せだったのだろうか。


伊地出いじで 耐瑠たえる52歳。

彼はライフセイバーとして人々の命を守っている。


そんな彼が違和感に気付いたのは3か月ほど前の事だった。

やけに裸の海水浴客が増えたように思えたのだ。


と言うより、本来は裸で海水浴はおかしい。

人の目もあるし、そもそもが恥ずかしくないのだろうか。


彼はライフセイバーという立場上、表立ってそれを注意したりは憚られた。

あくまでこの海水浴場の管理人が対応する事であり、自分は関係ない、

ただ人々の安全を守るだけだ、そう考えていた。


しかし人々はあろう事か、人前で排泄を見せびらかしたり、

いい大人が海が怖いと泣いてみたり、それはとても酷い有様だった。


何故こうなってしまったのだろう、そう考えた時、

とある動画サイトで拡散されていた情報を思い出した。


『全人類ドM化計画』。

おどろおどろしいフォントと読み上げ方で紹介されたその計画は、

全ての人をドMに堕として幸福な社会を実現するというものだった。


伊地出はゾッとした。

そして、もし本当にそんな計画があるのなら、自分だけはせめて

最後の最後まで抵抗しようと考えた。


そしてある時、彼は海水浴客からある誘いを受けた。

それは男性のみで行われる突発的な祭りのようなもので、

男性曰く、全員で輪になって前の人の尻の穴に怒張した棒を突き刺す、

といった通常の常識であれば到底考えられないものであった。


しかし、ここ最近各地でこうした狂った出来事が増えている。

もはや常識という概念そのものが過去のもののように感じられる。

伊地出はその誘いをやんわりと断り、

その狂気じみた祭りをただボゥッと何の感情もなく眺めていた。


別に、気持ち悪いとも思わない。

意外な事にそれを見ていて不快感のようなものは無かった。

やっている事は明らかに異常だし、文字にしたり、

後からニュースで流されるとその異常性が浮き彫りになるのだが、

その場では空気感が非常に自然で、何故か受け入れられてしまった。


「楽しそうだな、あぁいうのも。」


伊地出は自分の中から自然に湧いたその感情に一瞬ゾッとしたが、

別に参加しているわけでは無いのだから彼らと自分は違うと、

線引きをする事で何とかこの状況の中に常識を持ち込んだ。


「俺が・・・間違っているのか?」


祭りの当事者達はもちろんとして、通りかかる車も、

対岸のホテルの窓から眺めている人々も、そしてあらゆる自然、

飛んでいる鳥や散歩中の犬猫、

あらゆる存在がそれを見ても平然としていた。


段々と伊地出の中の常識が揺らぐ。


「何なんだ、少し前まであんな事、・・・いや、絶対に間違っている。

 俺は正常だ。俺は、俺だけは、ドMになんてならない。

 そうだ、たとえドMになる事が楽になる事だとしても、俺だけは。

 常識人のままでいよう。アレは絶対に異常な祭りだ。

 男がたくさん集まって、輪になって前の人の尻に棒を入れるなんて、

 気が狂った祭りだ。何なんだアレは。あそこにいるヤツらは皆、

 気が狂った異常者達なんだ、そうだ。俺だけが健常者だ。

 ハハッ、なぁんだ、俺が馬鹿だったよ、まともなのは俺だけだったんだ。

 さぁ、ライフセーバーとして海の監視を続けよう。」


そうしてその祭りが夕方に終わりを迎えるまで、

彼の胸中にはずっとザワザワしたものが蠢いていた。


ライフセーバーとして、今日は出番は無かった。

ただ平和な海水浴場を眺めていただけで過ぎた一日だった。

彼は今日一日をそう締めくくりたかった。


しかし、本当にそうだろうか。

もちろんこれは、見たくないものから目を逸らしているだけだ。

あんなもの、ドMだとかどうだとか、関係無いじゃないか、

単なる異常者の集まりだったんだ、アレは・・・。


しかし彼らはそれぞれに家族が迎えに来たり、スーツを着たり、

何事も無かったかのように満足して日常へと帰って行く。

伊地出は、ドM化という現象について考えた。


全人類ドM化計画というものは、単なる性癖だけの話じゃない。

人類があらゆる状況に対して受け身になり、主体性を持たない事か。

だから、あんな異常事態に対してもそれを受け入れて楽しむ。

だとしたら、やっぱりドMになんてならない事がまともだ。

だが果たしてそこに『幸せはある』のか?


