第10話『静かに、静かに戦え!/お前みたいな人、初めてです』
良明サイド
霧の森の入口に立った瞬間、俺は息を飲んだ。
白い霧が、木々の間を満たしている。
五メートル先が見えない。
音もない。鳥の声も、虫の声も、風の音も——何もない。
(攻略サイト通りだ。視界最悪、音に反応するモンスターが多い)
「カイト、これは……」
レオが小声で言いかけた。
「声を抑えろ」
俺は素早く遮った。
レオが口をつぐんだ。
(よし。事前に釘を刺しておいて正解だった)
出発前、俺はレオに念押ししていた。「このエリアでは絶対に大声を出すな」と。レオは不満そうだったが、渋々頷いていた。
四人は身振り手振りで意思疎通しながら、森の中へ進んだ。
霧の中は、想像以上に不気味だった。
足元は湿った土で、踏み出すたびにぐちゅっという音が立つ。
(この音も気になる……)
俺は足の踏み方を変えた。
つま先から着地して、できるだけ音を殺す。
カイトの体は運動神経が良いので、こういう細かい動きも比較的すぐできた。
しばらく進むと、霧の中に何かの気配がした。
(来た)
俺は手を上げて全員を止めた。
霧の中から、ゆっくりと影が近づいてくる。
細長い体。蜘蛛のような複数の足。
(バンシー系だ……! 攻略サイトには載ってなかったぞ!)
焦りそうになったが、深呼吸した。
(落ち着け。音に反応するなら、静かに倒せばいい。イズの光魔法は音が小さい。マリアの炎は使わない)
俺はイズに目配せした。
光魔法を、という意味だ。
イズが小さく頷いた。
次の瞬間、淡い光がバンシーを包んだ。
バンシーが身をよじる——しかし、声は上げない。
(光に弱い系か。よし)
レオが無言で槍を構えた。
俺は頷いて、横から剣を入れる。
音を立てないように、慎重に、丁寧に。
バンシーはあっけなく消えた。
「……やった」
マリアが口パクで言った。
俺は小さく頷いた。
(戦闘自体は意外と楽だ。ただし、絶対に音を立てるな)
さらに奥へ進むと、今度は複数の影が見えた。
五体。全部バンシーだ。
(群れか……)
焦りそうになった瞬間——。
レオが足を滑らせた。
ぐちゅ、という音が、静寂の中に響いた。
バンシーたちが、一斉にこちらを向いた。
(まずい!)
「散れ!」
思わず声が出てしまった。
バンシーたちが一斉に襲いかかってきた。
静かな戦闘は、一瞬で終わった。
「イズ、全力で光魔法! マリア、やむを得ない、炎で牽制! レオは——」
「分かった!」
レオが叫びながら槍を振るう。
(うるさい! でも今更しょうがない!)
混乱の中で、俺たちはどうにか五体を倒した。
霧の森に静寂が戻った。
全員が荒い息をついた。
「……カイト、すまない。足を滑らせた」
レオが申し訳なさそうに言った。
「……次から気をつけろ」
「ああ」
マリアがため息をついた。
「作戦は良かったのに、台無しね」
「結果オーライだ。全員無事なら十分だ」
イズが微笑んだ。
「カイトさん、今日の戦い方、とても良かったと思います。静かに、丁寧に。いつもと違うアプローチでした」
(いつものカイトは直感で動くからな。こういう慎重な戦い方は俺らしいのかもしれない)
森の奥に進むにつれて、霧が薄くなってきた。
そして、森の出口近くで——。
老冒険者がいた。
ギルドで一度見た、白髪交じりの男だ。
(あの人だ! レイズに繋がる老冒険者!)
老冒険者はこちらを見て、静かに口を開いた。
「……無事に抜けてきたか。大したものだ」
「あなたは……」
「ワシのことは気にするな。ただ、一つ伝えておきたいことがある」
老冒険者がカイトをじっと見た。
「お前さん……最近、この森の異変に気づいているか? モンスターの数が増えている。それも、急激に」
(異変……)
「気づいていた。井戸の汚染も、このエリアの変化も」
「そうか」
老冒険者が目を細めた。
「レイズ様に、会いに行った方がいい。あの方なら、何か知っているかもしれん」
そう言って、老冒険者は霧の中に消えていった。
(レイズ……。いよいよ、その名前が具体的になってきた)
俺は霧の森の出口を見つめながら、静かに思った。
(カイト、いよいよ動き始めてきたぞ)
***
カイトサイド
翌日の昼休み、カイトが廊下を歩いていると、後ろから小走りの足音が聞こえた。
「あ、あの……岬さん!」
振り返ると、隼人が息を切らして立っていた。
「森か。どうした?」
「あ、えっと……昨日は、ありがとうございました。助けてもらって」
隼人がぺこりと頭を下げた。
「気にするな」
「気にします!」
隼人が顔を上げた。
その目は真剣だった。
「岬さん、あの……なんで助けてくれたんですか? 岬さん、俺のこと知らないのに」
(なぜ、か)
カイトは少し考えた。
(旅の中では、困っている者を助けるのは当然のことだった。理由など考えたことがない)
「困っている者を助けるのは、当然だ」
隼人が目を丸くした。
「そんな風に言える人、初めて見ました」
「そうか?」
「はい。みんな、面倒に巻き込まれたくないから、見て見ぬふりするんです。岬さんみたいに、すぐ動いてくれる人……俺、今まで会ったことなくて」
(そうか。この世界では、そういうものなのか)
カイトは静かに隼人を見た。
細い体。おどおどした目。しかし、今は真っ直ぐにこちらを見ている。
(悪い目ではない。臆病なだけで、芯はある)
「お前、名前は森隼人だったな」
「は、はい」
「友人はいるか?」
隼人がうつむいた。
「……あんまり、いなくて」
「そうか。ならまあ、何かあれば言え。俺でよければ、話くらい聞く」
隼人が顔を上げた。
「……本当に、いいんですか?」
「ああ」
隼人がじわりと目を潤ませた。
「あ、す、すみません! 泣くつもりじゃなかったんですけど」
「泣いてもいい」
「岬さんって……なんか、普通じゃないですね」
(普通じゃないのは確かだ。何しろ別世界の人間だからな)
「そうかもな」
カイトが苦笑すると、隼人も釣られて笑った。
その時、廊下の向こうから美紀子が歩いてきた。
「あ、岬君。隼人君と話してたんだ」
「ああ」
「隼人君、昨日大丈夫だった? 帰った後も心配してたんだよ」
「は、はい……宮川さんも、ありがとうございます」
隼人が少し頬を赤くした。
(なるほど。隼人は美紀子のことが……)
カイトは静かに察した。
その時、廊下の端に見慣れない人影があることに気づいた。
若い男性。黒いスーツ。人懐っこそうな笑顔。
しかし——。
(何だ、あの人物は)
カイトはその人影をじっと見た。
笑顔なのに、目が笑っていない。
旅の中で、敵の幹部と対峙した時に感じたものと——似ている。
「岬君? どうかした?」
美紀子の声で、カイトは我に返った。
「……いや、何でもない」
もう一度廊下の端を見ると、人影は消えていた。
(……気のせいか?)
しかし、カイトの中に残った違和感は、消えなかった。
放課後、カイトは急いでメモ帳に向かった。
『良明へ。
学校に、不審な人物がいた。
若い男性で、黒いスーツ。笑顔だが目が笑っていない。
旅の中で敵の幹部と相対した時の感覚に、似ていた。
ゲームに、そういう人物は登場するか?
カイト』
折りたたんで、机の引き出しに入れた。
(良明、早く答えてくれ)




