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終章 その参(完)

 来るときは二人だった道を、今は三人で歩いている。いつも通り、前にはスオウの広い背中、右隣にはコハク。光を失った彼女の左側を少しでも守れたらと、サツキは今までより背筋を伸ばして進んで行く。

「そういえば、トキさんとスオウの話はどういうことですか?」

 前を向いたままコハクはニヤリと笑う。

「サツキはシオリとスオウが一緒にいるときに、何か不思議に思ったことはないかい?」

「……寝室に入らなかったことですか?」

「正解だ。そして、それはどうしてだと思った?」

 サツキの頬が熱くなった。結局、あの夜の女性はコハクだったが、スオウを大人の男性だと意識してしまった後では、彼の行動の意味が解ったような気がしていた。

「女性の寝室だからですか?」

 前方からスオウの笑い声が聞こえてきた。隣でもコハクが全身を震わせて笑いをこらえている。

「不正解。ほら、スオウ。答え合わせをしてやりな」

 スオウは立ち止まり、二人が追いつくのを待った。笑われて少し拗ねてしまったのに気付いたのか、サツキの頭を宥めるように撫でる。

「全くの見当外れでもないが、今回はそうじゃない。オレは十歳になるまで人里ではなくて、自然の中──獣たちの領域で暮らしていた。それと、護身のために武芸を幼い頃からやっていたこともあって、生き物の気配に敏感になった」

 それはサツキも解っている。コハクに育てられたからか、スオウは人というよりも獣に近い感覚を持っていた。

「そんなオレがシオリさんの寝室に入らなかった理由は、気持ちが悪かったからだ」

「それはちょっと、失礼じゃないですか」

 彼の口からそんな言葉が出るとは思わず、サツキは少しだけ悲しくなった。

「仕方がないだろ。目の前にいる人から生き物の気配がしないんだから」

「えっ?」

 驚きで動きが止まったサツキの体を、コハクが鼻先で押し出す。その勢いでまた歩き出しはしたが、頭の中は止まったままだ。

「アタシたちが初めて会ったときには、もう死んでたってことさ」

「えっ?」

「トキさんもそれに気付いていて、オレたちにシオリさんの未練を無くして欲しかったんだ。サヨのこれからを案じて、死んでも死にきれなかったんだろうな。それにしても、ケンタはトキさんの血を継いだんだな、コハクの正体を見破るとは」

「アタシもあれには参ったよ」

「えっ?」

「マチさんばかりに世話を任せたのは、サヨを懐かせるため。弟を呼びつけたのは、自分の遺体を捜させるため」

「えっ?」

「お使いで行かせた相手の人選も見事だったね。彼らの人脈や力があれば、あの村で生きていくのに困ることは無いからね」

「えっ?」

 混乱の極みにあるサツキを置いて、二人はどんどん会話を進めていく。この息の合い方は、さすが家族だとしか言いようが無い。二人の関係を羨んでいたのが馬鹿らしくなってきた。彼らと対等になるということは、人として何か大事なものを失うことのような気がする。

「わかりました。もういいです! あれは何だったんですか? 指輪と硝子玉」

 スオウが眉をしかめた。コハクも何か腑に落ちないことがあるのか、長い息を吐く。

「葬儀の準備の合間にサヨに聞いたんだけどね、硝子玉はシオリを助けて連れ帰ってくれた旅人にもらったんだそうだよ」

 旅人曰く、枕の下に入れておくと怪我が早く治るそうだ。

「この旅人が全ての発端だな。サツキはおかしいと思わないか?」

「何がですか?」

「シオリさんは山で気を失っていたところを助けられた。この旅人はどうして迷わずにあの山から帰ってこられたんだろうな」

 確かにそうだ。まず、旅人があの山にいた時点でおかしい。山の近くには入山を禁止する看板が立っていたはずだ。

「その旅人はどんな人なんでしょう」

 スオウが笑い出す。けれど、その笑い声はどこかうつろだ。

「大きいおじさん、だそうだ」

 身長が高いのか、体格がいいのか。それすらも判らない、簡潔な感想だ。

「これ以上の感想はないらしいよ。サヨにしてみれば、ほとんどの人が自分より大きくて年上だろうさ」

「謎を放っておくのも嫌だから、オレなりに仮説を立ててみた」

 山で亡くなったシオリの遺体に獣に食い荒らされたり、腐ったりしないように細工をしたが、これが不完全だったせいで足を噛まれ背中は腐敗を始めた。それから、旅人はシオリの思い入れが一番強そうな指輪に魂を宿らせて連れ帰り、シオリの願いを叶えるために実体を持たせた。硝子玉は恐らくそのための力の源だった。