あの場でずっと、常識と異常の狭間で苦悩していた自分。

ドMになんて堕ちない、自分はずっと普通でいる。

そんな風に考えながら心が休まらなかった。


一方で彼らはあの異常な祭りを存分に楽しんでいた。

気持ち良かったのか?いや、そんな事はどうでも良い。


ただそこには、感情の非対称性があった。


自分は悩み、苦しんだ。

そして彼らは楽しんだ。

ただ、その現実だけが結果として残った。


「今日の俺の苦悩は一体、何だったんだ・・・。」


伊地出は家に帰り、今日の事を早く忘れてしまおうと、

すぐに布団に潜った。

しかしあの光景がフラッシュバックして中々寝られない。


もしかするとアレは今では常識的な光景なのでは無いか。

そんな思いがふと、伊地出の脳裏に浮かんだ。


「それでも俺はもう、決めたんだ。」


伊地出は無理矢理に酒を飲み、泥のように眠った。


全てを忘れて眠り、そして朝起きたら昨日の事が夢だったと、

ただそれを願って眠りに就いた。


結果、もちろん朝には二日酔いと現実が伊地出を襲った。


ニュースキャスターがにこやかに昨日あった事を伝える。

その中にあの海水浴場での出来事を衛星写真でとらえたものがあった。


「とても楽しそうですね。皆様も是非、どうでしょうか。」


伊地出はもう、心を殺した。

この世界は間違っている。

だが自分だけは絶対にこんな世界には迎合しない。

ならばどうするか。もう世界の価値観に関わらず、ずっと自分で生きる。

彼はそうしてそれからも目の前で起きる事には関与せず、

ずっとそれらを見ないフリをして生きた。

常に心にモヤがかかったまま、自分だけは最後までまともだと

言い聞かせるように、誰の為かもわからないプライドを守りながら、

ずっと自分が信じて来た価値観を守り続けた。

彼の人生が幸せなものだったのかはわからない。

しかし彼は確かに守り抜いたのだ。最後の最後まで、自分でいた。

しかし彼の人生はそれから、ただひらすらに孤独なものであった。

彼は最後の瞬間に、どのようにこの世界を見て何を感じたのか。

それは、誰にもわからなかった。



暗い部屋の中で、パソコンの明かりだけがボウッと部屋を照らす。

そこに、丸木戸 紗土香が座っている。

どうやら椅子は四つん這いになって猿轡をした男性のようだった。

肘置きには女性があてがわれている。

ある女性が部屋に入って来て、親し気に紗土香に尋ねる。


「例の計画、進捗の方はいかがですか?」


紗土香が応える。


「えぇ、順調よ。ただ中にはもちろん、

 最後まで抵抗して絶対にドMになんてならない、って者も一定数いるわ。

 だけどそれは想定済み。そしてそんな人達は私の想定する人類じゃない。

 あくまで私の作り出す世界に適応した人だけが人類よ。

 だから全人類ドM化計画は今生きている全ての人間を指す言葉じゃない。

 新たな時代に適応出来た者だけが、次の進化の扉の先に行ける。

 ただそれだけの、とてもシンプルな話なのよ。」


それを聞き、部屋を訪ねて来た女性は椅子になっている男性の尻を叩く。


「むぐぅぅぅ!!」


猿轡越しに、男性の短い悲鳴があがる。

しかし男性は嫌がったわけでは無い。

それが証拠に『もっと叩いて下さい』とばかりに尻を振っている。


一見するとディストピアに見えるこの世界の在り方はもしかすると、

人類が次に迎える幸せの在り方を形作ろうとしているのかも知れない。

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