第104話:先生の準備と、扇の秘密
「では本日は、女性の社交における必須嗜好――『扇の扱い方』と、そこに込められた暗号について実践を行いましょう」
エリアス先生がすっと取り出したのは、上品なレースと繊細な骨組みで飾られた高級な扇だった。
私は思わず目を見開き、先生の顔と扇を交互に見つめてしまった。
「あの……エリアス先生? 失礼ですけれど、先生は男性ですよね……? 扇の使い分けや、女性特有のマナーまで詳しく知っていらっしゃるんですか!?」
「ええ。私自身は女性の社交界に加わることはありませんが、オリカ様の家庭教師をお引き受けした時から、必要な知識はすべて網羅できるよう勉強を重ねてまいりました」
先生は少しだけ気恥ずかしそうに咳払いをして、眼鏡のブリッジを押し上げた。
「以前教えていた下級貴族や平民のお子様方には必要のない嗜みでしたが……公爵家のお嬢様をお教えする以上、教える側に抜けがあってはなりませんからね。淑女の使う扇の角度、開き方、さらには『拒絶』や『好意』を示す視線と扇の位置関係まで、資料をかき集めて頭に叩き込みました」
「先生……! 私のためにそこまで準備してくださっていたんですね……!」
(先生の真面目さと責任感がすごすぎる……! 本当にいい先生に巡り会えたなぁ)
先生は手元の資料で確認しながら、優雅に扇を開いて見せた。少しぎこちなさはあるものの、完璧に動作を再現している。
「例えばオリカ様。夜会で不快な相手から話しかけられた際、直接断るのは角が立ちます。ですが、このように扇を半開きにして胸元で素早くパタパタと仰ぐと……」
「『あなたに裂く時間はありません』という拒絶のサインになるんですね!」
「正解です。逆に、好意的な挨拶であれば、扇を軽く閉じたまま右頬にそっと添える。……どうです?」
「すごいです! 言葉を使わなくても、そんなにたくさんの意思表示ができるなんて……まるで暗号解読みたいで面白いです!」
先生の熱心な教えに、私は前世の探求心をくすぐられて目を輝かせた。
「ふふ、楽しんでいただけて何よりです。さあオリカ様、実際に扇を持って試してみましょう。公爵家の令嬢として、どんな相手にも優雅に対応できるよう、一緒に練習しましょうね」
「はい、先生!」
私のために一生懸命準備してくれた先生の期待に応えるためにも、私はますます気合いを入れて扇を手に取るのだった。




