非認識個体
ーーーさて、どうしたものか。僕は思案に暮れていた。本来なら宿賃に関してはすぐに気付くはずなのだろうが、今の今まで頭をよぎりもしなかった。
「ラムダ…………ど、ど、どうしよ…」
『落ち着いて下さい、カナト。対処法はいくつかあります』
おお、さすがラムダさん。聞かせてくれ、その対処法とやらを。
『まず、一つ目ですが……、幻覚附与スキルを使用し、小石などの小さな物体をこの世界の硬貨に変える方法です』
いやいや、それは犯罪だろ!
「そ、それはマズいよ。バレたらこの村に帰ってこれなくなるじゃないか!」
というか、そんな悪どいことをしたくないぞ、僕は。正規ルートじゃなくてもせっかく異世界に来たんだ。けして格好良くなくてもいいーーでも、格好悪くはなりたくないんだ。
『そうですね、一応一つの対処法として提案したまでです。充電を考えればカナトにもワタクシにもあまり時間がありませんので』
たしかにそうだ。ということは他の提案はおそらく宿賃分働くとかそんなとこだろう。
「とにかく女将さんに相談してみるか」
『それが良いでしょう、まあいざとなればワタクシが先程の方法で硬貨を用意しますので』
いや、だからそれはいいって!ホントにこいつが元神だったのか怪しくなってきたな。
僕は呆れ気味に扉に向かい、頭の中で女将さんにどう言おうか考えを巡らせた。
階段を降り一階に向かうと、辺りに美味しそうな香りが漂ってくる。そういえば僕、昨日から何も食べていない。
「お腹空いたな…」
『そうですね、睡眠を取った事で体力は回復したようですが、空腹状態も良くはありません』
ラムダがそう言って何か食べるよう指示を出してきた。
ーーーこいつ、今から宿賃をどうしようかって話したのに、何か食べろだって?
僕は無視してそのまま一階に向かった。テーブルには何組かの客が朝の食事を取っていた。
女将さんは忙しそうに注文を取ったり、出来上がった料理を運んだりしている。
カウンターの端に立つ僕には気付く素振りもなく、どうしたものかと立ち尽くしていた。
「参ったな…」
僕は仕方なく空いた席に座り、一旦店が落ち着くまで待つことにした。
「ねえ、ラムダ。昨日から思ってたんだけど、ここの人達、僕のこと気にしなさすぎじゃない?」
確かに僕は皆が振り返るようなイケメンでもないし、目立つ体格でもない。それでもこの中世の雰囲気の中、黒いスーツのスラックスに白シャツ、耳にはイヤホンまでしているというのに誰も気にも止めていない。
『そうですね。カナトの服装はこの世界では馴染みのないものですから、人目につく方だと思いますが…鑑定しますか?』
か、かか、鑑定?うおお、それは異世界チートでもお約束のスキルじゃないか!
ーーでも
「充電は大丈夫なの?」
『大丈夫、とは言えません。昨日のステータス画面からワタクシのスキル使用によるエネルギー減少率も確認していますが………』
ラムダによると鑑定スキルの使用は、内容にもよるが、最大7%ものエネルギーが減少するらしい。
「そ、それはやめとこう」
今後を考えれば7%の電力消費は致命的になりかねない。
『あ、女将がこちらに向かってきます』
ラムダに言われ振り返ると、確かにこっちに向かってくる女将さんが見えた。ラムダは僕の視界を通してこの世界を見ているのかと思ったが、どうやら違うみたいだ。
(コイツ、まだ何か隠してるのか?)
僕は問い詰めたかったが、もうそこまで女将さんが近づいてきていた。
「あ、女将さん!」
僕が声をかけると、女将さんはビクッと肩を震わせ持っていた料理を落としかけた。
「うわぁ、ビックリした!ちょっといきなり声かけないでよ!せっかくの料理が台無しになるとこじゃない!」
「ああ、ご、ごめんなさい。そんなつもりは…」
「まあ、大丈夫だったからいいわ。それで?朝食の注文?それならちょっと待ってね」
女将さんはそう言って、手にした料理を注文客の元へ運んでいった。
「僕、そんな大きな声を出したつもりはなかったんだけど、悪いことしちゃったな」
『というよりも、彼女はカナトの存在に声をかけられる直前まで全く気がついていなかったような反応です』
え?
