21.汗の匂い
「ただいま戻りました」
「おかえりなさいませ、お嬢様」
夕食を済ませ、買取店に立ち寄ってから小屋に戻る。
今日も御者は読書をして時間を潰していたようだ。辞書並みに分厚い本から顔を上げる。
「今日はお早いお戻りでしたね」
「少し聞きたいことがあって」
「私で答えられることであればなんなりと」
「映像を記録するための魔法道具ってどこに売ってますか? ダンジョン探索中に使いたいんですが、売ってる店が分からなくて」
まだ門限まで時間がある。
近場であればちゃちゃっと買ってきたい。フードは脱がず、立ったまま質問する。
「それなら魔法道具専門店で購入できます。少し奥まったところにあるので、よければ地図をお書きしますよ」
「ありがとうございます!」
描いてもらった地図を確認する。
魔法道具専門店は小屋と市場のちょうど真ん中あたり。住宅地に入る手前に位置していた。私が探していたのは市場付近。通りで見つからない訳だ。
「一度行けば迷うことはないかと。ただ取り扱っている品数が多いので、思ったより長居してしまいがちなんですよ。なので明日以降に行かれるのがいいかと」
今から行こうとしていたことに気づいていたようだ。
御者に指摘され、まぁ明日の朝に行けばいいかと考え直す。
「そうします」
「ではすぐに馬車の準備をいたしますので、もうしばらくお待ちくださいませ」
ティーポットに残っていたお茶を飲みながら待つ。
カップを出しながら「すっかり冷めてしまって……」と申し訳なさそうだったが、私は生粋の貴族ではない。
ティーバッグでも二、三杯は飲むタイプの庶民である。リーフならもっと飲む。ガバガバ飲む。
味が気になり出したら変えるというアバウトさ。茶葉へのこだわりは薄い。
そんな私ではあるが、この紅茶の美味しさは分かる。
水筒で持たせてもらった紅茶も自分で淹れるより美味しかったが、こっちはさらに美味しい。好みの味でもある。使っている茶葉がいいのだろうか。
ポットに残った分もカップに注ぐと、ドアがキイっと開いた。
「馬車の準備が整いました」
「ありがとうございます。今、行きます」
カップになみなみと注いだばかりの紅茶を飲み干し、外に出る。
「すっかり冷めておりましたし、喉が渇いていらっしゃらなかったら無理に飲まれなくても大丈夫ですよ」
「せっかく注いだ二杯目を無駄にするのはもったいないので!」
「二杯目……。そう、ですか」
一瞬戸惑った様子の御者だったが、すぐに表情が和らいだ。
「お口にあったようで何よりです」
その言葉に呆れの色はなく、どことなく嬉しそうだ。
先日、また誰かを馬車に乗せられるのが嬉しいと話していた声と似ている。やはり紅茶にこだわりがあるタイプなのかもしれない。
そのまま御者は上機嫌で馬車を走らせていく。
屋敷前で私を下ろす際も笑顔のまま。ただ美味しい紅茶を飲ませてもらっただけだというのに、なんと気分のいいことか。
このまま一日を終わりにしたい気分。
だが人生はそんなに甘くなかった。
「……っ!」
ドアを開けた先にはロゼの母が立っていたのだ。
ちょうど玄関を通過しようとしていたところだったのだろう。こちらを見て目を丸くしている。
なんとタイミングの悪いことか。
馬車の音が聞こえていなかったのか、側に控えていたメイドの顔は蒼白である。
見ていてあまり気持ちの良いものではない。
せっかく素敵な気分で終わると思ったのに。喉元まで上がってきたため息を堪え、階段に足を向ける。
一段目に足を乗せると、後ろから声がかかった。
「待ちなさい! 帰宅の挨拶もないのですか」
「……ただいま戻りました」
「帰ってきたのだからローブを脱いだらどうです?」
「部屋に戻ったら脱ぎますよ」
「そんな汗まみれで部屋に戻ると?」
彼女はロゼを苦手としている。
憎んでいるというより恐れているといった方が近い。
実際、階段に向かうまで少し時間があったのに声をかけてこなかった。距離を保ち、正面から対峙しない状態になってから話しかけたのもそれが理由だろう。
苦手ならスルーすればいいのに。
それとも指摘せざるを得ないほど臭かったのだろうか。
首元の服を摘み、匂いを確認する。特に汗臭さは感じない。
一応畑から戻った後に頭だけ洗って、浄化魔法もかけている。それでも臭いとなると、魔法だけでは対処しきれない。
「ちょっと市場に行って、石鹸買ってきます」
「は?」
魔法で匂いが取れないなら、石鹸を使うしかない。
やはり日常的な汚れは魔法で毎回どうにかしてしまうのは無理があると思っていたのだ。
石鹸と風呂は大事だ。
どうにか神域に風呂を導入できないものか。今日髪を染めた洗面台横にはそれっぽいスペースもあったため、無理ではないと思う。
いや、排水さえどうにかできるのなら自分で持ち込めばいいのか。
水は魔法で貯めて、温めればいいだけ。自宅の風呂を使うのとあまり変わらない。
浴槽がわりになるものも探して……。
神域のお風呂計画を考えながら、玄関に向かう。すると今度は腕を掴まれた。
「待ちなさい! 今帰ってきたばかりなのに、なぜまた外出しようとしているのですか」
「石鹸が手持ちにないもので」
「風呂があるのだから、風呂を使えばいいでしょう! 夜な夜なひっそりと使っているのは知っているんですからね!」
キッと睨みつけられ、彼女の意図を理解する。
風呂を使うように誘導した上で指摘するのが目的だったのか。
ストレートに言ったところで通じないと思ったのだろう。
捨てる前の湯とはいえ、勝手に使い続けた私に非がある。
「申し訳ありません。以後気をつけます」
深々と頭を下げる。
顔を上げた際にチラッと見えたのは、表情を歪めるロゼの母だった。
すぐに目を逸らし、今度こそ階段を上がる。
すると今度は部屋の前でブランが待ち構えていた。
「少し聞きたいことがあるんだが」
手には編み途中の毛糸がもこもこと装着されている。
昨日も真剣に編んでいたが、翌日に一人で編み始めるほどとは。私が思っていた以上に気に入ってくれたようだ。
そういう予想外なら歓迎できる。
沈んだ気持ちも少しだけ浮上した。
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