64 今度こそ守られていて?
走り去っていった、アレス殿下の後ろ姿に、なぜかフラグの存在なんて感じられない。
結婚しようと言ってくれた言葉に、返事できていなかったことだけが心残りだった私は、どこか安心した気持ちすら感じていた。
夢に見たようなロマンチックな結婚の承諾ではなかったけれど、それはそれで、私たちの関係にはあっているのかもしれない。
「――――勝ってください。アレス殿下」
たぶん、その先にあるのは、私たちがまだ知らない未来のはずだから。
災厄が訪れるのだとしても、私たちは、その場所で全力を尽くすことができるかもしれないから。
ふらりと立ち上がった父と、リベラ殿下が、まるで私のことを守るみたいに、前に進み出た。
離れた場所で、アレス殿下が、信じられないほど緻密な魔法陣を展開しながら、黒い剣を振りかざす姿が見える。
「うわぁ、本気のアレス殿下と共闘したかった」
仕方がない。今の私は、すべての魔力を闇の精霊に与えられた、黒い剣に込めてしまった。
戦うことはできるにしても、魔法攻撃や遠距離攻撃を防ぐ手段を持っていない。
……ん? 本当に?
そういえば、母を殺した竜が倒れてから、新しい何かの存在を、体の中心で感じている。
父も言っていた。S級冒険者になるには、人として超えることができない壁を超える必要があるのだと。
――――あの先にあるのは。
ふらりと、導かれるみたいに歩みだした私の手を、慌てた様子のリベラ殿下が掴む。
「っ……義姉上、その瞳」
「え?」
自分では見ることができないけれど、私の瞳は何かおかしなことになっているのだろうか?
「ルルちゃん、ずいぶん美しいな。金に輝く瞳、紫の髪と相まって、まるで闇に輝く月のようだ」
「――――珍しいですね、そんな詩的な表現をするなんて」
父まで、私の手をつかむ。
捕獲の二文字が脳裏をよぎる。
でも、私は、どうしてもあの先に行かなければいけない。
アレス殿下と、黒い竜の戦いは、互角に見えた。
闇色の体躯にまとわりつくような、金色の魔力。
アレス殿下は、竜を倒してきたのだろう。
次々展開されていく魔法陣、S級冒険者仕込みの剣技はどこまでも実践的で、そのどちらも人の域を超えていた。
どう考えても、あの間に割って入るだけの力が、魔力を使うことができない私にはない。
「お父様、リベラ殿下も、竜を倒して力を得た今なら、同じものを感じているはずです」
リベラ殿下が、アレス殿下と色違いの宝石みたいな、紫の瞳を細める。
「ええ……。この先に、何かがあるのですね?」
「アレス殿下に、守られるとは、約束しましたけれど」
竜を倒すだけで、いいのだろうか?
白銀の竜が、母を殺した理由は、父が自分を殺すのと同じ理由だと言った。
そして父は「守りたいだけだ」と言った。
フェイとセラフを引き離したのは、竜だという。
その理由は「因果律を壊してはいけないから……」だ。
フェイが、私に擦り寄りながら、その言葉を言ったような気がした。
アレス殿下の手に握られた、黒い剣は、その力を発揮する最高の媒体となっている。
因果律を壊してしまったら、いったい何が起こるというの?
どうして、竜たちは、フェイとセラフが結ばれることを、良しとしなかったの?
