エネルギー残量0
ベアウルフの鋭い眼光が僕を捉えた。
「あわわわわわ…」
僕はペタン、と尻餅をついて後退りする。
ベアウルフは足をプルプルと震わせながらも、ゆっくりとその大きな体躯を起こし戦闘態勢を整える。
姿勢を低く構え、その目には強い怒りが滲んでいた。
あーーー、やっちまったーー!
完璧とは言えないまでも、ラムダの作戦は間違いなく成功していた。僕が馬鹿をやらなければ、もう止めを刺すだけだった。
それなのに僕は、自ら奴の射程内に飛び込んでしまったのだ。
ベアウルフはあのイタチのような小動物に飛びかかったときのように、少しずつ後肢に体重を掛けていく。
ーーーあ、死んだな
この間合いをあのスピードで詰められたら、いくらラムダでもどうしようもないだろう。
ベアウルフが僕に飛びかかろうと、グッと後肢に力を込めたその時ーーー
ガクンッッ
奴は態勢を崩し再び倒れこんだ。
「た、助かった…」
『まだ助かってはいません、カナト。不用意にベアウルフに近づくなど自殺行為ですよ』
全く反論の余地はない。
「ごめん、ラムダ。今からでも倒せる?」
『スキル《鳴音》の効果は十分あります。しかし最大効果範囲に入れなかったので、《身体強化》でカナトが渡り合えるかは疑問です』
ま、マジか。となるとーーー
『充電が心配ではありますが、これも想定内です。特殊スキル《自動戦闘》をエネルギー残量1%まで使用し撃破します』
ーーーオートバトルモード
これは今の僕には終わった後の負荷が大きすぎる、とラムダが言っていたスキル。
まあそれでも死ぬよりはマシだ。
目の前ではもうベアウルフの奴が身体をおこそうともがき始めている。
「使える時間はどのくらいなの?」
『エネルギー残量から換算すると8秒で残り1%となる計算です』
は、8秒か…ホントに倒せるのか?
『それだけあれば十分勝機はあります』
「分かったよ、ラムダやってくれ!」
『承認しました。特殊スキル《自動戦闘》を実行します』
そうラムダが言った瞬間、僕の意識はもやがかかったように濁り、景色から全ての色が無くなった。
まるで白黒テレビを見ているような感覚だが、それも判然とはしない。
身体が動き始めたが自分ではそれが全く分からず、意識は完全にラムダがコントロールしているようだった。
次の瞬間、僕はベアウルフに向かって走り出した。それを僕の意識は俯瞰で見ているような感覚だ。腰のベルトに差した借りてきたナイフを取り出すと、そのままベアウルフに突撃する。
ベアウルフは必死に力を振り絞って、僕に最後の抵抗をしようと立ち上がった。
『7秒』
ベアウルフが前肢を大きく振り上げ、その鋭い爪先で僕に狙いを定める。
『6秒』
ゴウンッッ!!
風を切り裂くような轟音と共に振り下ろされたベアウルフの前肢を、僕は半歩身を引くだけで紙一重にかわす。ラムダは完璧に計算された、最小限の負担で動いている。
『5秒』
僕は更に一歩後ろに引き、ベアウルフとの間にわずかな空間を作る。
すると奴はここぞとばかりに身を沈め、突進の構えを取る。
『4秒』
その瞬間ーーー僕は爆発的なダッシュ力で、一気にベアウルフとの間合いを詰めた。
『3秒』
ベアウルフの目に明らかな困惑が浮かぶ。
だが、ラムダの意図に気付いた頃にはもう遅い。すでに突撃の勢いは止められるわけもなく、後肢を蹴りだし無防備な喉元を晒しながら奴は僕の方へと飛び込んできた。
『2秒』
あまりに僕が近すぎて、ベアウルフは自分の身体をコントロールできない。
僕はナイフの切っ先をベアウルフの喉元へ向け、腕と足でグッと踏ん張りをきかせた。
『1秒』
グシャアッ!
飛び込んできたベアウルフの喉元に僕のナイフが吸い込まれ、奴の勢いでそれは深々と突き刺さった。
『0秒。ベアウルフの心肺停止を確認、《自動戦闘》を解除します』
勝ったーーーの?
当然だが、僕には全く実感がない。
『ご苦労様でした、カナト。作戦終了、ベアウルフ討伐に成功しましたよ』
ラムダの声がいつもより少し温かみを帯びたように感じ、ようやく僕は心の底から安堵した。そして身体中の力が抜け、その場でへたり込んだその時だった。
ビキィィィッッ!
《自動戦闘》の反動で今まで聞いたこともない音が身体から発せられ、僕はもんどり打って転げ回った。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーー」
僕は声にならない声を上げ、僕はその場で気を失いかけた。
『カ、カナト!?カナト!?今気を失うのは非常にマズいです!もう充電が1%しかないのですよ!』
わ、分かってる!
でもこの痛みーーーい、1%ってどのくらい休む余裕があるんだ?正直しばらくは動けそうもないんだけど…。
『何事もなければ1時間は問題ないと思いますが、今は何が起きるか予測できません。できれば早めにベアウルフの核から魔石を回収することを推奨します』
「マ、マジで?」
『大マジです』
こ、このーー、鬼畜イヤホンめ!と一瞬怒りが沸いたが、僕のせいで本来《身体強化》で止めを刺す予定が《自動戦闘》になってしまったのだ。
僕には文句を言う資格がない。
『ワタクシはエネルギー残量が0になれば、カナトの生命エネルギーを消費しての稼働を自動的に始めてしまいます』
確かにそんなことを言っていたな。僕にはステータスがないから、どの程度生命エネルギーが減ると本当にマズいのかという指標がないのは怖い。
「分かったよ、ラムダ」
僕はそう言って重い腰を起こし、倒れたベアウルフから魔石を回収しようと立ち上がった。
その瞬間ーーー
ビーー、ビーー、ビーー
頭の中に激しい警告音が鳴り響いた。
「うわぁぁぁああ!な、なんだよ、これ!?」
『エネルギー残量0、エネルギー残量0、これより宿主の生命エネルギーの消費による稼働に移行します』
確かにラムダの声だったが、これはいつも以上に機械音の要素が強く、さらには不協和音のような不快感があった。
『カ、カナト…急い…でくだ…さい』
繰り返される警告の中にいつものラムダの声が混じる。
な、なんで?一時間は大丈夫なんじゃなかったの?
『ワ、ワタ……計算…、ミ、ミスがあ…り』
な、なんだ?
警告音が大きくてよく聞こえないが、魔石を回収すればいいのは間違いないはずだ。
大丈夫、ベアウルフの死骸は目の前にあるのだから魔石さえ手に出来れば……
僕が一歩踏み出すとーー
ーーガクン
僕は一気に血の気が引き、糸が切れたように膝から崩れ落ちた。
「え?な、なんだよ、これ」
まだ警告から一分と経ってないぞ!?
ち、力が…入らない…
こ、こんなの聞いてないぞ!?
「ク、クソッ!」
僕は力を振り絞ってベアウルフの方に目をやった。
もうすぐそこだ。なのに、動かない…頭が働かない…
「ラ、ラムダ…」
なんなんだ?《自動戦闘》の反動で身体が弱っていたのか、それともエネルギー消費がとんでもなく早かったのだろうか?
そんな、せっかくベアウルフを倒したというのにーー
ようやくこれから色んな冒険が出来ると思ったのにーー
僕は手を伸ばしてベアウルフを掴もうと必死に踠いた。
それでも伸ばしたその手がベアウルフに届くことはなく、僕の意識はそこで完全に途切れてしまったのである。




