第7話:指先の温もり
極限の寒さの中で、アイリスを襲った高熱。
孤独だった彼女を救ったのは、辺境伯の「温かい手」でした。
意識の輪郭が、熱の中に溶けていく。
慣れない北方の寒さと、緊張の糸が切れたせいだろうか。あの日から無理を重ねてきた私の身体は、ついに重い熱に支配されていた。
「……あ、……ぁ……」
浅い呼吸を繰り返すたび、喉が焼けるように痛む。
暗闇の中で、過去の記憶が呪いのように蘇る。セレーナの冷ややかな嘲笑、エドワード様の背中、そして雨に濡れて重くなったアメジストのドレス。
私はうなされながら、無意識に何もない空間を掴もうと指を伸ばした。
その時、熱を孕んだ私の指先を、ひんやりとした大きな掌が包み込んだ。
「……落ち着け。ここにいる」
低く、落ち着いた声。
闇を裂いて届いたその響きに、私の心臓が小さく跳ねた。
薄目を開けると、そこには寝台の傍らに椅子を寄せ、私の手を握るリュカの姿があった。
普段の厳しい表情は影を潜め、灯火に照らされたその横顔には、祈りにも似た静謐な色が浮かんでいる。
「リュ、カ……様……? どうして……」
「黙って寝ていろ。医師が来るまで、まだ時間がかかる」
彼は空いた方の手で、冷たく湿った布を私の額に当てた。
辺境伯自らが看病するなど、王都の常識では考えられないことだ。本来なら、私は畏れ多くて辞退しなければならない。けれど、熱に浮かされた頭では、彼の手から伝わる「ひんやりとした心地よさ」を拒むことができなかった。
リュカは、私の指先を一本ずつ確かめるように、静かに、だが力強く握り直した。
魔法が使えないこの世界において、病を癒やすのは、薬と、そして何より「他者の献身」だけだ。
「……君は、なぜこれほどまでに指先を痛めている。あんなに美しい刺繍を刺す指を、これほど蔑ろにして」
彼の視線が、私の指の腹にある小さな針だこに向けられる。
それは、エドワード様のために、セレーナのために、私が何千回、何万回と針を運んできた証拠だった。誰も気づかなかった、私の小さな痛みの記録。
「それは……、喜んで、欲しかったから……」
「馬鹿な女だ。そんなことのために、自分を削る必要などなかったというのに」
リュカは吐き捨てるように言ったが、その指先が私の甲をなぞる動きは、驚くほど優しかった。
彼の指が私の節くれだった関節や、小さな傷跡を一つずつ辿っていく。
まるで、私の汚れた過去を一つずつ塗り替えてくれるかのような、丁寧な触れ合い。
愛されたくて必死だったあの頃の痛みが、彼の指先の温もりの中に溶け出していく。
私は初めて、誰かのために装うのでもなく、誰かの期待に応えるのでもなく、ただ「私自身」としてここにいて良いのだと、そう思えた。
「……側に、いてください……」
熱のせいで漏れた本音に、リュカは一瞬だけ目を見開いた。
彼は逃げようとした私の手をさらに強く握りしめ、そのまま自分の額を私の手の甲に預けた。
「……ああ。夜が明けるまで、君を離さない」
氷の瞳を持つ男がくれた、あまりにも熱い誓い。
私はその温もりに導かれるように、深い、穏やかな眠りへと落ちていった。
第7話をお読みいただきありがとうございます。
リュカ様、ついにデレの片鱗が……!
アイリスの努力の証である「指の傷」に気づいてくれるリュカの優しさに、
「もうリュカ様と幸せになって!」「指先の描写が切ない」と思ってくださった方は、
ぜひ【★★★★★】評価とブックマークをよろしくお願いいたします!
次話、熱が引いたアイリスの前に、ある「決断」が迫られます。




