EP 99 死にたくなったら死ねばいい。
かつて存在した世界を模倣したこの場所。
戦前の景色と同じなのに、ところどころ違う。
東京で一番高いビルも半分に折れており、そのいたるところから煙が噴き出ている。度重なる空襲の影響か、建物は形を保っていないものが多く、その多くは都心を除いた関東平野全域に広がっている。
終焉の姿は、どこにもない。
今のところ、終焉が来る気配もない。
風が吹き荒れる中、屋上へ向かった。
忘れていた。一つのものを、一緒に見たかった。
空き缶でさえ吹っ飛びそうな風は冷たかった。
ユズの体も、冷たかった。
とはいえ、この世界で治癒しても、現実がダメであれば元も子もない。荒れ狂う川の水を、流れることのない用水路に入れていくような無意味なことしかできないのだ。
ただ少なくとも、放置はできなかった。
俺の着ていた上着でユズの体を包み、優しく抱いた。飛ばされないように。
どうしようもない俺は、ただ抱いて上を見るしかなかった。
最愛の子に、涙を見せるわけにはいかない。
もし起きたら、魔力コアがはじけ飛んだとでも言い訳しよう。
寝ている……のかわからないユズは、どこか泣いているように見えた。でも、笑っているようにも見えた。
その表情は、恐ろしいほど美しく哀しく儚い、命そのもののように感じられた。
「ユズ……」
コンクリートと冷たさと同じ手を握った。
小さくて、細くて、白い。そんな手も、もう握れなくなってしまうのか。
そんな考えがよぎるどころか、死にそうなほど脳裏に張り付いている。
いつの日か見た夢も、部屋の隅に淡く色あせて転がっている。
粗削りなこの感情も。もうユズには届かない。そう考えると、涙が滝のようにあふれて目から零れ落ちて、ついには声まで届かなく……
「……和人?」
「ユズ……ユズ!」
「どうして泣いてるの?」
「あ、えーっと、雨が……降ってきた……だけ」
何かに気づいたようなユズは囁くように言った。
「大丈夫だよ。和人。私はここにいるよ」
その言葉に、またしても涙が溢れた。
世界が終わると言うのに、一歩も動けない自分がいる。
少し、たった少しなら、後ろを向いてもいいだろうか。
ユズは俺を強く抱きしめた。彼女も泣いているようだった。
ハグの温もりと、120回愛を叫ぶ心臓と、ユズの全てを感じた。
その時間は儚く過ぎていった。
もしこれが小説ならば「刹那」と表せるだろう。
その刹那。世界は揺らめいていた。次元がもつれて、世界が歪んでいく。
遥か上空。酸素はほぼ存在しない、宇宙の方が近い場所。世界の裂け目から、そんなものが見えた。俺とユズは、気にせずハグをし続けていた。しかし、やはり目に入ってしまい、気になった。
裂け目は広がっていく。塞がることを知らずに。
『———ユズだけでも生きてくれ』
その想いは、「生き返りたい」という想いより大きく強く。声が世界へ届いたのか、世界はそれを受諾した。
白い光に包まれて消えていったユズ。
きっと世界へ戻ったのだと。そう思うと身体から力が抜け、動くことが不可能になった。
痙攣した腕は、もう何も感じない。
世界はもう動かず。この長い静寂の中に、沈黙を貫いた。風の切る音か、啜り泣きしか聞こえない。
どれくらいの時間が経ったのか分からない。沈まないように見えた夕日も、今や背中を照らしている。
ビルの最上階で見下ろす滅びた世界は、どこか美しい。
苔むしてボロくなったコンクリート、割れたガラス、海に呑まれ征く東京、生命の息吹は、再び輪廻を始めたのだ。
よく見れば知らない植物。胞子のように透明な球体がぷかぷかと浮かんんでおり、クラゲのように生きている。他にも、身体の縁をネオン管のように光らせた花や、木のように硬い幹を持ち、青っぽいゲルが包む木など、その生態系は様々であった。
終焉の気配がないのは、きっと終焉が終わったから。
そう信じると、少し気分が明るくなるような気がした。
それでも死にたい衝動は抑えられなかった。
俺が死ぬ前。最期につぶやいた独り言。
『———死にたくなったら死ねばいい』
その独り言も、要らない言葉なのか。いつか、もう成ってるかもしれない。何者かになれなくても、歌詞くらいにはなれてるかもしれない。
一歩。また一歩。
少しずつ進んで、やがて数十時間以上した後、ユズといた場所から5メートル。このビルの端。下を見れば、地面はない。あるのはガラスの壁と、遥か遠くにある地上だ。
文明の進歩で、数多の犠牲が産まれた。ただ、このビルのようにそれは積み重なって、経験となり、知恵となった。
俺は、平衡感覚を信じ、一歩。たった一歩を踏み出して。
空に身を任せた。




