第五話
第五話になります。
「|疾く門をば破るべし!」
と老将・難波田主税介は絶叫した。それに呼応するかのように足軽たちは丸太を担いで城門めがけて突撃し、えいや、えいやと門を突く。
ただでさえ酔っているのに兵少なく、指揮する武将が軒並み酔いつぶれているという状況においてまともに閂を抑えることかなわず、あっという間に侵入を許してしまった。
しかし、城門のあたりにいた城兵は酔いが回っていたものは比較的少なく、刀を抜き去り槍をとり、我ら沼田の地を荒らす北条の弱卒何するものぞといきり立ち、われらは沼田の男であるぞと自らを鼓舞して、勇気奮い立った沼田衆は、その勇気をもって一度も二度も北条の猛者どもを追い散らした。智謀で知られる星野図書の破られた門を再び閉じることはかなわずとも、門前に槍盾構えて陣をば張るべしという号令の下、陣を構えて北条勢を一兵たりとも寄せ付けなかった。
また、大渕勘助が連れてきた援兵数十が合流し、斬っては捨て、捨てては斬るの勇猛果敢で見事な戦いぶりを敵味方に披露した。
だが、惜しきかな。多勢に無勢で一人、また一人と隙間を突かれてせめてもの抗いからか、前のめりになって絶命し、とうとう陣が崩れて二の丸全域で乱戦となった。
「くそッ、これでは…、ギャァァァァ!!!」
「お、おた…グアァァァ!!!」
二の丸はまさに地獄の様相となった。
剣の腕に覚えのあるものは北条兵数人を相手取り、善戦したが大人数に囲まれてはその腕も意味をなさず、無情にも体を槍で貫かれて散った。
腰が抜けて小便を漏らし、必死に助命を乞い願う哀れな足軽は一矢報いる間もなく最後まで敵の慈悲にすがっていたが無視されて死んだ。
いまだのんきに寝ているものもあったが問答無用で殺された。だが、まさに眠るように死んだためこの地獄を見ることもなく、楽しい夢を見ながら死んだであろうから実によい死にざまであったといえるのかもしれない。
そんな地獄にあっていまだ抗い続ける者たちがいた。本丸と二の丸を区切る門前にて抗っていた大渕勘助と星野図書ら数名である。
「ハァッ、ハァッ…」
「そ、そろそろ降れ…」
と北条の侍が言った。ほんの数刻ではあったものの重い甲冑を身に着けて白兵戦を演じた両軍は互いに疲弊し、もはや北条軍は戦うのが面倒になっていた。
「だ、誰が降るかボケ…わしらぁ、ここで死ぬんじゃ!」
「へ、へへッ……い、いい加減あきらめろ。悪いようにはせんて……もう、互いに疲れたであろうが……」 そんな息も絶え絶えの押し問答をしているさなか、突如として、夜気を震わせる地響きのような重い音が響いた。
「北条安房守様が一の家臣、富永又七郎見参なり!」
なッ、と北条兵は絶句した。富永又七郎は山向こうの森下城にいるはずである。当然であるが阿曾城の様子を伝えたのが富永家臣の藤江七左衛門であるということはここにいる連中は知らない。だから彼らは困惑したし、その困惑が彼らの脳裏に大きな衝撃として焼き付いた。
「推参なり、富永又七郎殿!それがし阿曾城主、金子美濃守が義弟、大渕勘助也!一騎打ちをば所望いたす!いざ参られよ!」
と大音声を挙げた。
「大渕とやら、貴様と殿とは格が違うわ!この橋本市之丞が相手になってやろう!」
といって足軽から槍を受け取り馬を降りた。この時代は一騎打ちなどおとぎ話だろというのが常識なのだがこの橋本は情け深いところがあり熱血漢であった。大渕勘助を漢と見込んで一騎打ちを受ける気になったのである。
橋本の言う「格が違う」というのは、全くもって偽らざる事実であった。 大渕勘助は新興の真田家に仕える矢沢の、さらにその与力に過ぎない地侍・金子美濃守の妹婿。片や富永又七郎は、室町幕府奉公衆を祖とする名門・北条の重臣であり、自身も武蔵七党の流れを汲む名門の出である。両者の家格には、文字通り天と地ほどの開きがあった。 厳密に言えば、陪臣の橋本とですら釣り合いが取れるか怪しい身分差である。すでに乱戦での一騎討ちなど時代遅れとされていたこの戦国の世にあって、武辺者である橋本は、死地にあってなお大将首を狙う勘助の意気に感じ、あえてその勝負を買って出たのである。
