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阿曾城始末  作者: 花丸くん


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第七話

第七話です。

先もわからぬ逃避行のすえ、泰清と甚太郎は林の中に逃げ込んだ。

「はぁ、はぁ、」

馬から飛び降りて即座に転がると息も絶え絶えになった。だが不思議なことにあたりを見ても甚太郎がいない。

泰清はそれに気が付くと跳ね起きて

「…甚太郎、如何した。」

とあたりを見回したがいなかった。

「…ッ!」

と途端に殺気を感じ取った泰清は慌てて前のめりになってその凶刃を逃れた。

「……甚太郎か…」

その凶刃の持ち主は三橋甚太郎であった。


「何故…とは聞くまい。うぬが主君の平八郎を儂が殺したことのかたき討ちであろう。」

「あぁそうだ…平八郎さまは最後まであなた様を信じておられた。この阿曾の城に平八郎さまが腰を据えられた時、某に嬉しそうに語っておられたさ…」

永遠にも思えるような沈黙が場を支配する。

「なぜだ……! なぜ其方は、血を分けた甥である平八郎様を裏切ったのじゃ!!!」

甚太郎の血を吐くような絶叫が、泰清の鼓膜を打つ。


平八郎――沼田平八郎(ぬまたへいはちろう)景義(かげよし)

その名を聞いた瞬間、泰清の脳裏に一年前、天正九年の忌まわしい記憶が鮮烈に蘇った。

もとは沼田の正統なる後継者であった平八郎は、由良氏の援助を受けて三千の兵を率い、この阿曾城を奪い取って真田に反旗を翻した。その勢いに脅威を覚えた真田昌幸の命を受け、「沼田を譲る」という偽りの書状で彼を沼田城へとおびき寄せ、供回りごと謀殺したのは、他ならぬ伯父の泰清自身であった。

「平八郎様は、最後まであなた様を信じておられた! 阿曾城に入られた時も、『これで伯父上と共に沼田を治められる』と、某に嬉しそうに語っておられたのだぞ!」

甚太郎の構える切っ先が、激しい怒りと悲しみで小刻みに震えている。

ああ、そうか。と泰清は悟った。 あの日、謀殺された平八郎を置いて遁走した沼田衆の中に、こやつが居たのだ。こやつはあの日からずっと、己の主君を騙し討ちにした男の懐に潜り込み、この復讐の機を虎視眈々と窺っていたというのか。


「なぜだ…どうして…」

阿曾城から逃れる際には姿を隠していた月が、まるでこの因果の精算を照らし出すかのように、雲間から冷たい光を投げかけた。 青白い月光に照らされた甚太郎の顔は、主君の無念を思ってか、涙でぐしゃぐしゃに濡れている。だが、その泣き顔とは裏腹に、背筋は凛と伸び、白刃を真っ直ぐに突き出した正眼の構えには微塵の隙もなかった。

(これが……復讐の鬼と化した者の姿か)


だが泰清には甚太郎に首をやる気はさらさらない。いや、むしろここで死ぬわけにはいかないのである。

「平八郎様は、最後まであなた様を信じておられたのだぞ!」 甚太郎の悲痛な叫びとともに、白刃が月光を裂いて振り下ろされる。 ガキンッ! と、泰清は咄嗟に刀を抜き放ち、その凶刃を受け止めた。火花が散り、両者の顔が至近距離で睨み合う。


(何も知らぬ若造が、喚くでないわ!)

泰清は歯を食いしばり、内心で激しく吠えた。 儂に親愛の情がないだと? 違う。儂が「沼田の王」を志したのは、他でもない、ゆのみや平八郎を守るためであった。

疫病で母があっけなく死んだ、あの利根郡追貝村(とねぐんおっかいむら)での極貧の日々。金も医者もなく、虫けらのように死んでいく運命から愛する妹を救うため、儂は野心という泥を被り、景義の父にして当時の沼田家当主・沼田万鬼斎(ぬまたばんきさい)顕泰(あきやす)に取り入って沼田の権力中枢へと這い上がったのだ。 全ては、愛する者たちを生かすため。 その結果、目論見は外れ、ゆのみは死に、平八郎は政争の具となり、儂は自らの手で甥を殺す泥にまで塗れた。

ギリギリと鍔迫り合いの音が軋む。 野山を駆け回るのが好きだった異母妹を不憫に思い、城に閉じ込めまいと見込んで嫁がせた勘助すら、今宵、儂の失態で死なせてしまった。


(儂がここで死ねば、ゆのみの死も、平八郎の死も、勘助の死も、全てが犬死にとなる!)

