46 第一王子と悪役令嬢 2
屋敷の一番奥まった部屋へ父に連れられてきた私は、ただ呆然と自分の手のひらを見つめた。
闇の魔力があるといっても、ほんの少しだから、私はごく一般的な貴族令嬢として過ごしてきた。
「それよりも、お父様が、S級冒険者?」
そして、それよりもまず、気になったのは、父の肩書きだった。フリーディル伯爵家の婿として、父が貴族になったというのは、聞いたことがあった。
それゆえに、私は成り上がり貴族の娘と、揶揄されることがあった。
いつもどこか諦めたような瞳をした父が、そんな経歴を持っていたなんて知らなかった。
闇の魔力とS級冒険者。
今まで、どうして成り上がりと言われるような伯爵家に生まれた私が、第一王子の婚約者に選ばれたのか不思議だったけれど、納得がいった。
「ルルーシア、今更だが一緒にこの国から逃げよう。お前の運命を変えたいと、一縷の望みをかけて第一王子との婚約を受け入れたが……」
「――――お父様、私の運命とは?」
たぶん聞いてしまえば、もう戻ることなどできないのだと理解しながらも、私は聞かずにはいられなかった。
握りしめた拳の中が、じっとりと冷たくなる。
「S級冒険者になるには、人間の能力を超える力が必要だ。そして、俺の場合は、竜を倒したことで、その力を手に入れた。だが、あの時竜は、予言を残した。王国に起こる未曾有の災厄と、その時俺の娘は既にいないだろうという……」
もちろん、わたしたちの婚約は、政略によるものだ。それでも、私は誰よりもアレス様が好きだった。アレス様の王国に未曾有の災厄が起きるのに、自分だけ逃げるなんてできない。
私の命が、どこで燃え尽きるかわからなくても、最後までアレス様の力になりたい。
けれど、そう願ったことが、逆にアレス様まで運命に巻き込んでしまうなんて、考えの足りない私には、分からなかった。
そして、大好きな父の運命まで変えてしまうだなんて。
……知っていたら、私だけが終わりを迎える運命に、出来たのだろうか。
「お父様、私はアレス様のお力になりたい。たとえ、命が尽きるのだとしても、そばにいたいです」
「そうか……。そうだな、今度こそ守るから」
そう言って微笑んだ父が、守れなかった人に、思い当たる。
きっとそれは、大恋愛の末に結婚したという母のことなのだろう。不慮の事故で、亡くなったと聞いてはいたけれど、その詳細を誰も教えてはくれなかったから。
私に闇の魔力があることは、知れ渡ってしまったけれど、あの日の事件は被害者がいなかったこともあり秘匿された。
✳︎ ✳︎ ✳︎
あの日から、今までのように、距離はあっても私はアレス様の婚約者として、過ごしていた。
学園に通えば、特待クラスでアレス様の姿を見ることができた。アレス様は、私の前でも貴族の笑みを崩したりしないし、冷たく突き放されることも多い。
それでも良かった。何か役に立ちたくて、私は勉強に、王族としての教育にと、毎日精力的に取り組んだ。
それなのに、たった二つの出来事のせいで、私たちの運命の糸は、簡単に引きちぎられてしまった。
その一つが、光の魔法を持つ、平民出身の級友、アイシラ・クリスタルの存在だ。
アイシラ様は、特に私に何かをするわけではない。それなのに、私は彼女に近づくことができなかった。近づこうとすると酷い眩暈や倦怠感に襲われる。
……なぜなの?
そのうちに、彼女の周りで、さまざまな事件が起こり始める。
アイシラ様は、制服を破かれたり、噴水に突き落とされたり、ノートや教科書を破かれた。
周りの嫌がらせを止めなければと思うのに、アイシラ様に近づくことができない。
いつしか、アイシラ様に起こった出来事は、全て私がしたと言われるようになった。
二年生になったある日、本当に久しぶりにアレス様から直接声が掛かる。
「ルルーシア、これから先、しばらくの間距離を取ろう。屋敷からも出るな」
アレス様にとって、やはり私は不要な存在なのだろう。久々に近くで会えたことが嬉しいのに、こんなにも体調が悪くなっていくのは、その冷たい言葉のせいなのだろうか。
「……どうしてですか? 私に至らないところがあったなら……」
「一緒にいることができない。それは理由にならないかな?」
「やっぱり彼女の存在のせいですか」
「彼女は関係がない。これは俺自身の問題だ」
王族としての表情を崩すこともなく告げられた言葉。なぜだろう、まるで魔力が急速に奪われていくように、体がどんどん冷たくなる。
アイシラ様は、可憐で可愛らしい。ストロベリーブロンドも、蜂蜜色の瞳も、明るい微笑みも。
きっと、アレス様だって、私みたいな人間よりも、彼女の方が良いに違いない。
「私だって、そう思うもの」
屋敷に帰る気にもなれず、ぼんやりと、屋上から青い空を眺める。真っ青な雲一つない空は、まるでアレス様の瞳みたいだった。
もうすぐ十七歳になる。
私が、十八の日に災厄が起こり、その時私は、いないらしい。
「……どうせ、限られた時間しか残されていないのなら」
まとまらない思考を持て余して、思わず屋上の柵を乗り越える。
ーーーーこのまま、消えてしまえばいい。
涙でぼんやりとしか見えない視界の中、私は瞳を閉じた。
途端に、涙がこぼれ落ちる。
どんなに悲しくても、アレス様にふさわしくあろうと、泣くのを我慢してきたのに。
ふらりと、体が傾いた。
「ルルーシア!」
たしかに、手を掴まれたのだと思う。
そして、アレス様に抱きしめられた気がした。
光の魔力が溢れ出して、周囲を照らす。
それと同時に、アイシラ様のそばにいる時に感じた目眩と吐き気が私を襲う。
「アレス様……?」
アレス様の姿は見えない。その代わりに、ふんわりとした毛並みの、淡い金色をした大きな犬の尻尾が、ゆらゆら揺れているのを視界に捉えた。
「アレス・ロレンディア……何を願うの?」
「愛する人を守りたい」
強い風に、はっきり聞こえなかった会話は、最後に振り返れば、私のためのものだった。
――――そういえば、アレス様の魔法をいつから見ていなかった?
――――美しく輝く魔法が、大好きだったのに。
そう、私が闇の魔力を暴発させたあの日から、私はアレス様の魔法を見ていない。
そのまま、急速に魔力を奪われて、私は意識を失った。
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「気がついたか。ルルーシア」
目を覚ますと、フリーディル伯爵家の屋敷に戻っていた。父が、心配そうに私の顔を覗き込む。
私が、一週間以上、目を覚さなかった間に、アレス様は、光の精霊を召喚したという。きっと、あの時に見た大きな犬が、そうなのだと、私は納得した。
「ルルーシア、殿下のことは諦めなさい。光の精霊のそばに、闇の魔力を持つものは、近づくことができない」
「……お父様」
「ルルーシアの魔力が、覚醒しなければ。あるいは、殿下が光の精霊を召喚しなければ、まだ道はあったのかも知れないが」
「私は、アレス様のお力になるどころか、足を引っ張るしか、ないのですね」
自分の不甲斐なさに、涙するしかなかった。
父が、黙って私のことを抱きしめてくれる。
それからしばらくは、父に守られて、何事もなく過ぎた。
けれど、S級冒険者であるがゆえに、断ることのできない緊急討伐依頼に、父が出向いた、あの日。
屋敷に訪れた騎士達に、私は王宮へと連れて行かれた。そこで告げられたのは、アレス様との婚約破棄だった。
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