EP95 乾いた記憶と、負けられない戦い
このタブレットがどうしてここにあるのか、私には分からない。
しかし。そんなことを気にしていられない。
この戦いは負けられない。
あの魔族も、どうやら終焉の力を有するようだ。
決して生かしてはおけない。
生かしてはならない。
溶けていく感情が、段々と記憶を呼び覚ます。
彼と出会う前、終焉が訪れる前、友人が、目の前で自殺する前。
清々しい朝を迎え、学校へ向かい、放課後にはカラオケやカフェなどで談笑した、忘れたくない日々。
たくさん笑って、時に喧嘩をして、でも。気づけば仲直りしている。そんな私たち。
絶えぬ戦争と、消えない芸能人の不倫報道と、相次ぐ殺人事件。
星に手を伸ばして、掴もうとしたあの時は、今思えば、全てが美しかった。
汚れているながらに、美しかった。
終焉が訪れることで、そんな日常は消えて行った。
終焉のおかげで気づけた感情も、終焉によって奪われたものも、全て、世界なのだ。
夕陽に撃ち抜かれながら電車に揺られた喧嘩した日、イヤホンから流れるもう一つの世界でさえも優しく、永遠に絶えないと思っていた。
でも、もう奪われた。
それはこの世界も同じで、きっとあの魔族を殺さねば、もっと遠くの、裏側の世界も奪われてしまう。
小さなこの命が、笑顔が、老人のゆったりとした日々が、暖かい日差しが。
何もかもが、無に帰す。そうなってしまう。
そういう未来だ。そういう運命だ。
和人が居ないと何もできない私たちもきっと、死ぬ原因は終焉だ。
そこに違いなどない。
たとえ、これで私が死んで、ミライちゃんやフィエールさん、そして和人が悲しみ続けても、私はそれでいい。
やるしかないのだ。
上空の飛行船は、大きな煙を轟音を発しながら地面へ近づいていく。
「みんな。行くよ」
「うん」
「ああ」
「「行こう」」
言葉を交わした。
瓦礫に身を隠しながら、ハンドサインのみで遠くへ向かう。
目指すは遠くの山の方。ラザニアの龍が来た方向とは逆の、緩やかな山々の方だ。
「……あれ?」
ミライが立ち止まった。
その顔は、何か重大なものに気づいたかのようで、一生懸命別の可能性にすがって、現実逃避しているように見えた。
「どうしたの?」
「……気のせいだといいんだけど、ラザニアの龍って、殺したっけ?」
「……」
記憶にはない。けれど、音も何もしない。もう死んでいる。そう思いたい。
次第に、聞こえる爆発音は二つあるかのように思えてきた。
「……近づいてない?音が」
「息を潜めろ、姿勢を低くして、瓦礫の中に隠れるんだ」
フィエールはそう言うと、少し離れたところで静かに立ち上がった。
建物が二、三軒、やっとの思いで形を保っているくらいで、それ以外には瓦礫か川か、血の滲んだ死体しかない世界を臨んだ。
まばたきをする時間の、十分の位置にも満たない速さで、遠くの街が崩壊する様子が、フィエールの美しい水色の瞳に映った。
数秒して、衝撃波が大地を揺るがす。
フィエールは、ただただその場面を見つめていた。
とても鋭い目で、勇者にふさわしい。
龍と聞き、また記憶の彼方に光が灯る。
聖天地に異変が生じたあの日。
和人が魔力コアを倒し、私が叫んで龍を知らせたあの時。
和人は首を狙った。尻尾を狙った。
殺すことを考えた。私を守ることを考えた。
「フィエールさん」
「悪いがミライ。貴様の予想は正しかった」
剣を構えたフィエールは、一点を見つめた。
大きな影が世界を隠した。
一部だけ赤くなった、あの空を隠した。
「……フィエールさん?」
ミライは、小さくつぶやいた。
冷たい風が起こすつむじ風、洗濯物に絡まる。
直後、龍の息が、龍の叫びが、頭をつんざく。
フィエールに向けて魔法を放ち、フィエールは素手で防ぐと、龍は空高く舞い上がった。
フィエールもそれに乗じて、高く跳躍し、バク転のようにして龍を蹴り上げ、遠くへ飛ばした。
私たちも慌てて外に出て、参戦すると、龍は体勢を立て直し、真っ先にこちらへ向かってくる。
確実に殺す勢いで、こんなことでは、ラザニアにも居場所が分かってしまう。
まるで銃を空へ向け、引き金を弾き続けるように、この戦いはラザニアへ居場所を知らせた。
突如としてやってきた龍に結晶となった魔法を放つ。
冷たい蒼い石英のような、魔法は、硬い龍の体を傷つけることはできなかった。
何度も何度も、繰り返し魔法を命中させても到底勝てそうにない。
フィエールの剣であれば。きっと殺せる。
私もミライも、フィエールを信じた。
そうしてフィエールはもう一度高く舞い上がり、火属性魔法や回復魔法を駆使しながら、龍の頭蓋を命中する。
その大剣の重さと、フィエールの実力は、一度で土地が傾き押し固められるほどであった。
ラザニアは、そっと3人と、死んだ龍を見つめた。
冷たい目が、記憶に焼きつく。




