『選択肢は限られています』
勢いよく開かれた扉の向こうから現れたのは、顔面が蒼白になったリオだった。額には汗を浮かべ、息を切らした様子からかなりの距離を走ってきたのが窺える。
「カナト!いる?」
リオは宿屋に入るなり僕の名前を呼んだ。
ーーーやはり間違いない。リオは僕の事をはっきりと認識している。
「リ、リオ!?どうしたのさ、そんなに慌てて」
僕がそう声をかけた瞬間、宿屋にいた皆が一斉にリオではなく僕の方を見た。
彼らのその瞬間を表現するなら、まさしくーーー
「!!!?」
ーーーという感じだ。
やっぱりラムダの言った通りなのかもしれない。どういう理由かはわからないが、僕は大多数の人間にとってかなりあやふやな存在のようだ。
リオが僕を呼び、僕が大きく宿屋中に聞こえる声で返事をしたことで、ここにいる全員に僕という存在が一気に認識されたみたいだ。
宿屋の中にざわめきが広がっていくが、それはリオがただならぬ様子だからというだけではないだろう。
(え、あんな子いた?)
(誰かしら、おかしな格好した子ね)
(リオちゃんのお友達かね?)
リオを心配する声の中に混ざって聞こえてきたのはこんな言葉だったから。
「ラ、ラムダ……」
僕は小さくラムダに声をかける。
『この認識がどの程度続くのかは分かりませんが、当然の反応がようやく現れたに過ぎません。もしリオがいる限り続くのであれば、少し面倒なことになるかもしれませんね』
リオの表情からして、ただ事でないのはすぐに分かった。普段であればこの村で起きることの無い何かが起きたに違いない。
ーーーそして、僕の予想は見事に的中した。
「リ、リオちゃん、そんなに慌ててどうしたんだい?」
「女将さん!村の外れに魔物が出たのよ!早く皆を避難させなくちゃ!」
リオのその言葉で、宿屋の中は一瞬でパニックに陥った。あちこちから悲鳴が聞こえ、逃げまどう人が現れる。
「そんなに怖がるものなのか……?」
『これは確かにおかしいですね。魔物が存在するこの世界であれば、本来ここまで取り乱す理由がありません』
ラムダも同感のようだ。ということは、ラムダの元の存在が知る世界とは、何かが食い違っているのかもしれない。まあ、その記憶自体がそもそもかなり曖昧なのだが。
ーーーもしくは
『この近辺には魔物が出にくいのではなく、本来"出るはずがない"ということなのかもしれません』
ここに来た時に通った森、小さな森ではあったが異世界ならば魔物が生息していても不思議はなかった。
だが、あそこに魔物はいない。それはラムダのサーチで確認済みだ。そう、ここに来て唯一使用したスキルだ。
僕たちは森を抜けてこの村に来たのだ。サーチの範囲内に敵意ある生命体が反応しなかったということは、この近辺には普段であれば魔物が全くいないのかもしれない。
「リオちゃん!ほ、ホントに魔物なのかい!?ここは精霊様の加護に護られているから、今まで一度だって魔物が出たことはないんだよ?」
やはりそういう理由か。
しかし、そうなるとラムダの言う通りの面倒な展開になりそうだ。
突然現れた僕と魔物ーーー当然、それを結びつけて考える人が出てくる筈だから。
「本当だよ!あれは、絶対に魔物だった…、動物なんかじゃない、多分ベアウルフだよ!」
べ、ベアウルフ?熊狼か……なんとも強そうな名前をした魔物じゃないか。熊みたいにでかい狼なのか、狼みたいに素早い熊なのか。どっちにしてもこの村の人間にはどうしようもなさそうだ。
「ラムダ、なんとかできる?」
『数にもよりますが…まあベアウルフ程度であれば充電を考えなければ、対処することは十分可能です』
ーーーよし、だったら最悪の事態は避けられそうだ。
でもあとはどう動くか、なんだよな。いくつか対応の仕方はありそうだが、僕たちはかなり制限された動きしかできない状態にある。
まずは情報収集、それからラムダに助言をしてもらうのがいいか。
「落ち着いて、リオ。そのベアウルフってやつはどこに居て、どのくらいの数なの?」
僕が問いかけると、返事はそこかしこから返ってきた。
内容は様々ーーー
お前は誰なんだ?
どこから来たんだ?
何をするつもりだ?
リオとはどういう関係なんだ?
皆が一斉に話し出し、宿屋の中は一瞬の内に騒然となった。さっきまで魔物の話をしていたはずなのに、今や皆の視線は僕に向けられていた。
「皆さん!ちょ、ちょっと待ってください!今は僕が何者かより、魔物をどうするかの方が重要なんじゃないですか!?」
僕がそう叫ぶと村人たちのざわめきは少し収まりを見せた。しかしすぐに魔物をどうするかの意見が飛び交い、先程よりも更に騒がしくなってしまった。
(ま、まいったな。こりゃ本当に今まで安全に暮らしてきたんだな)
しかし、ここで途方に暮れているわけにもいくまい。リオも困った顔でこちらを見ている。
僕は意を決したーーー
「皆さん、そのベアウルフっていうのは僕がなんとかします!だから今はリオと協力して皆を避難させて下さい!」
あーーあ、言っちゃったよ…。
充電大丈夫かなぁ?まあ、なんとかするしかないか…………。
「大丈夫だよね、ラムダ?」
僕は小声でラムダに尋ねると、帰ってきたのは不安な返答だった。
『カナト、ワタクシたちの選択肢は限られています。今はこれが最適解かと思います』
ラムダは大丈夫、とは言わなかった。
それでもやるしかない。
村人たちの視線が僕に集まる。
期待、不安、疑念――その全てが入り混じったような目だった。
でも、ベアウルフをなんとかできれば、この状況を少しは変えられるかもしれない。
もちろん僕自身、本当にどうにかできるのかなんて分からない。
だって、この世界に来てからまだ一日も経っていないんだ。
ーーーそれなのに、僕は今から魔物と戦おうとしている。
その相手はベアウルフーーー熊だか狼だか分からん名前だが、どうせたいしたやつじゃないはずだ!
僕は自らにそう言い聞かせて恐怖を押し殺し、その決意が揺らぐ前に宿屋の扉へ向かって歩きだした。




