54 帰ったら結婚しよう?
強く握りしめてきたアレス殿下の手を、同じくらいの力で握り返した。
横目でちらりと見た、アレス殿下の唇が、楽しそうに歪むのを見た。
私は、この表情を知っている。
第一王子アレス……。アレス様が、この表情をしたときには、勝てる人間なんてどこにもいなかったと記憶している。
「仕方がないか。そろそろ、根本的な解決がしたかったところだ。しばらく王宮にいられるのだろう? リベラ」
「え? ええ……。魔術師ギルドの依頼は今はないですから」
「――――そうか。では、ちょうど良かったのかもしれないな。来てくれてありがとうリベラ」
「は? 兄上、急に何を仰るのですか? 何をそんなにも怒っているのですか」
やっぱり。今のアレス殿下でも、あれは怒っている表情ですよね。
「怒ってはいない。ルルーシアを俺に黙って勝手に呼び出したことは、ちょうど執務を代わってくれる人間が来てくれたってことで許すから。とりあえず、1週間だな。ルルも待っていて」
「え? アレス殿下、どうしたのですか」
なんだか雲行きが怪しくなってきた。
止める暇もないままに、アレス殿下が自分の持つ腕輪に触れる。
「ルルは、しばらくルドルフ殿の目が届く範囲でのんびりしていて? 多分フェイのことも、召喚することができるから、事情聴取もしていてくれると嬉しいな」
その瞬間、眩いばかりの金色の光が、部屋中を包み込む。
――――え? フェイが呼び出せるなんて、王国の外にでも行ってしまう気ですか?
「ああ、シーク先生も、今回お付き合いしたのですから、ルルのことよろしくお願いしますね?」
有無を言わせぬ迫力は、王者の貫禄とでもいうのだろうか。
やはり、王国はこのお方を王にするべきなのではないかと、誰もが思わされるだろう。
「ルル……待っていて。どうしても、しなければいけない事があるんだ」
「まさか、私のこと置いていく気ですか? 私も一緒じゃ、ダメなんですか?」
「――――光の精霊の力を借りる必要があるから、ルルはお留守番だ。そうだな…………帰ったら結婚しよう?」
「ひっ?! ダメですよ! 絶対帰って来ない感じの台詞じゃないですかそれ!」
言ってはダメな台詞、第一位をサラリと言って、アレス殿下は腕輪を床へと投げつけた。
そこから、まるで絵本の中の魔法みたいに、一匹の大きな犬が現れる。
「乱暴だわ、アレス。――――仕方ないわね、あなたの願いは、簡単に聞こえるのに、とても叶えるのが難しいのだもの。前々から計画していたアレを倒しに、そろそろ行く以外の選択肢が、ないのだわ」
にっこりと私に笑いかけるアレス殿下と、ため息をつきながら、フェイの化身である黒い剣にそっと鼻先をこすりつけた光の精霊。
「セラフ……行こうか」
「ええ、光の精霊ともあろう高位の存在に願ったのが、『愛する人を守る』たったそれだけなのにね。世界征服の方が簡単ってくらい困難なんて、アレスも不憫だわ」
「ルルのために何かできるのなら、それは喜びでしかないよ」
「――――あなた、相当重症だわ」
「知ってる」
意味深な会話。重症という言葉には賛同しつつ、なんとか止めようと手を伸ばした。それなのに、指先が触れる直前、揺らめいた陽炎が消えてしまうように、アレス殿下の姿は目の前から消えてしまった。
その瞬間、黒い剣から大きな犬へと姿を変えたフェイ。
それは、アレス殿下がすでに、少なくとも王都にはいないということの証明だ。
「――――勝手なことばかりしてって、私もセラフみたいにしてもいいのかな? フェイ」
「アレスもルルーシアを置いていく決意をするほど必死なんだ、許してやるといい。それだけ必死になった挙句、吹き飛ばされるとか身につまされる」
出会った直後に、光の精霊セラフに吹き飛ばされていたフェイには、思い当たることがあるのだろう。
クルリと、リベラ殿下とレイチェル様のほうを振り向く。
「リベラ殿下が、一番聞きたかったのは、この闇の精霊のことですよね?」
「ああ。光の精霊は、王族の求めに応じ数十年に一度姿を現していたけれど、闇の精霊も実在したとは……」
「――――フェイ?」
説明をお願いしたい。確かに、前回の人生では最後の最後に姿を見たけれど、まさか神話時代から姿を現していなかったとか?
「……俺は、冥府に縛られていたから。ルルーシアほどの闇の魔力を持ったものが、あそこまで追い詰められて強い願いを持つ。しかも、光の精霊を呼び出す力を持つものを愛するなんて、そんな偶然そうそうあるはずがない」
「え? 私のせいだとでも?」
「完全に、この世界にいられるようになったのは、その鎖のせいだけどな?」
ジャラジャラと音が聞こえてくる気がした。
その鎖は、フェイのキラキラ輝くアレス殿下の腕輪とお揃いの首輪に、しっかりつながっている。
――――飼い犬!?
「飼われているとか考えるのはやめろ。俺は、高位の存在だぞ」
これから先、私が光と闇の鎖に恐怖感を持つことは、決してないと断言できる。
でも、もし本当にアレス様が、心の中で今のアレス殿下と同じように私のことを思っていてくれたのだとしたら……。私が同じ選択をしなくてはいけないのだとしたら。
――――対価は、アレス殿下との記憶? あるいはもっと別の大切な物?
「アレス殿下が、向かったのは」
「おそらく、ルルーシアの運命を奈落に突き落とす原因を倒そうとしているのだろうな。そのうちの一匹は、今ならまだ、アレスの手に負えるだろう」
「――――どうして一人で」
「一人じゃないさ。セラフもいるし、それに……」
一人じゃないと言ったフェイ。
その言葉から浮かぶのは、二人の協力者の存在だ。
「――――だから、カトルもアイシラも?」
カトルは、学園を離れて冒険者に。アイシラは、しばらく冒険に重きを置くと言っていた。
「それに、ルルーシアにもするべきことがあるだろう?」
「私がするべきこと……?」
「ああ、アレスだけがS級冒険者になって、自分はA級のままでいいのか?」
なるほど。あと一週間……。フェイとともにいれば、私は闇の魔力を自由に使うことができる。
アレス殿下と離れている間、私も全力を出すことができる。
「ふっ、ふふふ! そんなの嫌!」
「――――楽しそうだな。とりあえず、四匹の竜のうちこの世界に残っているのはあと三匹だ。俺たちも倒そう。神話時代からの因縁対決に、決着をつけてくれる」
「……私怨が混じっていない?」
「気のせいだ。それにな……私怨があるのはお前とルドルフだろ?」
ドクンと心臓が苦しくなるくらい飛び跳ねた。
私にとって、私怨がある相手……?
父が、たった一回負けたという相手。
もしかすると、母がいなくなった理由……?
そして私の運命に関係する竜の予言。
私は一つ頷くと、ここぞとばかりに完璧すぎる悪役令嬢ルルーシアの優雅な礼を披露した。
「それでは、未来の国王陛下、王妃殿下。ごきげんよう。シーク先生も、面白い素材が手に入りましたら、お持ちいたしますわ?」
そちらがその気なら、私だって絶対に負けてはいない。
でも、少しだけ結婚しようという言葉に、返事をきちんとしなかったことだけが、どこかに刺さったまま抜けない小さなとげみたいに私の心をチクチク苛むのだった。
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