EP 105 「ごめんなさい」
転移し、何とか無事に帰ってきたものの、ユズは意識を失った。
俺も全身から力が抜けた。
なぜかは。とっくのとうに分かっている。
あの、無数の腕に与えられた恐怖と、重なり合ういくつもの記憶の断片。
「あの日」何が起きたのか。その全貌はいまだつかめないでいる。言えることがあるとするならば、それはきっと、「記憶の相違」だろう。現実と理想。かつて見せられたあの日の記憶は、きっと、一部は大きく違う。
本当の過去など、見れるのだろうか。
そんなことを考えて、俺は光を見失った。
絶えず、体をぐるぐると廻り点滅するいくつもの記憶たちは手をつないでいる。
長い間忘れていたことも、いろいろと思い出してしまう。
本当の記憶か知らないが、俺はどうすればいい。
その記憶はいつか、手からそっと零れ落ち、二度と届かなくなってしまう。
きっといつか、見ることすらままならなくなるのかな。
と、数々の記憶を泣きながらかき集めた。
気が付けば病院のベッドの上、人工呼吸器と三個の点滴。
その針を避けるように、左手だけ包帯で巻かれていた。未来は紡がれた。
繰り返す負傷と治療。
ユズの体はもっているけれど、もうすぐ限界だろう。
ここが。ここが山となるだろう。
隣に眠るユズの心拍は感じられない。体も冷たい。
ベッドから降りて、ユズのベッドへ移る。
この灯火を消してはならない。
心拍がないわけじゃなく、ただ弱いだけ。ただ、不安定で、不規則で、その鼓動は小さい。
かろうじて息を食べてる彼女の手をつかんだ。まだほんのりと温かみを感じた。
終焉の力は恐ろしい。「なんでもない」と言い自殺する少年少女のように恐ろしい。
包帯の隙間から少し、ユズの肌が変色しているのがわかる。
わき腹から胸の下まで。特に肝臓のあたりや、みぞおち等といった「弱点」となる場所が黒く変色している。
まるで「生きた黒死病」のようだ。
冷たくて小さな手を静かに握っていると、後ろからドアの開く音がした。
目をやると、下を向き突っ立ったままのクレリア・シズ。彼女は、震えていた。
手に持ったタブレットを強く握り、俺のところへやってくる。
「……ごめんなさい」
と。シズは言う。
泣いてはいなかった。ただ、その表情はあまりの申し訳なさに、哀しさに、そしてこの世界の残酷さに。泣くことができないと、そう感じさせてきた。
「……大丈夫だ。俺もユズも」
目を合わせることはできなかった。
窓の外の星々は淡く揺れている。
どうやら、ここは終末病棟のようだ。
少し黙ったかと思うと、突然泣き出した。
膝から崩れ落ちて、俺の服をつかみ大声で泣き叫ぶ。
「ごめんなさい。ごめんなさい! 私のせいで! ごめんなさい!」
彼女は知っていた。
あの世界に存在したもの。
それが終わりということを。
それが命ということを。
ただひたすらに声を荒げるシズ。
背中をさすっても、泣き止む気配はない。
タブレットを落としたから、拾って差し出した。
画面が光る。
その画面に映ったのは。
——「終焉と世界」真相最新結果。
ああ。そうだ。言わなくてもわかるだろう。
彼女は俺のいない場所で、終焉の研究をし続けた。
身を滅ぼしかねないその研究をやめることはせず、世界の真実を求めたのだ。
そうして。たどり着いてしまったのか。それとも、たどり着かなかったのか。
知る余地もなければ、知る理由も、必要もない。
雨空の暗さを嫌って、縋って。
誰かのためとなれるなら、俺はなんでも捨ててやろう。
「私のせいで……二人が……」
二人。
フィエール・ラ・アストリア。ミライ。彼女らのことだ。
死ぬ際、彼女らはきっと、これまでにない苦しみを受けただろう。
ただ、それは。絶対に無駄ではなかった。
その証拠に、俺らは朝日を迎えられた。
心の底から優しい体温があることを学んで一年以上。
信じてくれたこと。
愛してくれたこと。
ともに戦ってくれたこと。
幸せを教えてくれたこと。
そのすべてが、彼女らに感謝すべきものなのだ。
「顔を。上げてくれ」
俺がそういうと、クレリアは顔を上げた。
「その謝罪は過ちだ。だって彼女らは——」
「私は! 私は……守れませんでした……」
その言葉に、言葉を飲み込む。
大切な花を、消されたという怒りも、すべて消えた。
守れなかった。そんなものは、俺の人生じゃ当たり前なのに。
なぜ、今になって。悲しみという感情がわいてくるんだよ。
どうして、守りたいものを守れないんだよ。
……どうして、俺はこんな人間なんだ。
どうして俺は生きてるんだ。
なぜ? 何のために?
なんで俺は生まれたんだ。
彼女の短くか弱い一言に、俺の心は、深く考えさせられた。
その後も続いた一言に。
「……ごめんなさい」




