4話 アプサラスの滝
『これはまだどの冒険者にも言ってないぜ。ニンフやシルフとは一味違う精霊、アプサラスの噂だ。迦楼羅君の名前とも相性いいだろ? カッハッハ』
まさかマスターの口からそんな精霊の名前が出てくるとは思っていなかった。
俺とミヤビは翌朝、さっそくアプサラスを探しに初心者の町を出た。
マスターの話では、初心者の町から北へ三日ほど進むと大きな森があり、その奥にそびえる山の麓に小さな滝があるらしい。そこでアプサラスを見たという冒険者がいたそうだ。
そこまでなら与太話で終わるが、その冒険者は実際にアプサラスと会話までしている。契約を申し込んだものの受け入れてもらえず、どうすれば契約できるのかマスターに聞きに来たらしい。
マスターも契約方法までは知らなかったようだが、少なくとも会える可能性はある。あとはミヤビが気に入られるかどうかだ。
「まさか天女の精霊とはねえ」
「迦楼羅さん、私で大丈夫なのでしょうか? 高卒以上とか縛りはないのですか?」
「そりゃ知らんが、学歴が条件になるクエストなんて聞いたことねーからな。関係ねーんじゃね?」
片道三日と言われていたが、食料は余裕を見て十日分用意した。荷物はレンタルミニドラゴンに積めるだけ積んである。
町から離れるにつれて石畳は途切れ、やがて足元は草と土だけになった。遠くに見えていた山も、一日歩くごとにどんどんデカくなり、三日目ともなると空の一部を塞いでいるように見える。
当然、道中にもモンスターは出る。
普段の俺なら見つけた奴から片っ端に殺すところだが、今回は目的が違う。わざわざ余計な戦闘に付き合う必要もないので、倒さなくて済む奴は無視し、レンタルミニドラゴンを引きながら北へ進んだ。
沙羅のことを引きずっている自覚はある。
それでもミヤビにとっては、これが初めての日を跨ぐ遠征だ。食料だけでなく薬草や聖水まで買い込み、普段のスキル上げとは違って、ミヤビの装備も長距離を歩きやすい軽装へ変えてある。
元々、鎧なんぞ一切着ない俺は大して変わらない。ただ今回は少しでも身軽に動けるよう、素早さの上がる服へ買い替えていた。
◇
予定より少し遅れ、四日目にようやく森へ辿り着いた。
ここまで歩いてきた草原とは、景色がまるで違う。
杉に似た背の高い木が隙間なく生え、枝葉が陽を遮っているせいで、昼間だというのに奥のほうは薄暗い。湿った地面には枯れ葉が何重にも積もり、少し先を見るだけでも木の幹が邪魔をして、その向こうに何がいるのか分からなかった。
「こりゃ面倒くせえな……」
こっち方面には今まで用がなく、俺にとっても初めて入る森だ。しかも道らしい道すらない。
レンタルミニドラゴンを無理に連れ込むのは諦め、森の外で待機させることにした。俺とミヤビは最低限の食料と回復薬だけを持ち、山の方角を頼りに中へ入っていく。
これだけ見通しが悪ければ、いつものように敵を見つけてからどうするか考えている暇もない。木々の隙間だけじゃなく頭上まで警戒しながら進んでいると、湿った空気の向こうから水の流れる音が聞こえ始めた。
「滝の音……? 迦楼羅さん! 滝の音が聞こえてきましたよ!」
目的地が近いと分かった途端、ミヤビの声が明るくなった。
その背後、木々の隙間で何かが動く。
「危ねえ!」
考えるより先にミヤビを蹴り飛ばした。
直後、飛び出してきたサーベルタイガーの前脚が俺の顔面をまともに捉え、身体ごと地面へ叩き転がされた。
「ヒ、『ヒール!』」
ミヤビがすぐに回復魔法を飛ばしてくる。顔の傷は淡い光に包まれて塞がっていったが、頭の中を揺さぶられた気持ち悪さまでは消えない。
歪む視界のまま刀を抜き、迫ってきたサーベルタイガーへ横薙ぎに振るった。
だが刃が届く寸前で巨体は後方へ跳び、そのまま追い打ちで飛ばした左腕の戦闘ギミックまで軽々と躱しやがった。
「ミヤビ、俺はサーベルタイガーと戦ったことがねえ! どれくらい強いのか分からねえから、ヤバそうなら滝へ向かえ!」
「嫌です!」
「はっ?」
「逃げる時も一緒ですっ!」
「ちっ……こんなときに……」
守りながら戦うのがキツいから言ってんだが、まったく伝わってねえ。
飛ばした左腕をワイヤーで引き戻したところへ、サーベルタイガーがまた地面を蹴った。
速え。
俺の横を一気に抜け、すれ違いざまに後ろ脚が後頭部へ叩き込まれる。
(こいつ、デカいだけの奴よりよっぽど面倒くせえぞ……)
頭の奥で鈍い衝撃が弾け、視界がぐにゃりと歪んだ。
(うっ……目ぇ回る……手ごえぇぇ)
なんとか振り返ると、サーベルタイガーはもう俺じゃなくミヤビへ身体を向けていた。
「ミヤビ、逃げろ!」
だがミヤビは逃げなかった。
飛び掛かってきた巨体に合わせて【ヒットアンドアウェイ】が発動し、すれ違いざまにポイズンダガーを横腹へ突き刺す。そのまま身体を捻って距離を取り、俺のほうへ駆け戻ってきた。
毒が回り始めたのか、サーベルタイガーの足元が僅かにふらつく。
「でかした!」
俺は左腕を突き出し、戦闘ギミックを飛ばした。
さっきまでなら躱されていただろうが、今度は左手がサーベルタイガーの首元をしっかり掴む。
そのままワイヤーを一気に巻き取った。
相手の身体はほとんど動かず、代わりに俺の身体が猛烈な勢いで引っ張られる。その速度を殺さず、右手の刀を喉元へ突き立てた。
「ぐぎゃあああああああ……!」
断末魔を上げたサーベルタイガーが地面へ崩れ落ち、やがて巨体ごと消えてマニーへ変わった。
「迦楼羅さん!」
「ん? ああ、大丈夫だ」
ミヤビは俺へ駆け寄るなり『ヒール』を連発してきた。もう傷らしい傷も残っていなかったので、さすがに手を止めさせる。
『よくサーベルタイガーを倒せましたね、冒険者さん』
(女の声?)
俺とミヤビ以外、誰もいなかったはずだ。
声のしたほうへ顔を上げると、木々の向こうに白い水飛沫が見えた。
探していた小さな滝だ。
流れ落ちる水の向こう、滝壺のほとりに、いつの間にか一人の女が立っている。
透き通るような白い衣を纏い、長い黒髪は腰まで真っ直ぐ流れている。裸足のまま水面に立っているように見えるのに、その足元には波紋ひとつ広がっていない。
女の周りには、滝から弾けた飛沫とは明らかに違う水の粒が浮かんでいた。いくつもの雫が重力なんぞ知らないみたいに宙へ留まり、木漏れ日を受けるたび淡い光を返している。
人間でもエルフでもねえ。
さっきまでサーベルタイガーの殺気でピリついていた森まで、その女の周りだけ妙に静かだった。
こんな場所にいて、こんな登場の仕方をする女が何者なのか。
考えるまでもない。
「……アプサラスか」