「荒唐無稽なのはわかっているが、そんなに矛盾もないような気もしている」

「あー、すまない」

 突然、コハクが謝った。

「細工を不完全にしたのはアタシかもしれない」

「どういうことですか?」

「少し前に山を散策してるときに、実はシオリの遺体を見つけてたんだよ」

「そのときにどうして教えてくれなかったんですか!」

 サツキの頭の上に手が乗せられた。顔を上げたサツキが見たのは、困ったような表情のスオウだった。

「コハクからそれをきいたとしても、オレたちは何もできなかった。『コハクから聞きました』とは村の人たちに言えないだろ。シオリさんを見つけるのは、あの山に入れる人間でないとならなかったんだ」

「確かにそうですよね。ごめんなさい、コハク」

「気にしなくていいよ。アタシが言わなかったのは、人間のことに係わるのが面倒だっただけだからね」

「おまえな、オレがせっかく庇ってやったのに」

 スオウはため息をついて、コハクの頭をぽかりと殴る。

「それで話を戻すが、シオリを見つけたものの、周りを山犬の群れが囲んでてね。犬どもは何故か一定の距離を保って近付こうとしない。しばらくすると一頭の犬がシオリの足に噛みついたんだが、その犬は雷に撃たれたみたいにひっくり返っちまった。その後、群れがいなくなった後にシオリの体を調べようと顔を横に向けたら、口の中から例の硝子玉が落ちてきたんだよ」

「もしかして、その硝子玉が腐敗を抑えていたのか?」

「恐らくね。その後、遺体を傷つけられなかったということは、獣除けは別に施されてたみたいだね。雨にも濡れていなかったということは、獣だけじゃなくて体に触れるものを跳ね返していたのかもしれないね」

 どちらにしても、その旅人が普通の人間では無いことだけが確実だった。

「そんなことができる人っているんでしょうか」

「しゃべる犬がいるくらいだからね。いてもいいんじゃないか?」

 当人である犬に言われては否定しづらい。

 「この話はもう終わりだ」とスオウが足を速めた。

「スオウ、柘榴村から離れる前にここの林檎が食べたい」

「はっ? 次の村で買ってやるから我慢しろよ」

「嫌だね。ここのがいい。さっき道端で若い娘が売ってたろ。行李は置いて行って良いから買って来ておくれ」

「さっきって、そこを通り過ぎてから十分近く経ってるだろうが。……わかったよ。おとなしくここで待ってろ!」

 行李を乱暴に下ろして、スオウは来た道を走って戻っていく。スオウが最終的にはコハクに甘くなることが彼女の我がままを助長しているのでは、とサツキは思った。以前なら思いつきもしなかったことを考えた自分に、サツキは内心驚く。

「サツキ、ありがとう。でも、今まで通りでかまわないよ」

「何がですか?」

「片目が見えなくなっても、アタシには耳と鼻があるからね、そんなに不自由はないんだよ。多少距離感が掴めないくらいで」

 サツキの小さな決意はコハクにはお見通しだったようで、彼の頬は羞恥で赤く染まる。

「わかりました。でも、この先何か困ったことがあったら必ずボクに言ってくださいね」

「あぁ、わかったよ。ほら、スオウが戻ってきた。林檎を両手に抱えているから、行って助けておやり」

「はい!」

 とてとてと危なっかしく走っていく華奢な背中を見送り、コハクはため息をつく。

「謎の旅人ね……。スオウにサツキ、すまないね。まだ、あんたたちには教えられないことが沢山あるんだよ」


 柘榴村にいる間に、季節はすっかり秋に変わっていた。龍玉国の秋は短い。寒さ厳しい冬が来るのは間もなくで、それまでに次の目的地に着かなければならない。しかし、その目的地をサツキは知らない。彼が知っているのは、スオウとコハクについて行けば良いということだけだ。

「見てください、鳥の群れです。家族でしょうか?」

 サツキが空を指さす。

「渡り鳥の群れだな。ここより北から越冬に来たんだろう」

「焼き鳥に鳥鍋。釜飯も捨てがたいねぇ」

 次の場所ではどんな人や出来事に出会えるのか、サツキは楽しみでならなかった。


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