閑話 その頃、神域では ~弱体化した神と捨てられた猫の裏事情~
ロゼが編み物と刺繍をしている頃。
「にゃあ、ロゼは本当に明日も来るのかにゃ?」
「実際明日になってみなければ分からぬが、本人は来るつもりのようだぞ。午前中から我の明日の食事を心配しておった」
「ふうん」
そっけない声を漏らしつつ、その場で丸くなるにゃん太郎。
ロゼが帰ってからドアの前から動こうとしない。不安なのかもしれない。
「ところで本当におぬしは『にゃん太郎』という名前でよかったのか? あの様子ではロゼもまだ他に案があったように見えたが」
「他なんてにゃい。ロゼが一番に呼んでくれた大事な名前にゃ」
「なぁ、なぜおぬしはあの場にいたのだ? 話したくないなら無理には聞かぬが……」
管理番号K5-2358
にゃん太郎に付けられていた番号である。ロゼはうまく聞き取れなかったようだが、登録アナウンスを食神は聞き逃さなかった。
もっとも上手く聞き取れずとも、信者登録をした者の情報はそれぞれの神に届くのだが。普通の信者であれば、何があったかなど聞くまでもない。
だがロゼとにゃん太郎は異例だった。
ロゼの情報は二人分の情報が重なっており、にゃん太郎の情報はほとんどが黒く塗り潰されていた。
昨日は一晩、自分の神力がそこまで衰えているのかと落ち込んだものだが、蓋を開ければロゼが二人分の記憶を有していただけだった。
前世の記憶を持つ者は珍しい。
特に別の世界からとなると神でさえなかなか出会う機会はない。
そんな少女と会ったばかりなのだ。
にゃん太郎の正体にもあまり驚きはなかった。
にゃん太郎は何代にもわたって魔物と猫を掛け合わせて作り出された新種の個体。
魔物の枠からも猫の枠からも外れた存在。
本来存在しない猫がダンジョンに生息しているのは『ダンジョンの外から意図的に持ち込まれた存在』だから。
本来ダンジョンのルールに反する行為だ。連れ込めるはずもない。
だがそれを可能にしてしまった例外――それがにゃん太郎達であった。
「寝ている間に連れてこられて、起きた時には出られなくにゃっていた。我が輩も他の実験体も人間達も。その中で生き残ったのは我が輩だけだったのにゃ」
にゃん太郎は顔を上げ、そして苦々しげに語り始める。
「人間も?」
「討伐に来た奴らは『研究そのものが創造神の怒りに触れた』とか言ってたにゃ」
「……そうか」
にゃん太郎を含むチームKだけでなく、同時期に他のダンジョンに潜っていたチームも全滅。
どのタイミングで亡くなったのかは分からない。チームKのようにしばらくはダンジョン内で暮らしていたかもしれない。だがダンジョン内で長く暮らせるような場所ではなかった。異物はいつか排除される。
数百人の研究員を失い、それ以上神の怒りに触れることを恐れた人間は研究を打ち止めとした。
そんな中で、唯一生き残ってしまった研究動物は一部の人間にとって都合の悪い存在であった。憎悪と恐怖の対象でもある。
『猫の亡霊』という名前は、残された研究者が付けた名前だ。
仲間を失ってからほどなくして、猫の亡霊討伐部隊が発足された。
それからは研究者からもダンジョンからも冒険者達からも狙われ続ける日々を送っていた。
一匹の猫が十年以上生き残れたのは、ただただ運がよかったからにすぎない。常に焦りと空腹は背中にペタリとくっついていた。
ダンジョン内の魔物と認定されたのか、食糧の確保ができないのである。
魔物を倒しても何も残らず、魚も植物も採取した途端に消える。けれどダンジョンの魔物とは違い、空腹も疲労も眠気も存在する。
にゃん太郎にとって『猫の亡霊』に怯える冒険者達が残す魚が生命線であった。それでも上手くいってばかりではない。何日も食べ物が得られない日が続くこともあった。
そして討伐部隊は、猫の腹が減っている日を狙ってやってくるのだ。
討伐部隊として派遣される者は年々力を増していき、神の加護を強く受ける者も加わるようになっていた。
