村の日常と、見えない重さ
村の中央には広場があり、そこからどこにでも行けるとリオは言った。
僕はまず何をすべきかもわからないまま、ただ周りを見渡していた。
こうして改めて見ると、人里には思っていたよりもずっと心地よく響く音が多い。
家と家の間を抜ける風の音。
どこかで鳴る金属音。
遠くで子どもが笑って、すぐに叱られる声。
草原や森とは、まるで別の世界だった。
「異世界……か、あまり現実と変わらないな」
もちろん原風景と重なるわけではないのだが、別世界という異質さがない。昔の西洋はこんな感じなのかな、と僕には感じられた。
周りの風景に気を取られていると、リオがしびれを切らして声をかけてきた。
「ねえ、ちょっとつきあってよ」
彼女はいたずらっ子のような笑みを浮かべて僕の袖を引っ張りながらそう言った。
ま、まあ村の様子も分かるだろうし、今は彼女についていこう。
「こっちだよ。井戸は村の外れにあるから」
リオはそう言って、迷いなく先を歩く。
足取りが軽い。
この村の道を、目を閉じてでも歩けそうな雰囲気だ。
着いた先の井戸のそばには、すでに人影があった。
リオよりは大分年上とおぼしき女性と、小さな子どもが二人。
女性は桶を引き上げようとして、途中で一度、手を止める。
「あ」
小さく声が漏れた。
桶はまだ半分も上がっていない。
次の瞬間、リオが自然に前へ出る。
「貸して」
言葉は短くて、柔らかい。
しかしながら、それはほとんど反射みたいな動きだった。
女性が何か言う前に、リオは桶に手を伸ばし――
ふっと、空気が揺れた気がした。
目に見えるほどじゃない。
でも、確かに“何か”が変わった。
桶が、すっと軽くなる。
水面がわずかに揺れて、濁りが消えた。
「……ありがとう」
女性は一瞬きょとんとして、それから頭を下げた。
子どもたちは、目を丸くしてリオを見る。
「すごーい」
「ねえ、どうやったの?」
リオは少し困ったように笑って、首を振る。
「たいしたことじゃないよ。ちょっと楽になるだけ」
そう言って、また桶を引き上げる。
今度は止まらない。
周りの村人たちは、誰も驚かない。
拍手も、ざわめきもない。
ただ、ちらっと視線を向けて、すぐに自分の作業に戻る。
――あ。
その反応が、妙に引っかかった。
特別なことをしたはずなのに、
特別扱いされていない。
でも、無視もされていない。
なんというか……
「あると助かるもの」として、自然に組み込まれている感じ。
『……環境下において、有意な支援行動と判断されます』
耳の奥で、ラムダの声が淡々と響いた。
「……どういう意味だよ」
『対象地域における生活行動の補助として、一定の価値を持つ、という意味です』
分かるような、分からないような言い方だった。
たぶん、ラムダはちゃんと説明している。
でも、僕の中でまだ整理できていない。
ただ一つだけ、はっきりしていることがある。
――リオがやったことで、みんなが助かっている。
それは間違いない。
水を運ぶ女性は、明らかに楽そうだったし、子どもたちも安心した顔をしている。
良いことだ。
何も悪くない。
……なのに。
リオが桶を運び終えたあとも、
その場を離れようとしないのが気になった。
「次は畑の方だよね?」
誰かがそう言うと、リオは頷く。
「うん。今日、腰痛めてる人いるって聞いたから」
“聞いたから”。
頼まれたわけじゃない。
約束したわけでもない。
それでも、行く。
「……毎日?」
気づいたら、口に出ていた。
リオが振り返る。
「え?」
「いや、その……こういう事、毎日やってるのかなって」
一瞬だけ、リオは考える顔をした。
「毎日じゃないよ。でも、できる時は」
それだけ。
誇らしげでもなく、重たくもなく、
本当に、それだけの理由。
僕は何も言えなくなった。
否定できない。
止める理由も見つからない。
だって、みんなが助かっているんだから。
ラムダが、また静かに言う。
『彼女の行動は、村内における役割として定着している可能性があります』
「役割……?」
『継続的に期待される支援、という意味です』
期待。
その言葉が、胸の奥に引っかかった。
リオは軽い。
動きも、言葉も、表情も。
でも、その軽さが、
少しずつ積み重なっていくものだとしたら。
――誰が、それを背負うんだ?
その問いは、まだ形にならない。
でも、確かにそこにあった。
だからその時の僕は、ただ、胸の奥が少し重い理由を、まだ言葉にできずにいただけだった。




