4.開かずの間をピッキング
鍵師ってな、いろんな人から仕事を依頼されるもんだ。
大手銀行の巨大金庫や、さっきも言ったようにヤクザの事務所の手提げ金庫なんかまだ序の口で、寺の納骨堂、病院の霊安室の扉などの開錠を任せられることもめずらしくない。いろんな意味で、ゾッとした体験譚がてんこ盛りさ。
お通夜や葬式のさなかに、金庫を開けてくれという連絡が入ることもあった。
ロックの解除方法を知る本人が死んだから、遺族たちはお手上げになって、わしのところへ電話がかかってくるってわけだ。
まさに通夜の最中、ご遺体が寝かされた部屋で、床の間の金庫と取っ組んだりしたこともある。
弔問客が出入りするところに作業着姿の男が金庫と格闘してるのだから、なにやってんだ、みたいな眼つきで見られたりした。
よりによってそんな日に依頼するのも、いかがなものかと思うがね。
遠方からかけつけた遺族たちは、そんなときじゃないと集まらないもんだから、ただちに金庫を開けてほしいんだとさ。
やっとこさ開けたはいいが、遺産をめぐって骨肉の争いを目の当たりにすることもある。
人間、金がからむとロクなことはないね。
◆◆◆◆◆
そんなある日のことだ。
わしは人生を根底から覆される出来事に遭遇した。
あの事件をきっかけに、快活そのものだったわしの心に、暗い翳りがさしたんだ。
そうとも、徐々に思い出してきたぞ。いい塩梅にディーゼルエンジンが温まってきたってところかな。
すべては、山の手の瀟洒な屋敷での仕事から歯車が狂い出したと言ってもいい。
依頼主は築150年を超える邸宅でたったひとり住む後家だった。
当時のわしは、50代に入ったばかり。
かけ出しのころと比べれば体力は衰えていたが、仕事への意欲はむしろそれ以上で、子どもたちも無事巣立ったことだし、生き生きとしていた。
後家さんは熟年の、どこか浮世離れした美人でね。
スラリとした肢体は色気たっぷりなのだが、近寄り難い退廃美をまとっていた。まかりまちがって手を出そうものなら、手ひどい火傷を負いかねないキナ臭さを匂わせた。まるでウツボカズラの甘いエキスに吸い寄せられる羽虫の気持ちにさせられた。
依頼の内容はこうだ――。
先日、屋敷を大掃除していたら、壁に仕掛けドアを見つけた。どうやらその向こうは開かずの間になっているらしい。
ところが厳重に施錠されている。
その扉にかかった南京錠を開けて欲しいんだと。向こうに、なにが入っているのかむしょうに気になるという。
錠自体は年代ものだとしても、構造は現代のそれと同じだ。
わしの手にかかれば、眼を瞑っててさえも開けてみせる。
じっさい、10分とかからず南京錠を開けたよ。
開かずの間になにが入ってたと思うかね。
なんだと?
横溝正史の小説に出てくる座敷牢みたいに、訳あり家族を閉じ込めてただって? そりゃまた荒唐無稽な。
開かずの間は埃がうず厚く積もった小部屋だった。雑然と小物が押し込められ、ガランとしていた。
床にはなんと、明治35年の新聞紙が置いてあった。
紙面には、『雪中行軍の大惨事』のセンセーショナルな見出しで、あの有名な八甲田雪中行軍遭難事件の記事が載っていたんだ。
そのとき以来、時間が止まったままだったのか?
これ見よがしに、今朝読んだばかりの新聞を、ポンとそのまま置き捨てたような感じだからな。
なんていうか、新聞の日付どおりだと解釈してもいいのではないか。つまり、明治35年1月30日以来、この部屋は閉め切られていたのだと、わしは信じたね。
とはいえ、後家さんといっしょに部屋を探しまわった結果は、なんてことはなかった。
隅には長櫃が置かれ、中には子どものテストの答案用紙がねじ込まれていた。
他にも他愛もない女性の水着姿の写真が数葉。
鍵をかけてまで封印したかった人の秘密ってのは、えてしてこの程度だったりする。
そうとも。なんてことはない。
肩すかしの結果に終わった。
……終わったはずだ。
◆◆◆◆◆
それからさらに数年がすぎた。
いろんなことがあったが、次に起きた事件に比べれば、取るに足りん。
ある日のことだ。
遠方へ行った出先で、妻の訃報がもたらされた。
わしの妻が事故に巻き込まれて死んだというんだ。
現場は家の近所の交差点。信号無視をした車にはねられて死亡したという。即死だったそうだ。
すぐさま病院にかけつけた。
妻は霊安室のストレッチャーに横たわり、顔には白布が被せられていた。
ふるえる手で布を取った。
安らかな顔だったよ。
顔には傷ひとつなく、朝、シジミ汁と銀鮭をふるまってくれた晴れやかなそれと、なんら変わりなかった。
ただ、眼を開けてくれなかったのと、頬に触れると、アイスキャンディーみたいに冷たく、カチコチに硬直していたのがちがっているだけで。