特に3日前から連日やってくる冒険者は、同じフロアにいるだけでも身の毛が逆立つほど。
そろそろ潮時か。
覚悟していた時に現れたのがロゼであった。
猫の声が聞こえても怯えず、なぜか魚を置いて両手を合わせる不思議な少女。
「死ぬならあんな奴らの側より、ロゼの側がいいにゃ。ロゼは変だけど、にゃん太郎って名前もくれて。明日もその次も魚をくれたらもっと幸せにゃ」
ロゼはにゃん太郎の力を見ても怯えなかった。
それどころかにゃん太郎の気配にまるで気付かず、冒険者達の殺気にも臆さず、呑気に草を拾って。大喜びでドアに向かった。
今まで多くの冒険者を見てきたにゃん太郎も、初めて見るタイプの人間である。
この先も似たような人間を見つけられるかは分からない。
そう思ったら自然と彼女を追いかけていた。まさかあんなに試してもダメだったドアを簡単に通り抜けられるとは思わずに。
「あやつは変だから、きっと明日も明後日も来る」
「変だと来るのかにゃ?」
「我の信者になる者は訳ありが多くてな、登録が済んだら神域に足を運ぶことはないのだ」
食神はにゃん太郎に話ながら、ロゼの前に信者となった少年を思い出す。
彼が食神の神域にやってきたのは10年以上前のこと。20年は経っていないと思う。人と会う機会が年単位でないせいか、正確な年は覚えていない。
けれど少年自身のことはよく覚えている。
『優秀な彼がこれ以上の力をつけないように』
そんな身勝手な思いと政治的兼ね合いにより、食神信者になることを強制された不憫な少年。彼の光を失った目を、今でもよく覚えている。
スライムゼリー作りの過程で2度も火事になりかけたことも。
『信者になれるまで、俺は何度も神域に突っ込まれる。他の神への信仰も無信仰も認められない以上、俺は何度だってゼリーを作ろう』
半ば脅しのような言葉に食神が折れた。
ロゼも変わり者だが、思えば彼もまた神相手でもまるで動じない少年だった。
あの子は今、元気にしているだろうか。
食神の信者として活動していなくとも、信者の証を通じて生命の鼓動は伝わってくる。
ただし食神の神力はあまりに弱く、生存確認程度しかできない。それが歯がゆくてたまらなかった。
だが神は自力で神力を回復することはできない。
信者がいて、活動してくれなければ力は衰えるばかり。もうこれ以上力を失うことはなく、未来を諦めた少年に手を差し伸べることすらできない。
食神もまた『これも神たる者の定めである』と諦めていたのだ。
まさか積極的にダンジョンに潜ろうとする信者が出来るとは思ってもみなかったのである。
「まさか信者になった翌日に、新たな信者を連れてくるとは思わなんだが。本当に、どうやってロゼはおぬしを神域に連れてきたのか」
「神でも分からにゃいのか?」
「そういえばロゼは『猫の亡霊』の話をしながら、腹を空かせていないか心配しておったな。案外、空腹を満たしたいというロゼの純粋な願いが創造神様に伝わったのかもしれんな」
神であっても、食神達5柱の神の上位存在に当たる創造神の考えは想像もつかない。そしてロゼの考えも分からない。
前世の知識とやらが関係しているのか、変なところを気にするのである。変わっているからこそ偶然にも通れた『抜け穴』が存在するのかもしれない。
出会ってまだ2日。
ロゼにはすでに何度も驚かせられている。きっとこの先も何度と驚く羽目になるのだろう。だがそれも悪くない。
「また焼いた魚が食べたいにゃ」
「我もオレンジを使った物を作ってもらわねばならん。まだ4個も残っておるからな」
食神は机の上に置かれたままのオレンジを撫でる。
第一階層に植わっているとはいえ、まだしばらく近づけないと思っていたのに。かなり無理をしたのだろう。
本当に変な少女が信者になったものである。
これにて「1章 悪役令嬢と猫の亡霊」は完結です。
次話から「2章 悪役令嬢と神獣」がスタートし、毎日18時更新に変更になります。
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