1話 南の国の楽園
◇
『どうだい? 少しは気分が晴れたかい』
『――わかんね……なんていうんだっけ……この、なんもしたくなくなる女がムカつくやつ……』
『賢者タイム?』
『それだ。そんな感じによく似た感じだ――』
『羨ましいよ、そういうの……なんか私には、そういう感覚がないからさ』
『いやいやいや、そうでもしねーと生き残れねえだろ……この世界は……』
『そろそろ行かなきゃ、迦楼羅』
『あっ? ちょっ待て……沙羅……』
◇
「熱っつ!!」
『目覚めた! 迦楼羅さん、目が覚めたよ!!』
『マジか! ミヤビっ! 回復回復!』
『その前に結界を!』
「おわっ! なんで燃えてんの、この塔!?」
「なんでって……迦楼羅さんが燃やせって」
記憶は残っている。
確かアダムとイブとかいう、あの分かりやすいやつらを倒した……はずだ。
身体を起こそうとして、ようやく自分が五重の塔の下にいることに気づいた。目の前にはマリムがいて、ミヤビが俺の回復を続け、少し離れたところではエリーが周囲に何やら指示を飛ばしている。
「勝ったのか? 俺たちは?」
「うん! 勝ったよ。助かったんだよ、みんな」
「最後、マリムがたしか――?」
「へへへ……最後だけね」
「そうか……ありがとう」
回復のおかげで身体は動くようになっていたが、全身の奥に残った重い痛みまでは消えないらしい。
「エリー、みんなは? 俺はどれくらい寝てた」
「全然追いついてないよ! 迦楼羅一人で行っちゃうし。寝てたのは三十分くらい? こっちもバタバタしてるから肌感だけど」
「とりあえず、ここは熱いな」
「いやいや、燃やせって言ったの、迦楼羅でしょ!」
「そんなこと言ったっけ?」
「おーい! 迦楼羅〜! 倒したのかー!」
言い合っているところへ、空からリリーが飛んできた。
こちらも無事というわけではなかった。
話を聞くと、東西の連合軍だけで数千人が死んだらしい。アダムやイブほどではなくても南地区の人間は全体的に戦闘能力が高く、各地でかなり苦戦していたようだ。
ただ、今のところ目立った場所に南地区の人間はほとんど残っていない。【家畜】として扱われていた東西の人間についても、おおよその確認と選別は終わっているらしかった。
「これで……良かったんだよね?」
ミヤビはいつもの調子とは違って、声が少し沈んでいる。
「僕は家畜にされた人たちも見てきたから、悪くないと思うよ。精神壊れちゃってる人もいたもん」
「やられたらやり返す! これ常識でしょ?迦楼羅のやったことは間違いじゃないって」
「私は必死についてきただけだから、よくわかんないや! 着いたらそのアダムって人も倒れちゃってたし」
『迦楼羅……最高の夜だったよ……じゃあ私しゃ、これで……』
俺を僅かに覆っていたドス黒い影は、ゆっくりと風に流され消えてゆく。
バキバキと大きな音を立てて崩れ去る五重の塔の炎をずっと俺は眺めていた。
◇
五重の塔が焼け落ちてからしばらく、南地区は戦争の後始末だけで手いっぱいだった。
助け出した人間の行き先を決め、使える建物を確認しながら、東西へ戻る者と南に残る者を分けていく。元五重の塔の周辺には会議や宿泊に使われていた施設が多く残っていたため、俺とリリー、マリムを中心に管理し、先へ挑戦を続けたい冒険者やリタイア組、それから繁殖のできるモンスターを残すことにした。
その後も、五重の塔近くにある見覚えのある建物から、新しい人間が何人も現れた。
天才と呼ばれていた連中だ。
どんな化け物が送り込まれてくるのかと思っていたが、少なくとも新しく来た奴らは初心者の町で見てきた連中と大して変わらなかった。
初めて見る世界に驚き、冒険を楽しみ、中には戦うことより物を作ったり調べたりすることに夢中になる奴までいる。
最初から中央の人間を【家畜】としか見ていない連中ばかりだったわけではないらしい。
なら、いつからあんなことになったのか。
それを調べ始めたのがリリーだった。
南地区には異様なほど本が多い。
歴史、医学、数学、哲学、経済、心理学に加え、過去にここへ来た人間が現実で覚えていた知識を書き残したものまで大量に残っている。
「迦楼羅〜、これ面白いぞ」
「嫌だよ。字ばっかじゃねーか」
「本なんだから当たり前だろ」
暇さえあればそんなものを読み漁っていたリリーによると、昔の南地区は中央から来た人間とも普通に交流していたらしい。
ここへ辿り着いた者を受け入れ、そのまま南で家庭を持った人間までいた。
だが何十年も交流が続くうちに、南の暮らしを古臭いと馬鹿にし、もっと便利にしろと要求する者や、盗み、酒に酔って暴れる者まで現れた。
「もちろん全員じゃない。でも同じような揉め事が何度も続けば、外から来る奴を見る目も変わるだろ」
「それで家畜まで行くか?」
「何百年もあれば行くんじゃない?」
「嫌な進化だな」
もう一つ分かったのは、南の連中が文明を発展させられなかったわけではないということだった。
遠くの相手と話す道具も、大勢で情報を共有する仕組みも、生活をもっと便利にする技術も考えられていた。ただ、作らなかった。
「便利になれば、もっと便利なものが欲しくなる。他人の暮らしが見えれば比べるようになるし、誰かに認められることへ価値が生まれれば競争も始まる。そう考えていた時期があったみたいだね」
「面倒くせえ奴らだな」
「でも僕は少し分かるよ。ここにいる人間は歳を取らないからね」
中央に現れた俺たちには十年という期限がある。
だが南地区で生まれた人間には、それすらない。
十年後に死ぬこともなければ、そのまま老いて寿命を迎えることもない。
だったら必要以上に豊かにならず、人口も増やさず、自分たちが望む暮らしだけを続ければいい。
南地区は、そうやって長い時間を生きるために作られた社会だったのかもしれない。
ただ、外から来る人間への扱いだけは少しずつ変わっていった。
仲間だったものが、招かれざる客になり、最後には【家畜】になった。
「頭が良くても、人間の嫌なところまで消えるわけじゃないんだろうね」
「まあ、そりゃそうだろ」
「他人より上にいたいとか、自分より下の相手を作って安心したいとかさ。そういうものを南の中へ向ける代わりに、外から来た人間へ向けるようになったんじゃないかな」
そのおかげで内部では大きな争いを避け、文明も人口も必要以上に膨らませない社会が長く続いた。
最初からそういう国を作ろうとしたのか、何百年もかけてそうなっただけなのか。
そこまでは、リリーにも分からないらしい。
「……アホじゃねーの?」
一通り聞かされた俺の感想は、それだけだった。
「僕もそう思うよ」
「結局それで俺たちに攻め込まれて、国ごとぶっ壊されてんじゃねーか」
「そうなんだよなぁ」
リリーは笑いながら本を閉じた。
「でもさ、迦楼羅。幸せってなんなんだろうな?」
「……知らねー」
そういえば、塔が燃えていた時にミヤビも似たようなことを聞いていた。
『これで……良かったんだよね?』
あの時も答えなかった。
敵がいるなら倒す。勝てないなら逃げる。必要なら町を作るし、使えるものなら魔王でも精霊でも頼る。
それが正しいかなんて知らねえ。
ただ、生き残るためだ。