「……小童に、何が分かるかァッ!」

泰清の眼底に、もはや罪悪感を超越した、修羅のごとき生への執着が燃え上がった。神仏の加護などではない。ここまで積み上げた身内の屍を無駄にはできぬという、血を吐くようなエゴイズムであった。泰清は渾身の力で甚太郎の刀を弾き返すと、獣のような咆哮を上げて反撃に転じた…かに見えた。


「わしは…死ぬわけにはいかんのだ。平八郎のために…」

その言葉に反応した甚太郎はさらにいきり立って

「何をほざくかこの畜生がァ!」

甚太郎は上段に振りかぶり泰清に斬りかかった。


だが、泰清はこれに反抗するでもなく刀を捨てて這いつくばった

「頼む、見逃してくれ…」

すがすがしいまでの命乞いである。

「わしは平八郎と約束したんじゃ…いずれ大名を追い出して沼田の王となると…」

振り下ろされんとした甚太郎の腕が、空中でピタリと止まった。 ――平八郎様も、かつて同じことを仰っておられた。 甚太郎の脳裏に、亡き主君の声が蘇る。由良家、ひいては織田家から、強大な武田を削るための「使い捨ての駒」とされていた聡明な平八郎は、己の立場をとうに理解していた。

それでもあの方がのちに摩利支天の再来と謳われるほどの武勇を振るったのは、他でもない「沼田を我らの手に取り戻すため」であったのだ。

図らずも、目の前で這いつくばる醜い伯父の執念と、主と仰いだ気高き平八郎の言葉が、甚太郎の中でピタリと重なってしまった。


「……うぞ…」

降りてくるはずの刀が降りてこず、代わりにか細い声が聞こえる。

「貴様の願いが叶わなかったらその首、きっともらうぞ…」

今度ははっきりと聞こえた。声の主の甚太郎の顔は相変わらず涙で濡れていたがもう泣き止んでいて目が赤いように見えた。鬼というのがいるのならこの顔のことを言うのであろうと泰清は感じた。

「……あぁ、その時になったらわしの首はくれてやるわ。」

その声を聴くと甚太郎は馬にまたがってどこかへ行ってしまった。


泰清は刀を拾って馬にまたがり、倉内の城めがけて逃走した。

泰清はこの夜のことをのちにこう語ったと加沢記には記されている。

「金子若年より愛宕を信心し、田北の原に宮を建立したりけるが、萬鬼齋御没落の乱より以来の兵乱に依て、愛宕の御神体海應山に安置したりければ偏に愛宕の御加護によるとぞ申しけり。」

思えば、今は亡き万鬼斎顕泰(ゆのみの夫)と共に沼田乗っ取りの謀を巡らせて失敗した折にも、彼はせめてもの取り繕いとして「愛宕大権現に沼田の平和を祈っていたのだ」と衆目を誤魔化したものであった。

月明かりの下、独り馬に揺られながら、泰清の頬をまたしても熱いものが伝う。 かつて野望を分かち合った者たちは皆、死んでしまった。愛宕大権現の加護などではない。己はただ、数え切れぬ血の代償を払いながら、生き恥を晒して逃げ延びているだけなのだ。 泰清は、誰に聞かれることもなく、夜の闇の中で声殺して泣き続けた。


逃避行でのやり取りについて


加沢記では単に「金子泰清は三橋甚太郎を連れて逃げた」とあります。

ですがそれと同時に加沢記では「景義が長ずると、万鬼斎は景義の家来として伯父の泰清と三橋甚太郎という二人の侍を付けた」ということが書いてあるのです。

そこで本作では単に三橋甚太郎を泰清の家来とせず、物語に深みを出すため(当社比)与力としてつけられた復讐者ということにしています。

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