蛇足 その壱(前)
国王ヤマトと、義弟であり守王軍総帥であるサトルとの馬車の中での会話の一部です。
「そろそろ、帰りますか?」
ヤマトの今日の予定は、御前会議の後は終日、本宮での執務だった。謁見や視察は無いので、時間に多少の融通はきくはずだとサトルは判断していた。
「今、御者をしているのは、例のお気に入りか?」
サトルの左横には格子の嵌まった小窓がある。その正面に座っているヤマトからは、御者の後ろ姿が見えていた。
「そうです。いい拾い物をしました」
「人扱いをしてやれ」
苦笑するヤマトに、サトルは悪びれることなく言葉を続ける。
「いいんですよ。本当に拾ったんですから。本人だって『拾われた』って普通に言ってますよ」
話題の主の名前はタロウと言う。半年ほど前に守王軍に入り、今は先輩たちに鍛えられているところだった。
タロウは央竜の貧困層が多く住む街で育った。龍玉国が経済的に恵まれているとはいえ、国民全てが豊かなわけではない。
七人兄弟の末っ子として産まれたが、父は幼い頃にいなくなり、母が食事処で働きながら一人で子供たちを育てていた。母の勤め先の主人は篤志がある人で、残った食事や食材を毎日のように分けてくれていた。そのお陰で飢えることは無かったが、さすがに七人もいれば満たされることも無かった。
そこでタロウが思いついたのは悪巧みで、店先から食べ物を初めて盗んだのは彼が三歳のときだった。年が片手で数えられるくらいまでは事情を知る大人たちに見逃してもらえていたが、それが過ぎれば怒鳴られたり殴られたりもするようになった。それでも、一度覚えてしまった盗みはなかなかやめられないまま、逃げ足だけが速くなっていった。
タロウが十歳になる頃には、地元で彼の悪評を知らない者はいなくなり、母や兄たちも白い目で見られるようになった。悪さはするが家族は大事だったタロウは、十一歳になった年に家を出て、生まれ育った街を離れた。
後先考えずに一人になったが、今までろくに勉強も我慢もしてこなかったタロウは、どの仕事も長続きせず、あっという間に路頭に迷った。それでも、家を出るときに立てた二度と盗みはしないという誓いは最後まで守った。
最後に物を食べたのは五日以上前で、それからは井戸水で腹を膨らませているだけだった。家も、仕事も、頼れる人も無く、細い路地でタロウはとうとう倒れた。浮かぶのは家族の顔だけで、初めて自分の生き方を後悔した。
「母さん、兄さんたち、ごめんなぁ」
やせ細った体にはもう何も残っていないと思っていたが、後から後から涙が溢れた。こんなことになってしまうなら、もっと早く改心して家族と共にいれば良かったと悔いた。涙を拭う力も出ず、タロウは死を覚悟した。
「もしも、生まれ変われたら次は人のために生きよう」
視界がどんどん狭まり、タロウの意識は途絶えた。
妙に腹が苦しかった。強い力で押さえ付けられているような感じだ。
(悪人は死んでも苦しめってことか?)
ずっと体が揺らされていて、吐き気もしてきた。いくら腹の中が空とはいえ、吐いてしまうと後が面倒臭い。
(罰にしても随分と地味な罰だな)
死の間際に生き方を反省したはずだが、タロウは本能的に楽になれる体勢はないかと体を動かす。
「おっ、気が付いたか?」
低めの良い声だった。女だったらコロッといきそうな艶のある大人の男の声だ。
(死んだ後もこんなにいろいろと考えられるもんなんだな。それにしてもこいつは誰だ)
タロウはゆっくりと目を開けた。見えたのは深い青。空の色とも違うそれが布地だと気付いたのは直ぐだ。
息が苦しく、目玉が飛び出そうな感じがするのはどうしてだろう。顔を横に少しずらすと、自分の腕が見えた。この感じはもしかすると。
「おれ、逆さま?」
口にしてみて、確信した。タロウは今、誰かの肩に荷物のように担がれていた。
「今、降ろしてやるからちょっと待て」
良い声の主はタロウを担いだまま何かの建物の中に入り、畳の上に慎重に降ろしてくれた。力の入らない上半身を壁に預け、タロウは男を初めて正面から見た。目を開けて直ぐに見た深い青は男の着物の色だった。
「あんた、女にもてそうだな」
男は豪快に笑い出した。腹を抱えて大口を開けていても、タロウが感じた第一印象は変わらなかった。黒くて柔らかそうな髪を後ろで一つにくくり、真ん中で分けた長めの前髪がつり上がった眉の端を隠している。奥二重の目は垂れていて甘い色気を感じさせるが、鷲鼻と薄い唇が男の顔を引き締めていた。身長も高そうで、いくらやせ細っているとはいえ、タロウを担いでいても歩みに揺らぎが無かったのは体が鍛えられている証だ。
「気に入ったぞ、タロウ」
目尻に溜まった涙を拭いながら、男が自分の名を呼んだことに驚く。
「どうして、名前を……」
「自分で答えてたぞ」
倒れていたタロウを見つけた男はたまたま持っていた桃を潰して口に突っ込み、いくつか質問をしたと言う。本人は覚えていないが、きちんと答えていたらしい。どうりで口の中が甘いはずだ。
「帰る場所が無くて悲しい。まっとうに生きたいって言ってたぞ」
顔が一気に熱くなった。無意識とはいえ、かなり恥ずかしいことを言った。
「そこで提案なんだが、おれと一緒に来ないか?」
本気で言っているらしい男を、タロウは信じられない思いで見返す。
「おれが言うのも何だけど、もう少し人を疑えよ。今、突然あんたを襲って金を奪うかもしれないぜ?」
「やってみろよ。できるんならな」
声の調子はそのままだったが、男の目つきは変わっていた。タロウ自身は今まで小さな盗みしかしていないが、それなりに危険な場面には出くわしてきた。そのときに身に付けた勘が、この男に手を出してはいけないと訴えていた。
「まぁ、冗談はここまでにして。どうする、タロウ?」
生まれ育った街にも、この街にも居場所は無い。一度は死んだと考えれば、未だ名前も知らないこの男に付いて行くのもたいしたことではない。
「わかった。行くよ」
男は何故か嬉しそうに笑って、タロウの頭を撫で回した。




