第四話
第四話になります。そろそろ終わりが近づいてまいりました(汗)
一応史実に基づくということで資料なども引っ張ってまいりました。参考にさせていただいたサイト様は、プロローグの方に書いておりますのでそちらもご覧になってください。
――森下城・本丸館――
「そは誠か!」
「はッ、それがし矢玉の届くところまで馬を進めましたが一つの矢玉も飛んでこず、近づいてみればなにやら宴でもしておるかのような、楽しげな声が聞こえ申した。」
「なんと、矢玉が届く位置まで馬をすすめるとは…うぬの豪勇は相州広しといえどもこれに比するものはあるまい。」
「おほめ戴き恐悦至極。」
「殿、七左衛門が申す通りならば夜討ちをかけるべきでござろう。」
「わかっておるわ市之丞。」
と、富永又七郎は側近の橋本市之丞に言った後、息を大きく吸い込んで
「宴は取りやめじゃ!精兵五百を集めよ。夜討ちじゃァ!!!」
「五百とはいささかすくのうござりませぬか?」
と側近の田中佐兵衛が答えた。
「いや、七左衛門の言を聞き、難波田と上泉も同心したであろう。よって五百で十分じゃ。それにの…」
といって言葉を切った。
「それに…?」と市之丞が続けた。
「上泉はともかく、難波田は阿呆じゃ。どうせ全軍をもっての突撃を主張するはず。いかに主水が聡明とはいえかくのごとき若輩者では年老いた難波田のジジイに反論などできまい。二千もの大軍が殺到すれば、あの堅城の門とて破れはしようが、大軍ゆえに狭い虎口で必ず身動きが取れなくなる。そこへ、我が精鋭が疾風のごとく駆け抜け、一番乗りの手柄を上げるのじゃ」
「そは見事な策でござる!」と佐兵衛が喜びの声を上げた。
「ゆえに、五百のうち二百を騎馬とする。これぞ、北条安房守様が第一の家臣、この富永又七郎の軍略よ。さあ、疾く兵を集めい!」
という号令がかけられると森下城内はあわただしくなりすぐに騎馬二百騎、足軽三百余りが集まった。
――阿曾城・大手門前――
「おッ、大渕さま!」
と櫓門から降りて水にてのどを潤し、少し休んでいた勘助のもとに足軽が走りこんできた。本来なれば徒侍を通じて言上すべきところを、一介の足軽が直接駆け込んできたこと自体が、事の異常さを物語っていた。
「如何した!」
「へッ、へぇ、あの…えっと…」
足軽はしどろもどろになる。何を言いたいのかわからなくなっているようだった。
「どうした!はきと言え!」
「はっ、はい!向こうから明かりがたくさん見えやした!」
「なにぃ!」
言うが早いか勘助は報告に来た足軽を突き飛ばし、櫓門の階段を駆け上がると眼前には、まるで光る津波か、あるいは無数の這いずる虫の群れのごとく、おびただしい数の松明の明かりが城へ向かってうねり迫っていた。
「こりゃ、夜討ちでねぇかぁ!!!」
道中、勘助は「夜討ちじゃ、夜討ちじゃ!」と叫んで回った。はじめは呆けた顔で何事かと見ていた城兵たちであったが、酔った頭に『夜討ち』の事実が浸透した途端、城内は蜂の巣をつついたような上へ下への大騒ぎとなった。
後世、沼田藩士・加沢平次左衛門は著書の「加沢記」にて、その狼狽ぶりをかく記す。
「城中には思も不寄事なりければ鎧一つに二人三人取つき、我の人のと争ひ、或は太刀長刀にも取付、引合ければあやまちするも多かりけり、或は繋たる馬に打乗たる族もあり。」と
鎧一つを二、三人で奪い合い、太刀長刀を奪い合って誤って仲間を斬ってしまったり、厩につないだ馬に飛び乗って出ていこうとして落馬したりと、それは惨憺たる有様であった。
――阿曾城・本丸――
「義兄上!」
いきなり館に飛び込んできたのは義弟・大渕勘助である。
