第8話:捨てられたドレスの行方
絶望の象徴だったドレスが、リュカの言葉によって「希望の種」へと変わります。
アイリスが自らの足で立ち上がる、再起の物語が動き出します。
熱が引き、窓の外が青白い黎明に染まる頃。
私は、部屋の隅に置かれたままの「アメジストのドレス」を見つめていた。
リュカ様が朝の執務へと向かった後、私はふらつく足取りでそのドレスに歩み寄り、冷たくなったシルクサテンを指先でなぞった。
泥は乾き、銀糸のレースはほつれ、所々にセレーナたちが踏みつけた靴の跡が残っている。
(もう、終わったのよ……)
私は侍女のマーサを呼び、震える声で告げた。
「マーサ、このドレスを……捨ててちょうだい。できれば、私の目の届かない、遠い場所で」
これを持っていれば、私はいつまでも「裏切られた公爵令嬢」のまま。エドワード様を愛していた自分を、捨てきれないような気がしたのだ。
マーサは悲しそうに目を伏せ、ドレスを抱え上げた。その時、扉が勢いよく開いた。
「……何をしている」
入ってきたのは、冷気を纏ったリュカ様だった。彼はマーサの手にあるドレスと、私の青ざめた顔を交互に見て、不機嫌そうに目を細める。
「捨ててくれと頼みましたの。もう私には、相応しくないものですから」
「相応しくない? 誰が決めた」
「私が決めましたわ! こんな惨めな、過去の残骸……!」
思わず叫んだ私の肩を、リュカ様は強い力で掴んだ。
「お前は、この一針一針にどれほどの時間をかけた? どれほどの想いを込めて、この複雑な刺繍を編み上げたんだ」
「……それは……」
「このドレスが汚れているのは、お前が汚れているからではない。裏切った奴らの醜さが、この美しい布を汚しただけだ。それを、お前自身の価値と混同するな」
彼はマーサから強引にドレスを奪い返すと、私の目の前に広げて見せた。
「見ろ、アイリス。この袖口のステッチを。王都の腕利き職人でもこれほど精緻な仕事はできん。お前が絶望の中で捨てようとしているのは、お前自身の『才能』と『矜持』だ」
リュカ様の瞳は、冬の太陽のように厳しく、けれど確かな熱を帯びて私を照らしていた。
エドワード様は、私が完成させた「結果」しか見ていなかった。けれど、リュカ様は、私がそれを生み出すために費やした「魂」を見ている。
「俺の領地には、最高の機織りと染色家がいる。このドレスを洗い、解き、新しい形に生まれ変わらせろ。……捨てるのは、その後でいい」
ドレスを渡された私の腕に、ずしりとした重みが戻る。
それは、ただの布の重さではなかった。
一度は死んだ私の心が、再び脈打ち始めるための、重い、重い覚悟の重さだった。
「……はい、リュカ様。私……やってみますわ」
私は初めて、彼の目をまっすぐに見つめて微笑んだ。
泥だらけのアメジストは、まだ光を失ってはいなかった。
第8話をお読みいただきありがとうございます。
「自分の価値を混同するな」というリュカ様の言葉、痺れます……!
ドレスを直すことが、アイリスの心を直すことへと繋がっていきます。
「アイリスの刺繍が見たい!」「二人の絆が深まってきた!」と思ってくださった方は、
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次話、リュカ様との静かな、けれど甘い「沈黙の食事会」をお届けします。