どういうことーー
『これは推測ですが、カナト。あなたはこの世界の住人にその存在を認識されにくいのかもしれません』
いやいや、それはおかしいでしょ。
「だって、今だってちゃんと話は出来てたし、リオは向こうから僕に話しかけてきたじゃないか」
『それは……鑑定をしていないので確実な事は言えませんが、何か条件のようなものがあると推測されます』
僕らがやりとりをしていると、女将さんが料理を提供し終えこちらに戻ってきた。先程驚かせてしまったこともあり、僕は無言で彼女がくるのを待った。
女将さんは僕のすぐ横まで来るとーー
ーーまるで僕が見えていないかのように素通りし、カウンターの中に入っていった。
「え?」
『こういうことです』
ど、どういうことぉ!?
『やはりカナト、あなたは彼女からは見えていない可能性があります。もしくは認識しにくい、記憶に残りづらいということかもしれません』
それは鑑定しなければ分からないとラムダは言ったが、それでも条件の一つは推測できたようだった。
『おそらくカナトから話しかけることで、この世界の住人は初めてカナトを認識出来ると思われます。さらに関わりの弱い人間には、短時間しか記憶に残りづらいとも推測できます』
な、なんでそんなーー、僕が正規のルートでこの世界に来なかった影響なのか?
『もしかしたら、そうかもしれません。やはり鑑定で理由を探りますか?』
「理由が分かったら直るもんなの?」
『どうでしょう。鑑定スキルはワタクシの得意な分野ではありませんので、確実に正しい答えが出るとは限りませんしーー』
そうでした。
ラムダの得意分野は音だもんね。
『それでもワタクシの鑑定の正答率はそれほど低くはないと思いますが』
「いや、それでもやめとくよ。確かに理由が知りたい気もするけど、それは充電した後でもいいと思う。それに、リオの件はどういうこと?彼女は向こうから話しかけて来たよね?」
僕の記憶違いか?あの時、本当は僕の方から話しかけたんだっけ?
『いや、あの時は確かにリオから話しかけてきました。ですから他に別の条件があるのでしょう』
さすがにこれ以上は鑑定を使用しないことには、ラムダにも分からないという。
「……ねえ、ラムダ。これってさ、僕がこのまま何も言わずに宿を出て行ったらどうなるの?」
いや、悪いことはしたくない。するつもりもない。ただ、僕は誰からも認識されていないんだ。こんな考えだって脳裏をよぎるさ。
『女将、および村人の記憶からは、カナトという存在自体が“最初からいなかったもの”として処理される可能性が極めて高いです。つまり――』
「つまり?」
『合法、とは言えませんが、完全犯罪による無銭宿泊が成立します。現在のパワー残量を鑑みれば、推奨せざるを得ないほど効率的な選択肢です』
コ、コイツ…あっさり言ってのけたな。
「もう!元神かもしれないなら犯罪を推奨しないでよ!」
『カ、カナトが言ったのではありませんか』
それはそうなのだがーー
いくら僕が仕様外のバグみたいな存在だからって、お世話になった宿を食い逃げならぬ「泊まり逃げ」するなんて寝覚めが悪すぎる。
ーーでも、僕の財布は空っぽだ。
「やっぱり、もう一度女将さんに声をかけて、正直に相談を……」
そうだよ、話しかけさえすれば、認識してもらえるんだ。別に悪意で無視されているわけじゃない。
僕がカウンターの中の女将に向かって一歩踏み出そうとした、その時だった。
――バァン!!
宿の重い木製の扉が、乱暴に押し開けられた。激しい音に、朝食を食べていた数組の客が一斉にそちらを振り返る。
「はぁ、はぁ、……カナト!」
そこに立っていたのは、息を激しく切らせたリオだった。




