第42話:冷徹なる絶望と、漆黒の怒り
ポトン……と、静かな試着室に小さな靴が落ちる音が響いた。
「……オリカ……?」
お母様の声が、小さく震える。
カーテンを開けた先にあったのは、からっぽの台座と、
不自然に少しだけズレている背後の大きな姿見(鏡)だけだった。
「母上……? どうされたのです……」
お兄様が不審に思って覗き込み――その瞬間、顔から一切の血の気が引いた。
「……オリ、カ……? おい、冗談だろ……?
オリカ!! どこだオリカ!!」
天才と謳われるお兄様の声が、見たこともないほど荒々しく裏返る。
試着室の壁を叩き、姿見を引っ張るが、カラクリはすでにロックされ動かない。
「……どうした。騒がしいぞ」
奥のソファで優雅にお茶を飲んでいたお父様が、
眉をひそめて立ち上がり、試着室へと歩み寄ってきた。
しかし、誰もいない試着室と、青ざめた妻と息子の姿を見た瞬間――。
ゴオッ……!!
店内全てのガラス窓が、一瞬でバリバリと不気味なヒビを刻んだ。
お父様の全身から湧き出たのは、国を一つ滅ぼしかねないほどの凶悪な威圧感。
「……店主。これは、どういうことだ」
お父様の声は、氷のように冷たく、地獄の底から響くようだった。
レグランディア皇国の宰相として、数々の敵を血祭りにあげてきた「鉄血の公爵」の真の姿。
「ひっ……! ひいぃぃっ!?」
レジの奥にいた店主は、お父様の殺気だけで腰を抜かし、ガタガタと震え上がった。
「答えろ。我が愛娘はどこへ消えた。
……1秒以内に吐かねば、貴様の首を胴体から切り離す」
「た、助けてくれぇ! 奴隷商人だ! 大金を積まれて、姿見の抜け道を貸しただけなんだ!
今頃はもう、地下道から王都の外へ運ばれて……ぎゃあああっ!?」
言い終わる前に、お父様の鋭い視線だけで店主の肩が焼き斬られるような衝撃が走る。
「……ルファス。皇国騎士団を全軍動員しろ。王都のすべての門を封鎖。
蟻一匹、外へ出すな」
「はい、父上……! オリカに髪の毛一本分でも傷がついていたら、後悔すらできないくらい叩き潰してやる……!」
「エレノア、お前は屋敷へ戻り――」
「いいえ、ギルバート!!」
お母様が血走った瞳で、お父様の言葉を遮った。
社交界の女王と呼ばれた気品は消え去り、そこにあったのは愛娘を奪われた「怒れる母」の凄惨な顔だった。
「私も行きます! 私達の大切な宝物を奪っておいて、タダで済むと思わせませんわ!
生きていたことを後悔させてやります!!」
こうして、公爵家の「最恐の家族」による、
容赦なき怒りの大追跡が始まったのだった。




