閑話 その頃、屋敷では ~悪役令嬢の両親の裏事情~(後編)
子供の未来を気に掛けられるようになるまで十年かかった。
ブランの入学を間近に控えて、ようやくだ。
その頃には、娘とどう接していいのか分からなくなっていた。
ロゼ専属のメイドから話を聞けば、ほとんど言葉を発さず、表情もほとんど動かないという。限られた人間が事務的な話しかしないのだから当然だ。言葉を覚える機会などないに等しい。
二年前に撮影用の魔法道具を購入したのも、念写された絵で少しずつあの子に慣れようと思ったから。
ブリジットに用意してもらった最高級の魔法道具を手にした日。
公爵は初めて1人でロゼの部屋を訪れた。
大きなベッドで眠る娘は人形のように見えた。
想像よりも小柄で、線が細く、白かった。
大金を払って購入した魔法道具のボタンは押せなかった。ここでシャッターを切ってしまったら、この子は絵の中に囚われてしまいそうに思えてならなかったのだ。
代わりに夜な夜なあの部屋を訪れるようになった。僅かに聞こえる寝息に何度安堵したことか。
だからリビングにあの子が現れた時は心底驚いた。同時にこの子にも感情があったのだと歓喜した。
今になって思うと、なぜあんなにも流暢に話せたのか。その知識はどこから得たものなのか。気になるところは多い。
それでも人形のようだった娘が日々人間らしくなっている。
それ以上の喜びはない。
エリザもあまりに変わってしまったロゼを見て「あの子もブランと同じなのね。……髪の色が違うだけで」と溢した。
黒髪の子を産んでしまった事実に怯え、後悔していた妻が、ようやくロゼの存在を受け入れられたのである。
今さらかもしれない。
虫のいい話だと自覚している。
歪だって構わない。
それでもあの子に家族として認められたい。
そのための努力は惜しまず、機会は一つでも多く掴まねばならないのだ。
拳を固めて決心した半刻後。
ロゼは木桶を抱えて帰宅した。そして公爵を見つけるや否やトトトと走ってきた。けれどロゼの開いた口から出てきたのは、帰宅の挨拶なんかではなかった。
「今朝の魔法道具の件なのですが、とてもいいものだったそうで。少し時間はかかりますが、かかった額はお返しします」
拍子抜けしてしまった公爵だが、すぐに平静を取り繕う。
「いや、いい。どうせ私の手元にあっても持て余すだけだ」
「入学式の撮影に使う予定だったのではないですか? 性能も結構いいですし」
「使ったのか」
「それは、まぁ……。あんなに高いものだと思わなかったので」
ロゼは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。責めたように聞こえてしまったのだろう。反省しながら、会話を続けられそうな言葉を選んでやんわりと投げる。
「お前の役に立ったのならそれでいい。何を撮ったんだ」
「食べられない草とか、ですかね」
「草」
「草」
繰り返しても、回答は変わらない。
ダンジョン内には色々あるはずなのだが、よりによって草とは……。
固まりかけたが、植物に興味を持つのはいいことだ。心の中でロゼの発言を擁護する。
公爵家でも季節によって花を植えているが、ロゼの希望を取り入れるのもいいかもしれない。それが新たな話のネタに繋がるはず。
「ところで、ロゼはどんな植物が好きなんだ?」
「美味しく食べられるものですかね」
少し迷ってから答えてくれたものは、これまた想定とは違う。
それでも聞いたことにはちゃんと答えてくれる。無視されたり、魔法道具を突き返されるよりずっといい。小さな一歩だが、確実に前進している。公爵はそう自分に言い聞かせる。
「なるほど。うちでもそういう植物を育ててみるのもいいかもしれないな」
「景観とかありますし、今のままでも別にいいと思いますけど……。それでは失礼します」
ロゼはそう締めくくると、ペコリと頭を下げて立ち去る。
最初から最後まで大事に抱えたままの木桶は何に使う予定なのかは聞けずじまい。
かといって追いかけてまで尋ねれば、距離が開くこと間違いなし。
魔法道具の話をロゼから振ってきたのも彼女の気まぐれにすぎないのだから。
ただ一抹の不安は残る。
やけに風呂を気に入っていたロゼのことだ。木桶を風呂代わりにしなければいいのだが……。
明日ロゼを送迎する際にそれとなく尋ね、必要であれば小屋に風呂を手配するまで我慢させるよう、御者に頼む他なさそうだ。
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