EP 104 終演
ラザニアの声は途絶え、気配もなくなった。
高度魔法なはずの転移魔法。それをかなり疲弊した状態で行ったはずだ、つまり、彼女のその体内には想像を絶するほどの魔力があるといえる。
力を失っているとは言え、俺も聖天地の召喚で激しい息切れとめまい、さらには意識の喪失までしかけたのだ。
それなのに彼女は挑発をできるほどの余裕っぷりを見せた。
彼女の力はいまだ計り知れないだろう。
そんなことを考えていたが、そんな場合じゃない。
今はともかく終焉を抑えなくてはならない。
空間の裂け目には世界繊維がぎっしりと詰まり始めていくが、その広がりを抑えるだけでほとんど効果はなかった。
もうだめだ。
とりあえず母船を移動させねばならないが、ユズの救出も行わないといけない。
地面に蹲ったユズは、小さな何かを抱えていた。
目の前でひざまずき、ユズに聞いた。
「ユズ……それは……」
なんとなく見当はついている。
激しく震えるユズを、ただ見つめるだけでは居られない俺は、静かにその小さな体
眼力だけで消すのは久しぶりだ。を抱きしめた。
魔物をにらめば粉々になる。
「……私の……大切な者……」
小さな花は、踏まれればしおれて、結局そのまま枯れてしまう。
ユズが静かに抱いているそれは、言うまでもなく、青みが強くなった紫色の触手のかけら。
まぎれもない、ミライのものであった。
「もう……どこにも……いなくなっちゃった……」
泣きながらこちらを見上げるユズに、俺は言葉を飲み込んだ。
「……」
しばらくの沈黙の後、その触手は塵と化し、その「故郷」へと、還っていった。
直後に泣きわめくユズを見つめることしかできなかった。
母親の死を知ってもそれほど泣かなかった彼女が、今は転んだ幼児のように大声で泣いているのだ。
胸が痛い。
俺のせいで、また苦しむ人が出ているのだ。
それも最愛の人が。
揺れる波のように穏やかに、それでも世界は滅び行く。
ユズの持った、一枚のタブレットが淡く光る。
その画面に表示された文字は「転移を開始します」という短い一文だけであり、その文字に慈悲などなかった。
生命ですらない魔物たちに憐みの心がないように、この世界だって残酷である。
そんなこと、とっくのとうに知ったことだろう。
……
……
……ユズ。なぜ君は——
——そんなに笑顔なんだ。
その頬を伝う涙は、哀しそうに地面へしたたり、瞬く間に蒸発した。
きっと、今日が雨だったら、彼女は泣かなくて済んだのに。
ミライの名を、フィエールの名を口ずさむ。
泣いていることには気づかなかった。それ以上に苦しく哀しいから。
フィエールの最後の言葉はどんな言葉だったのだろう。
きっと、俺らの知らない言葉で、感情で。
それが「死」という感情なのだ。
二人はここにいないけれど、きっとどこかで笑ってる。
そう。ユズに言った。
「二人とも。帰ってくるの?」
「ああ。きっと。きっと帰ってくるさ」
そんな中、それでも現実は醜いものであると教えるように、一筋の声が響いた。
『命なんて戻らない』
お前は……俺を知っている、でも俺はお前を知っているのか?
突然現れるいくつもの手。そのすべてに見覚えがあった。
知らないはずの声だって、どこか懐かしかった。
いや、「知ってるべき声」なんだろうけどさ。
『全部お前のせいだ』
ノイズが走ったその声は、脳裏というより、世界に反響しているようだった。
幾つもの腕が、裂け目をさらに切り裂いて生えてくる。
強く。俺の体をつかんだ。
冷たかった。
その手は、小さいものから大きいものまで多種多様で、骨格も若干違うように感じれた。力もあって、肉付きもいい。ただそれでも、肌の色は不健康で、今すぐにでも力を失いそうなほど青白かった。
何処か細々としていた。
『和人様! ユズ様! 残り20秒で世界が———』
タブレットから息切れした声が聞こえる。
声以外に拾われた、周囲の雑音は騒がしく、決して油断できる状況ではないと物語っているようだ。
『和人。和人……和人!!!』
白い手の根元から聞こえる不気味な声。
一体何人の声が混じっているのか。分からなかった。と言うか、分かりたくなかった。
けれど、かつて、誰かに教わったことを思い出した。
『和人。前を向いて……手を伸ばして。その手は、人を守るためにあるの。未来を包むためにあるの』
小さな少女の声。だと思う。
どのような背景かまでは覚えてないが、少なくとも、何かを失った後ということは分かった。
そういえば、その時の彼女は、ひどく負傷していた気がする。それでも、彼女が愛してくれたから。俺は……
その手を握った。
今は、「その手」はユズの手になっていた。
白く細長い指先は、とても透き通っていて、何処か悲しそうに笑う。
人を守るために手を与えられたと信じて、二人で転移した。
気がつけば母船にいて、もう星は無くなっていた。
ガラスの先には、星屑か、それとも終焉か。
俺らがいた場所を中心に、終焉ごと世界を貫き通したそれは。紛れもない、世界の意思であった。




