第92話:お兄様と、はじめての買い食いデート
「オリカを街へ連れ出すだと!? 絶対に駄目だ! あの子が一度どんな危険な目に遭ったか、忘れたわけではあるまい!」
出発の日の朝、屋敷のエントランスにはお父様の悲鳴にも似た怒声が響き渡っていた。
お母様も青ざめた顔でハンカチを胸元に押し当て、今にも泣き出しそうに私を抱きしめている。
「そうですわ、ルファス。オリカはまだ7歳……あの誘拐未遂の恐怖を思えば、屋敷の外に出すなんてとても考えられません!」
あの事件以来、両親の過保護ぶりは天井知らずだ。
そんな二人の前に、いつもより動きやすいお出かけ着を着たお兄様が、すっと一歩進み出て胸を張った。
「父上、母上。お二人の心配は痛いほど分かります。ですが、オリカはずっと屋敷の中で厳しい勉強とマナーの特訓を頑張ってきました。今日くらい息抜きをさせてあげたいのです」
お兄様は腰の魔導剣に手を添え、真剣な眼差しで両親を見つめ返す。
「僕を誰だと思っているのですか。王立魔導学院で首席を争う、このルファスですよ。僕の命に代えても、オリカの髪の毛一本触れさせません。護衛の精鋭も影に潜ませています。どうか、僕に妹を預けてください!」
お兄様の気迫のこもった説得と、私の「お父様、お母様、行ってみたいの……」という必死のおねだり攻撃に、ついに両親が折れた。
「……日没前には必ず帰ること。少しでも怪しい気配がしたら、即座に転移札を使うんだぞ」
「オリカ、ルファスから絶対に手を離しては駄目ですからね……!」
涙目で見送る両親と、お留守番のノワールに手を振って、私たちはようやく馬車へと乗り込んだのだった。
◇
馬車が到着したのは、活気あふれる中央市場。
石畳の道の両脇には色とりどりの天幕が並び、商人たちの威勢のいい掛け声と、香ばしい匂いがふわりと漂ってくる。
「すごい……! 屋敷の窓から見るよりずっと賑やか!」
「ふふ、驚いたかい? 今日はオリカの好きなものをなんでもご馳走するからね。僕から離れちゃ駄目だよ」
お兄様は私の小さな手をしっかりと握り、人混みにぶつからないよう優しくエスコートしてくれた。
連れてこられたのは、もくもくと甘辛い煙を上げる串焼きの屋台だ。
「おじさん、この『ポム鳥の串焼き』を二本ちょうだい」
「へい、毎度! お兄ちゃん、可愛い妹さん連れだねぇ。焼きたてだよ!」
香ばしく炙られたお肉に、特製の果実ダレがたっぷり絡められた串焼きを受け取る。
公爵家のお食事ではカトラリーを使うのが当たり前だったけれど、こうして外で、串から直接お肉にかぶりつくのは前世以来だ。
(うわぁ……! お行儀はちょっと悪いかもしれないけど、これが美味しいんだよね……!)
ふうふうと息を吹きかけ、小さく一口かじる。
「――んんっ! お肉がすっごく柔らかくて、タレが甘じょっぱくて美味しいです!」
「あはは、オリカの口の端にタレがついてるよ」
お兄様はハンカチを取り出すと、愛おしそうに私の口元をトントンと拭ってくれた。
「オリカが喜んでくれてよかった。まだまだ美味しいものはたくさんあるよ。次はあそこの焼き菓子のお店に行こうか!」
両親の重すぎる愛とお兄様の頼もしい背中に守られながら、私の楽しい買い食いツアーが始まったのだった。




