第1話:毒を孕んだ刺繍
初めまして、あるいはこんにちは。
魔法のない、美しさが武器となる世界で、一人の女性が真実の愛を見つけるまでの物語を始めます。
アイリスの心の機微を、丁寧にお届けできればと思います。
豪奢なシャンデリアが放つ光が、大広間の大理石を白く焼き、香水の甘い香りと貴族たちの喧騒が渦を巻いている。
今夜の夜会は、私――アイリス・ランチェスターにとって、人生で最も輝かしい夜になるはずだった。
身に纏っているのは、半年かけて職人に仕立てさせた最高級のシルクサテンのドレスだ。色は、私の瞳と同じ深いアメジスト・パープル。デコルテを縁取るのは、職人が指先を血に染めて縫い上げたという銀糸の極細レース。動くたびに、裾に散りばめられた小粒の真珠が、夜空に瞬く星のように囁き合う。
このドレスを初めて鏡の前で合わせたとき、親友のセレーナは「アイリス、貴女が世界で一番美しいわ」と、その愛らしい桃色の唇を綻ばせて言ってくれた。私はその言葉を信じ、彼女との友情を、そして婚約者であるエドワード様との未来を、一針一針の刺繍に込めるような思いで慈しんできたのだ。
(ああ、なんて愚かだったのかしら)
扇を握る指先が、微かに震える。
喧騒を離れ、喉の渇きを癒やそうと向かったバルコニーへ続く回廊の影。そこには、あってはならない光景が広がっていた。
「……っ、セレーナ、君はなんて愛らしいんだ。アイリスのような冷たい紫ではなく、君のその、春の陽光のような金髪に触れたくて仕方がなかった」
「いけませんわ、エドワード様。……でも、アイリス様はいつも高慢で、お可哀想なエドワード様を型に嵌めようとなさる。私、貴方をお守りしたくて……」
耳に届くのは、私の婚約者であるエドワード王子の情熱的な囁きと、親友セレーナの、鈴を転がすような甘い声。
セレーナが着ているのは、私が彼女の誕生日に贈った、淡いアプリコット色のシフォンドレスだ。軽やかな生地がエドワードの腕の中でしなだれ、私の贈った真心の品が、私を裏切るための舞台装置として完成されていた。
彼女は知っていたのだ。私がエドワードを、不器用ながらもどれほど深く愛していたか。
彼女は知っていたのだ。私がこのドレスの刺繍の一針一針に、彼に相応しい王妃になるための決意を込めていたことを。
私の美しさを讃えたあの笑顔は、獲物を油断させるための毒だった。
「……ふふ、見て。この刺繍、アイリスが泣きながら縫ったんですって。滑稽だわ」
セレーナが私の贈ったドレスの裾を指先で弄び、軽蔑を込めて笑う。その瞬間、私の中で何かが、決定的な音を立てて崩れ去った。
熱い涙が込み上げそうになるのを、私は扇で口元を覆い、辛うじて堰き止める。
ここで泣き叫べば、私はただの「婚約破棄された哀れな女」として、明日からの社交界の笑い種になるだろう。
背筋を伸ばす。コルセットが私の誇りを締め上げる。
私は、ランチェスター公爵家の娘。泥を塗られて、黙って引き下がるほど安っぽい女ではない。
カツン、とヒールの音を高く鳴らし、私はあえて光の当たる場所へと歩みを進めた。
影の中に潜む、裏切り者たちの視線がこちらを向く。
「ご歓談中、失礼いたしますわ。……エドワード様、そして『愛愛しい』セレーナ」
私の声に、二人の顔から血の気が引いていく。
地獄へようこそ。貴女たちが踏みにじったこのドレスの価値を、その身を以て教えて差し上げますわ。
第1話をお読みいただき、ありがとうございます。
親友と婚約者、信じていた二人からの裏切り。アイリスの逆襲と、これから始まる新たな恋の予感に期待していただける方は、
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次話、アイリスのプライドが夜会の中心で火花を散らします。




