筒長人志 未希子 早紀
町は夏を迎え、大学も夏期休暇に入った。
サークルにも所属していない私にとって、夏休みはのっそりのっそりと牛が歩くみたいにゆっくりと流れていく。
夕焼けに混じる排気ガスの灰色。
私はバイトに向かうためにいつもの橋を歩いている。
観光客や学校終わりの高校生。
すれ違う人波をかき分けながら、ふとベンチのほうを見る。
私とサキが出会ったあのベンチには、高校生ぐらいの二人組がいた。
音は聞こえないけれど、彼らはギターを手に弾き語りのようなことをしているのだろうと思った。
川岸には涼を楽しむ観光客やバイオリンを持った中年の白人男性。
その対岸にはトランペットを演奏する女性の姿もあった。
独立した時間の流れの中で彼らはそれぞれの関心事に埋没している。
その姿はどれも、夕暮れの中で何かを取り戻そうとしているように見える。
そのような時間や風景が今日も流れているのかを確かめるのが、サキと出会って以降の私の日課となっている。
私はこの風景を愛しているのだと思う。
そしてバイトが終わり私はベンチに腰掛ける。
やがてサキがやってくる。
かけてくる彼女はサンダル履きだった。
その姿を見るたびに私は夏が来たんだなと実感する。
有、遅かったじゃん
と彼女は言う。
それが私と出会ってからの彼女の日課だった。
いつもどおりだよ
そうかな?
そうだよ
ねえ有?今日はどこ行ってたの?
今日も本屋でアルバイトしてからきたんだよ
ふーん、そうなんだ
うん
ねえ有?昨日の続き話して
いいよ
私はそう言って筒長家に向かうためにサキの手をとった。
そもそも待ち合わせ場所がここでなくてもいいと私は思っているのだけれど、そう言うとサキは大きな瞳を目一杯ゆがませて、
このベンチじゃなきゃいやなの
と返してくる。
彼女なりのこだわりがあるらしい。
エレベーターの扉が開き、彼女が玄関扉に鍵を差し込む。
筒長人志。
未希子。
早紀。
扉の脇に掲げられた表札には三人の名前があった。
サキの父親は筒長人志という。
未希子さんから聞いたところによると交通事故で亡くなったらしい。
その事故で怪我を負わなかったのは未希子さんだけだった。
今のサキからはとても想像できないけれど、彼女も一時は生死の境を彷徨うほどの大怪我を負ったという話だった。
しかし私の知る限り、サキには後遺症はおろかその体に事故の痕跡は一切認められない。
果たしてそんなことがありえるのだろうか。
サキに抱きしめられる謎の女性を初めとして彼女の周りには私の知る常識を超える何かがある。
よくよく考えてみると、私達の出会いからそれは始まっていたのかもしれない。
どうしてサキは夜中に家を飛び出してあのベンチに来たのか。
そして突然の出会いにもかかわらず、私達は仲良くなった。
出会う以前から、私は彼女の事を知っていたのではないかとさえ思えるくらいに、不思議な親近感が私達を急激に近づけたのだ。
私はサキに問いかけようとして、そっと言葉を呑み込む。
何について問いかけるのかを、私は今よくよく考えなければならない。
玄関で靴を脱ぎ、つま先を扉のほうに向けて玄関の隅に並べる。
そして脱ぎ散らかされた彼女のサンダルを脇の靴箱に収納する。
テーブルには私の為の夕食が並べられている。
今日の私の夕飯は煮込みハンバーグと味噌汁、それにレタスとほうれん草のサラダだった。
そこにサキの好物であるコロッケやプチトマトが添えてある場合に、皿の上に並ぶ料理に不自然な虫食い跡があったりする。
サキが冷蔵庫の扉を開けて、中からプラスチックのポットの麦茶を取り出した。
そしてテーブルに並ぶ二つのコップにいかにも真剣な眼差しで注いでいく。
細められていく彼女のまぶた。
私は口を開く。
サキ、変わろうか?
いい
それが終わると、いかにも満足気に口角を上げながらポットを冷蔵庫に収め、こちらへとかけくる。そして彼女はそのままの勢いで私の向かい側の椅子に着席する。
何がそこまで彼女を急き立てるのだろう。
サキは動作一つとっても慌ただしい。
けれど、かつての私も彼女のようだったのかもしれないと考える。
そして私は時計を見やる。
時刻はもう少しで十時になろうとしていた。
ありがとう
私はそう言ってコップを口に近づける。
向かい側に座る彼女も、私に合わせるように両手でコップを包むようにして持ち上げ、その縁に口をつける。
電子レンジが鳴り、中から皿を取り出してテーブルにのせる。
箸でハンバーグを割ると、デミグラスソースに僅かに肉汁が滲み出してくる。
サキが物欲しそうな目でその光景を眺めていることに私は気づく。
あげようか?
いい。それより早く話の続き
わかった
私はそう言って、彼女がうろ覚えの箇所を補完し、聞いてさえいなかった雌羊アイリスと牡羊ライラックの話をする。
私が食器を洗う間に彼女は歯磨きを済ませて、布団に潜り込む。
私は彼女の後を追いかけるように歯を磨き、豆電球のささやかな光を頼りにして、ベッドの脇に背をつけて足を伸ばした。
サキ、他に質問はある?
私がそう言うと、彼女は待ってましたと言わんばかりに布団をくの字に折り曲げてむっくりと体を起こし、俯き加減に私を見つめ口を開く。
どうしてイキシアは、羊たちが離れていくと思ったの?
それはイキシアにもわからないんだ
だったら有は?
そのうち分かるよ
そう言った後に、私は敷き布団をとんとん叩いて彼女に寝姿勢を促す。
そしてサキは電池が切れたみたいにぱたりと布団の上に落下した。
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