「どうした、そんなに血相変えて…腹でも下したか?」
みると泰清の周りにはすでに酔いつぶれた物頭、足軽の類がごろごろと転がっている。
「いまなぁ、こ奴らと飲み比べをして…」
「かような時に何をなされているのじゃ!」
大渕勘助は義兄のあまりの体たらくに絶句し、次いで、周囲で転がる物頭たちへの怒りも相まって、腹の底から一喝した。 その凄まじい剣幕に、泥酔して転がっていた者たちがビクンと肩を震わせ、何事かと這い蹲りながら薄目を細める。
「やかましいわ……耳元で喚くな。館の中ぞ、少しはわきまえい」
両耳を塞ぎながら、赤ら顔の泰清が忌々しげに吠えた。
「声も荒げたくなりまするわ! 夜襲じゃ! 北条の夜襲でござる!!」
「……夜襲、だとォ?」
「まだ寝ぼけておられるか! 奴ら、すでに城門の目と鼻の先まで迫りきておるのじゃ!!」
カラン、と。 泰清の手から滑り落ちた漆塗りの杯が、床に転がって鈍い音を立てた。 彼の赤い顔から、見る間にスーッと血の気が引き、土気色へと変わっていく。
「な、なんと申した…」
「夜襲じゃと申した!」
勘助の思いもよらない報告に頭が覚醒し、おぼつかない足取りで、まだ横たわっている足軽の顔を踏んだり、よろけて転んだりしながら館から這い出て眼下に広がる大混乱の城内を見やると絶句した。強兵で鳴らした沼田衆は今やただの酔っぱらいの集団になりはてた。
その光景を見てもはや戦う気概もなくしたのであろう、加沢記では「此体たらくにては軍は不叶」すなわち、この体たらくでは戦にならぬと叫んだとされる。
これでは軍議など開いても意味がないと言い残し、大渕勘助はまともに動けそうな物頭と足軽を連れて大手門に向かった。
泰清はへたり込むしかなかった。死にゆく足軽にせめてものはなむけをといっても、それは敵を舐めていたからできたことであり、ひいては自分の油断が招いたことであるということがひしひしと伝わってきたからである。
「なんということを、してしまったのだ……」 泰清の胸を掻き毟るようなその後悔は、身分の上下を問わず、阿曾城の兵すべてが遅まきながら抱いた絶望であったろう。
泰清は酒を飲もうと提案しなければ、諸将はそれに賛同しなければ、兵は酒を飲まなければ、あるいはマシな結果になったのかもしれないと誰もが思った。もしかしたらこの堅城を生かして北条勢に大勝できたかもしれない。よしんば勝てずとも後世に残るような名誉ある戦死ができたかもしれない。また、潔く泰清が腹掻っ捌き首差し出して城兵だけでも助かることがあったかもしれない。だがそれはもはや存在しない未来となってしまった。
事ここに至っては酒を飲んで死ねるということがせめてもの救いなのかもしれない。
いや、酒を飲んでいなければ、その健脚を生かして逃げおおせたものもいただろう。だが酔っぱらっていては泥に這いつくばって逃げ惑うか、敵の足元で慈悲を乞うか、あるいは自暴自棄の抵抗を試みるか。いずれにせよ、まともな武士の死に様など一つとして残されてはいなかった。
さらなる不幸は、酒で気が大きくなった者たちが「北条如き」と毒づいていたことだ。寄せ手からすれば「阿曾の城兵は投降せぬ。味方の被害を減らすため、撫で斬りにせよ」となるのは必定であった。 逃げようにも、泥酔した足ではそれすら叶わない。
もはや彼らに残された道は、玉砕という名の大いなる「集団自殺」しかなかったのである。
北条家臣について②
第四話で登場した富永又七郎の家臣である橋本市之丞、田中佐兵衛は完全なオリジナル武将です。身分としては高橋主馬の下、藤江七左衛門の上くらいの身分を想定しています。