その、白い花を散らす、大きな木。
その根元には、樹洞がある。
木の根元にぽっかりと開いた隙間に、私は導かれるみたいに手を差し込む。
滑らかな質感、硬い感触と相反して、そこからは脈打つような命の気配を感じる。
「卵……」
その事実に茫然として、私は思わずその卵を抱きしめた。
それと同時に、巨大な体が倒れる地響きの音で、勝者が誰なのかを知る。
「アレス殿下……」
私は、その卵を手放すこともできずに、決着がなされた場所に向かう。
「守られるって意味……知ってる?」
怒ったときの笑顔で、アレス殿下が振り返った。
「――――ちゃんと、守られましたよ?」
父とリベラ殿下まで、何とも微妙な顔をしたけれど、時間がない。
私は、卵を抱えたまま、まだ辛うじて息がある竜の顔のそばにしゃがみ込んだ。
「……守りたかったんですよね?」
「――――闇の精霊と、光の精霊が結ばれた瞬間から、卵は孵らなくなった。引き離して、一番遠い場所にそれぞれを縫い留めても、壊れてしまった因果は、戻ることはなかった」
「最後の、一個なの?」
「――――いや。だが卵は孵らない。闇と光の精霊が、再び出会うとき、竜は滅びる。それが、竜の予言で見た、未来の確定事項だから……」
私は、ますます強く、卵を抱きしめる。
体の中心に渦巻く竜の魔力が、出口を求めて、卵の方へと流れ込んだ。
パキンッと卵が割れる音。
「キュゥゥゥ?」
かわいらしい声とともに、金色の瞳をした黒い小竜が顔を出す。
「――――まだ、わからないんじゃないですか?」
戦わないですむ道だって、あったのかもしれない。
でも、もう過ぎてしまった時間をやり直すことはできないから。
「そうか、そうだったのかもしれないな。――――ああ、災厄の日に立ち向かう人影の中に……」
竜は、そこまで呟いて、残りの言葉を紡ぐことなく、静かに目を瞑った。
竜の予言は、再び書き換えられた。それは、未完成のままで。
「ルル……帰ろうか。帰った後の処理は任せる。……頼んだ公務を他の者に任せたことは、それで許すよ。いつもありがとう、リベラ?」
「優しそうな言葉と笑顔とは正反対に、どこか理不尽ですよねっ?!」
「S級冒険者は、そういう自由な存在……そうでしょう? 義父上」
「――――貴様、今回のことで昇格が確実だからと」
アレス殿下が、笑った。その顔を見た父が、なぜか神妙な表情になる。
また、二人だけで意思疎通するの、やめてほしい。
「……竜の力を、二つも受けてしまいましたからね、俺と義父上は」
「……アレス」
「この話は、また後程……」
私は、お姫様抱っこされた。小竜も一緒に抱き上げられる。
あんな激闘、それも連戦を終えたばかりなのに、アレス殿下の余力はまだまだ残っているようだ。
「ルル、今だけセラフとフェイを呼び出すよ。力を借りてこの場所から、全員で帰らなければいけないから……。覚悟して」
これは……魔力枯渇で眠り込んで、次に起きた時には、ほとんどのことが終わってるってことですね?
それにしても、毎回不思議なのは、同じように魔力が枯渇しても、アレス殿下は眠り込まないのに、私は眠り込んでしまうことだ。
まだまだ、私の根性が足りないのかしら……?
疑問に思いつつ、見つめたアレス殿下は、「今度こそ守られていて? 悪いようにはしないから」と、少し薄暗い瞳で私を見つめ返す。
これは……折られたフラグの本数だけ、退路が断たれていく感じですかね?
その、光の差し込まない海の底みたいな瞳にすら、ドキドキしてしまっているのは、私ではなく悪役令嬢ルルーシアなのだと思いたい。思いたいのに。
「じゃあ、その前に一つだけ……」
「ルル?」
「――――もう、置いていかないでっ! 無事でよかった……。アレス」
すりすりと頬を寄せて、その胸に縋り付きながら、心臓の鼓動が確かにそこにあることを確かめる。
アレス殿下の心臓の音は、私に負けず劣らず跳ね上がっていた。
「っ……うわ。ルルが寝ているうちに外堀埋めようとしていた、薄暗い自分のことが、許せないんだけど?!」
その言葉に見上げた瞳は、寄せている眉と真逆で、もう陰りのかけらもなく、深海の底から泳ぎ出た時に初めて見るような、光を受けてキラキラ輝く海の色をしていた。
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