「ほざいたな!橋本とやら、おぬしをこの槍の錆にしてくれん!いざぁ!」
満身創痍の勘助は、すでに自身の槍を失っていたため、近くの足軽から手槍をひったくると、両軍の前に進み出て下段に構えた。 槍術において、上段は素人、中段は並、そして下段は達人の構えとされる。下段は穂先の軌道や間合いを敵に悟られにくく、不意の突きや多彩な技を繰り出すのに有効だからだ。ただし、隙も大きいため、防御の薄い平服の武者には到底とれぬ構えである。 今の勘助は、袖をつなぐ紐はちぎれ、草摺も欠け落ちるなど、まさに落ち武者のごとき惨状であった。それでもなお下段に構えるのは、己の技量に対する絶対の矜持か。「槍の錆にしてやる」という言葉は、決して虚勢などではなかった。
対する市之丞は、上段に構えた。 通常の素槍であれば、上段は素人の構えである。だが、市之丞が手にするのは、穂先が二、三寸程度の素槍とは次元が違う、刃長だけで一尺にも迫らんとする『大身槍』であった。 その重さと長さを活かし、振り下ろした際の遠心力で兜ごと叩き割る。あるいは長大な刃で薙刀のように薙ぎ払う。市之丞の構えは、素人のそれではなく、大身槍の絶大な破壊力を最大限に引き出すための「必殺の上段」であった。
勘助は下段に、市之丞は上段に構えて両者、間合いの外からにらみ合い、まるで弧を描くように相手の隙を狙って動き回る。途中で片方が軽く突き、そのたびに突かれた方が柄を出してその誘いのような攻撃をいなす。そのたびに柄と柄がかち合うのでカン、カンと甲高い木の音が静かな戦場に響いた。
よく一騎打ちというと剣道のような試合開始とともに激しい打ち合いや、つばぜり合いが行われるように思われているが実際は違う。刀や槍というのは当たればすなわち死を意味する。剣道というのは命の危険がないからあのように行えるのであって、戦国以来の武術の姿を残す古武道とは全く異なる。
双方達人であったから長いこと決定打が付くような攻撃はなかったのだが、今までの足を狙った誘いの打ち合いから突如として勘助は腰をめがけて突いた。往時の鎧は揺糸なぞというもので草摺がぶら下がっているだけなのであるが、ぶら下がっているだけなので最大の弱点となる。また揺糸の下は下腹部であり、当然ながらそこには臓物がある。当たれば致命傷だ。
「死ねぇ!!!」
だが、市之丞はそれを見透かしたように左足を軸に半身を開き、上段から大身槍を振り下ろして、勘助の槍を穂先ごと地面に叩き伏せた。 こうなれば、長柄はもはや邪魔な棒切れに過ぎない。いかに早く槍を捨て、組み討ちに移るかが勝敗を分かつ。定石通り、勘助は即座に槍を手放して飛びかかろうとしたが、市之丞の動きはさらにその上をいっていた。 勘助が身を乗り出すより早く、右腰の馬手差を抜き放った市之丞が側面から組み付き、その刃を勘助の腹部へ深々と、三度突き立てたのである。
腹に短刀を三度刺し、捻って抜く――。それは、確実に大動脈を断ち、臓腑を破壊するための、戦国武者の冷酷なる作法であった。 勘助は口から大量の血を吐きながらも、なお鬼の形相で市之丞の首を絞め上げようとしたが、やがてその腕から急速に力が抜け落ち、そのまま絶命した。
その他諸々について
難波田主税介:筆者が知る限り加沢記にのみ登場する武将です。難波田といえば歴史好きの方は扇谷上杉の難波田憲重が思い起こされますが、この難波田氏は埼玉県の松山城主・上田朝直に仕えていたとされます。よって主税介と憲重流の難波田氏は本作では無関係として諱は書いていません。
一騎打ちの描写について:本作では大渕勘助と橋本市之丞の一騎打ちを描いています。ですが加沢記においてそのような描写は一つもありません。
源平のころですら「一騎打ちは珍しいもの」という認識だったようで、それから400年くらい経過した戦国時代ではほぼなかったといってもいいでしょう。
実際に一騎打ちがあったとするなら書物を書く上で見せ場なわけなので当然あるわけです。なのでこの一騎打ちは完全な創作となります。




