5.なぜ人体に鍵穴?
泣いたよ。
生まれてこのかた、涙を見せたことがなかったわしが、さめざめと、この世も末、もう未来はないと言わんばかりに泣いた。
滂沱と滴った涙で、わしは溺れちまうんじゃないかと思うほど泣きくれたね。
そうして妻の身体を労るように触れた。
死の瞬間の苦痛はいかばかりだったか。
致命傷はどこだったのだろうか?
目撃者の証言だと、妻はなんの落ち度もなかったという。
加害者は、耳たぶのみならず、牛じゃあるまいし鼻や舌にまでピアスをぶら下げた若い男だそうで、ごついマフラーをつけたスポーツカーで、妻を王貞治のホームランなみに跳ね飛ばし、そのあと前輪で轢いた。
男は取り調べに応じた際、まるっきり反省の色を示さなかったらしい。
亡骸にかけられたシーツをめくると、妻は浴衣姿に着替えさせられていた。
そっと襟を解き、胸の谷間を見ると、痛々しい傷痕が残されていた。
とてもじゃないが、あのときの切歯扼腕の姿は人様には見せられないね。
妻を失った悲しみ、絶望よりも、今すぐ加害者につかみかかり、妻と同じ苦しみを味わわせてやりたいと思った。
なんにも増して純然たる殺意。
熱烈なまでの負の感情が、身体の芯からマグマのように突き上げてくる。
わしは霊安室の床で転がり回りながら、なんとか自制しようと努めた。
そんなのはきれいごとにすぎない。獣のように吠え、狂ったように泣いた。
どれほど時間が経ったろうか。
体内の水分が干上がるほど泣き疲れたわしは、やっとのことで立ち上がった。
ここで寝っ転がってても、ことは前に進まない。
娘や息子たちをはじめ、妻の親族に突然の不幸を知らせ、葬儀を手配しなくてはなるまい。
通夜か告別式が、友引とかち合っていないよう祈るしかない。
……どの面下げて連絡するんだ?
葬儀?
妻を火葬場の釜に放り込み、ましてや火にくべることを、おまえはできるのか?
このバカタレが。
人はそんな簡単に、部屋の電気のスイッチを切るみたいに切り替えなんか、できっこない。
もう一度、ストレッチャーの上に寝かされた妻に眼をやった。
哀れにも、浴衣の前がはだけたままだ。
一瞬、我が眼を疑った。
身体の中央に、不自然なホクロを見つけたんだ。
ホクロは、両方の乳房に挟まれる位置にあった。
おかしい。
さっきは見つけられなかったのに……。
恥ずかしい話だが、結婚して以来、夜の営みで妻の身体を知り尽くしているつもりでいた。
それこそ星座のように点在したホクロの位置までわかっていたつもりだった。悲しいかな、それもずいぶん昔に確認した話であるけども。
見慣れぬ身体のホクロは、前方後円墳そっくりの形をしていた。
いや、形状からして不自然すぎやしないか?
それはホクロではない。
穴だ。
それも鍵穴ではあるまいか?
触れてみた。
たしかに中指の腹に伝わる感触から、仕事柄見慣れた鍵穴にまちがいない。
なぜ人体に鍵穴が?
だとすれば、職業病じゃなくとも、開けてみたい欲求にかられるというもの。
開錠すれば、静止した心臓があらわになるかもしれない。
むんずとじかに臓器をつかみ、水風船でも揉むようにマッサージすれば、もしかしたら蘇生するのではないか? そんな妄想が頭をよぎった。
閉ざされた扉を見つけたら、開錠せずにはいられない。
一縷の望みにすがり、わしは妻の鍵穴と取っ組むことにした。
そうとも。なんの疑いも抱かず、すぐさまピッキングに挑んだわけさ。
道具箱は車に置いてきてしまっていたが、作業着のポケットには常時ピッキング用の道具は忍ばせてある。
なかったとしても、どこかの病室からヘアピン2本ばかり拝借してくればそれで事足りる。
汗水流しながらピッキングしていると、もうひとりの冷静な自分が耳元でささやいた――おまえは気が触れたんじゃないか? どう考えてもトチ狂った所業だぞ。
鍵師になってからというもの、肉体そのものに穿たれた鍵穴をピッキングしたことはない。
世界広しといえど、妻の身体の鍵穴と格闘した職人なぞいるものか。
穴の内部構造は典型的なピン・タンブラー錠。
わしにかかれば、こんなありふれた鍵なんてチョロイ。
冷静さを欠いてはいたが、ものの5分以内で開けてみせる。
じっさいそうした。
シリンダーが回転する心地よい感触が手に伝わった。
すると、胸から腹部にかけて、毛ほども切り込みすらなかったのに、10センチ四方の扉がひとりでに外側に向かって開いてきたから、たまげたのなんの。
わしは反射的に眼をそむけた。
しばらくしてから、恐る恐る内側を見た。
てっきり生々しく光る臓腑が現れるのかと思いきや――。
妻の内側には、なんと、藁束が詰まっていたのだ。
どこをどう見ても藁。ぎっしりと乾いた藁が突っ込まれていた。
さっきも言ったろう、実家は秋田の僻村で、父親は指折りの豪農だった。
子どものころ、秋の収穫を終えたあと、稲穂の杭掛け作業を手伝ったことがある。
そのあと脱穀し残った藁束を切って、田に広げたり堆肥に使ったり、牛馬の餌としたものだ。
あの細かく裁断された藁が身体の中に押し込められてあったのだ。




