5話 精霊契約
「まずは尋ねようぞ。汝は妾との精霊契約を目的として、ここまでやって来たのか?」
アプサラスの声は、流れ落ちる滝の音に掻き消されることなく、不思議なくらいはっきりと耳へ届いた。
「他に理由なくこんな危ないところに来るやつがいるなら、教えてもらいてえよ」
「次の問いに応えよ。契約に必要なこととは、なんと心得ておる?」
アプサラスの周囲を漂っていた水の粒が、ゆっくりと円を描いている。試されているのはミヤビのはずだが、向けられている視線はなぜか俺から外れない。
「少なくとも初対面で上から言われる契約は好かないね。だから利害の一致。人は死ぬからな」
「ちょ、迦楼羅さん口悪すぎ!」
ミヤビが慌てて俺の前へ出る。
「す、すいません! この人こういう人なんです! 悪い人ではないんですけど!」
「なに言ってんだ。精霊だろうと魔物だろうと契約は対等! これ基本だろ!」
俺の声が滝壺に響き、驚いた鳥が一羽、頭上の枝から飛び立っていった。
それでもアプサラスは怒るでもなく、俺たちを見ている。水面を滑ってきた風が白い衣と長い黒髪を揺らし、その足元から小さな波紋がひとつだけ広がった。
やがて、その唇がほんの僅かに緩んだ。
「面白い男じゃ。皆、妾を前にすると謙るものだが、利害の一致とな?」
「俺は興味ねえが、逆に精霊が契約する理由ってのがあるなら聞きたいものだ。それが納得できるものでなければ、コッチから願い下げだ」
滝から落ちる水だけが、しばらく二人の間を埋めた。さっきまでの問いかけとは違う。今度は俺という人間そのものを値踏みされているようだった。
「理由が……お前たちと同じだとしたらどうする?」
「はあ……? どういうことだ」
アプサラスの声から、それまでの試すような響きが消えた。周囲を漂っていた水の粒も動きを止め、木漏れ日の中で静かに浮かんでいる。
「この世界に生きとし生けるもの全てではないが、このゲームでお前たちとは別の角度から《役割》として使命が与えられているとしたら、お前はどのような契約者を望む?」
「まさか……」
「そんなの強い冒険者に決まってますよね? 迦楼羅さん?」
「ちと、黙ってろ……」
それが本当だとしたら、残酷すぎる話が容易に想像できた。
賞金を募る募集は、あくまでも【冒険者】のクリアー報酬。もし制作者が、諦めた冒険者以外にもこのクソゲームへ参加させ、俺たちと同じように【死】が身近にある世界で《役割》を与えているのなら、強制されたか、断ることができないほどの理由を突きつけられたのかもしれない。
そうであって欲しくないとは思う。
だが、いずれにせよ参加する理由なんてない奴のほうが少ない世界だ。
俺は滝壺に立つアプサラスを改めて見た。
白い衣も、宙を漂う水の粒も、さっきまでなら人間離れした精霊の証にしか見えなかった。それが今は、この女に押しつけられた《役割》の一部にも見えてくる。
「答える前に、こっちも質問を一つだけさせてくれ。アプサラス……に別の名前、もしくは元の名前はあるのか?」
初めて、アプサラスの表情が止まった。
滝から吹いてきた風に長い黒髪だけが揺れる。
「……ええ、ありました」
「なら契約者を選ぶ理由は一つ。死んでも悔いが残らなそうな冒険者だろ?」
一瞬の沈黙のあと、アプサラスの口元が崩れた。
「ふふっ……ふははははっ……きっと言葉にすると、そうなるのだろう」
さっきまで水面に立つ天女にしか見えなかった女が、初めて普通の人間みたいに笑った。
「えぇ? どういうことですか? 私、全然話が見えてこないんですけど!?」
アプサラスが水面を歩き、ゆっくりと俺に近づいてくる。先ほどまで滝壺を漂っていた水の粒も、その後を追うようについてきた。
「迦楼羅と申すか。こちらから迦楼羅殿との契約、お願い申し上げる」
「いや、俺じゃないよ? コイツ」
「はあ?」
アプサラスの足が止まった。
「なんかちゃんと説明してなかったからか……俺じゃなくて、こっちのエルフと契約してほしいんだよ」
「ええ? 嫌ですわ! てっきり迦楼羅殿と契約するのかと思って話を進めていたのに……嘘つき!」
「いやいや、俺が契約するとは言ってねーだろ」
そこからの話し合いは、かなりグダグダになった。
最初は「汝」だの「妾」だのと気取っていたアプサラスも、話が拗れるにつれてだんだん普通の女と変わらない喋り方になっていく。
「いや、だから! ここでアプサラスとミヤビが契約したら、俺の初心者講習は終わる予定だったの!」
「「そんなの酷すぎるだろ!」」
「ええ?」
アプサラスとミヤビの声が綺麗に重なった。
「ここまで一緒にやってきたのに、契約させたらハイッ、さよならですか!? 酷い! 酷すぎます!」
「迦楼羅殿、それで妾がミヤビ殿と契約して、二人がパーティにもなっていなかったら、さっきの話と整合性が取れぬではないか!」
「そりゃあ……まあ……そうなのか?」
「なら条件じゃ! 迦楼羅殿が刀に特化していることは分かった。妾を必要としておらぬことも認めよう。だが、ミヤビ殿と契約させるなら、ミヤビ殿を正式にパーティへ迎えること! これが最大の譲歩じゃ。それ以外は妾も認めんぞ!」
どうして精霊との契約を探しに来て、俺が契約条件を突きつけられているのか。
納得はいかなかったが、二対一では分が悪かった。
こうして初心者講習までと心に決めていたのに、俺はミヤビと正式にパーティを組むことになった。
できればカオス側のスキルを覚えていく俺のような冒険者ではなく、ミヤビには真っ当な冒険者とパーティを組んでもらいたかった……
が、そこまで言うといよいよメンタルをやられているおっさんみたいなので、言わんぞ!
ミヤビと無事に契約を結ぶと、アプサラスの身体は足元から水へ溶けるように薄くなり、最後には滝壺を漂う水の粒と一緒に消えていった。
「……消えちゃいましたね」
「ステータス見てみろ」
「あっ、はい! ステータス!」
ミヤビが開いた画面には、それまで空欄だった契約精霊の欄に、しっかりと名前が刻まれている。
【契約精霊:アプサラス】
どうやら必要な時に呼び出せば出てくるらしい。
俺の初心者講習は終わるはずだったのになぜか、仲間が一人増えた。




